第1章 出会い

仮面舞踏会編

第6話「客人」

「はぁ……はぁ……っ」


ずぶ濡れの森の中、誰かにしっかり抱えられて走っていた。

ぬかるみを踏む足音と、枝葉を打つ雨音だけが耳に響く。


――誰、なの……?


濡れた前髪の隙間から、かすんだ視界が揺れる。

重たく閉じかけたまぶたを必死に持ち上げると、


雨の帳の向こうに、彼女がいた。


――夢で何度も見た、薄桃色の髪のあの人。


荒い息を吐きながら、彼女はそっと私を地面に下ろした。

泥にまみれぬよう腕を支え、ずぶ濡れのまま膝をつく。


冷たい雨が降り続く中、その肩が小さく震えていた。


「……ごめんね、ライラ……ごめんね……」


声は雨にかき消されそうなほどか細い。

それでも何度も何度も繰り返す。


――どうして泣くの……?

私は大丈夫。……泣かないで……。


差し出された手に触れたくて、震える指先がそっと伸びる。

雨粒が頬を伝うたび、心の奥がじんと温かく痛んだ。


そして、その光景は霧のようにふいに遠ざかっていった。


――


「……あれ……なんで私、泣いてるんだろう?」


ふと目を覚ましたライラは、頬の涙を指で拭う。


窓辺には柔らかな朝日が差し込み、カーテンの隙間から光の粒が踊り出す。


「ふぁ〜……」


大きな欠伸をひとつし、ライラはふらりとベッドから降りて階段を下りる。


けれど、いつもいるはずのティアリの姿はなかった。


「……ん? さてはティアリちゃん、お寝坊さんかな〜?」


唇の端をくいっと上げてくすくす笑う。


「あとでからかってやろ〜っと!」


にやりと笑ったその時――


コンコンッ


軽快なノックが響いた。


「おっと、お客さんだ!」


ライラは手ぐしで髪をざっと整え、小走りに扉へ向かう。


「今でまーす! ティアリ〜、お客さん来たよ〜!」


階段方向に声をかけると、ティアリの部屋からガタガタッと大きな物音が返ってきた。


---


ガチャッ


扉の向こうには、陽光にきらめく金髪の青年と、その隣に見慣れた軽薄な笑顔のアドニスが立っていた。


「どーも、おはようございます♪」


アドニスは手をヒラヒラ振る。


「あらっ、アドニスさん!? お久しぶりです〜!」


ライラはぱっと笑顔を浮かべ、目を丸くする。


――隣の金髪青年は優雅に帽子を取り、静かに微笑んだ。


「初めまして。レイと申します」


その所作はまるで絵画から抜け出た貴族のようで、ライラは一瞬見惚れてしまう。


「な、中へどうぞっ! だ、大丈夫です、こちらへ!」


慌てて我に返ったライラは、二人を室内へ案内し、椅子をすすめる。


---


ドタドタッ、ドカッ!


階段から慌ただしい足音が響く。


「お、お寝坊さ〜ん! おはよう!」


お団子髪が少し崩れ、寝ぼけ眼のティアリが駆け下りてきた。


「……すみません」


ぼそりと謝るティアリに、ライラはいたずらっぽく笑いかける。


だが、視線がゲストたちへ向くと、ティアリの顔色が真っ青に変わり、ライラの手をぎゅっと引いた。


「え、ちょ、なに!?」


「……また何かやらかしたんですか!?」


「してないよ! 何もしてないってば!」


「じゃあ、なんで騎士団の副団長と第2王子がここにいるんですか……!?」


「――へ? 王子!?!?」


ライラはバッと振り返りレイを見る。


レイは静かに、どこか楽しそうに微笑みながら、ティーカップに目を落としていた。


「……あの、私、何か……やっちゃいました?」


ライラはおずおずと尋ねる。内心は騎士団関係でまた何かと冷や汗。視線はそっと逸らす。


「まあ、何かしたといえば、しちゃってるねぇ」


アドニスがいつもの調子でにこやかに笑う。


その笑顔が、今だけは恐怖の引き金になる。


「ひょあっ!」


ライラは悲鳴を上げて肩を震わせる。


恐る恐るティアリの方を見ると、そこには氷のような笑みを張りつけたティアリが、片足をカツンと踏み鳴らして立っていた。


「……あの、それで、私がやらかしたことって……?」


言葉をつなげず、じりじり後ずさるライラ。


その時だった。


「……君、魔法が使えるんだよね?」


レイの意外な一言がさらりと放たれる。


「……え?」


時間が一瞬止まる。


ぽかんと口を開けたライラ。背後のティアリも固まる。


「な、なんのことです?」


必死に笑ってごまかすライラ。


「私、ただの平民ですよ〜? 魔法なんて使えるわけないじゃないですか〜」


冗談めかした声はどこか空回りしている。


だがレイはその笑顔に騙されない。


彼の金色の瞳は獲物を見つけた鷹のように、ライラから視線を逸らさなかった。


「ライラちゃん、エミルの家に行ったとき――魔法、使ってたよね?」


アドニスが悪びれもせず追い打ちをかける。


「……それ、私じゃないと思いますけど?」


とぼけようとするライラ。だが——


「僕はこの目で見た。間違いない」


レイの微笑みは優しくも逃げ場を与えない。


「……いや」


ライラの喉がひくりと動く。


「君は僕が妄言を言いに来るような人間だと思う?」


レイの低く確信に満ちた声が部屋の空気を冷やす。


言葉の網に絡め取られ、ライラは沈黙。


張り詰めた沈黙を破ったのはティアリだった。


「……それで。何しにここまで来たのですか?」


声は静かだったが、全身から警戒がにじみ出ている。

まるで、ほんの少しでも不審な動きがあれば即座に斬りかかりかねない——そんな緊張感を孕んだ声だった。


だがレイはそれすら楽しむかのように、ふっと笑った。


「何って……依頼をしに来たんだよ」


まるで最初からそうするつもりだったかのように、優雅にさらりと言い放った。


「君にしかできない依頼……をね」

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