海辺とタコの女の子
鴎
***
私は疲れ果てていた。
無論仕事のためである。
良い年をした独身の社会人のおじさんが疲れるといえば仕事である。
ここ最近忙しく、なんだかんだ色々責任も持たされるので毎日崖っぷちみたいな状態である。
こうなりたくはなかったが、どうやら周りを見るにどう足掻いてもこんな感じになっていくらしい。社会人を辞めたい。
しかし、食い扶持を稼ぐにはなんらかの仕事をせねばならず、今の仕事もなかなか辞められそうにないので現状に甘んじる他ないのである。
そういう訳で気晴らしをする以外に私に出来ることはなかった。
だからこうして海に来ていた。
見渡す限りの大海原。
そしてもくもく湧き立つ入道雲。
強い日差しに当てられ、海面はキラキラ光っている。
絵に描いたような夏の海だった。
ここは海水浴場ではないので人もまばらだ。
くたびれたおじさんを癒すにはうってつけのスポットだった。
「ふぅ....」
私は小さくため息を吐き出し、砂浜を望むコンクリートの岸壁の階段に腰を下ろした。
手にはコンビニで買ったアイスコーヒー。
じっとり汗が滲むが防風林の松林が木陰になって耐えられないほどの暑さではない。
爽やかな海風が私の頬を撫でる。
風といっしょに疲れが飛んでいくようだった。
私はゆっくり体の力を抜き、景色を堪能する。
「こんにちは、お兄さん」
そんな時だった。
私はふいに声をかけられた。
私は声の主に顔を向ける。
そこに居たのは若い女性だった。
長い黒髪に白いワンピースの女性。麦わら帽子を被り、目は透き通るような青色だった。ハーフだろうか
「こんにちは」
私は返事を返した。
しかし、謎だった。こんなくたびれたおじさんにこんなかわいい子がなんの用なのか。
なにをもって私に話しかけようと思ったのか。
状況に戸惑う。
「お兄さんこの辺の人じゃないでしょ」
女性は続けた。
もしかして、もしかしてなんだけどナンパなんだろうか。
若干ワクワクする心を抑えつつ俺は平静を装う。
ナンパじゃなくてもこんなかわいい女の子と話すチャンスなど私の生活にはないからだ。
この時間を楽しみたいという思いが私を支配していた。
「そうですね。T県から来てます」
「T県から? 遠くから来たんだ」
「まぁ、真っ直ぐ国道を走れば着きますから」
ははは、と私は笑ってフランクな雰囲気を演出する。私は根暗だが今だけはフランクな中年でありたかった。
「こんなところまでわざわざ何の用事?」
「海を見に」
「T県でも海は観れるでしょ? ここまで来る必要ある?」
「ここの景色が好きで」
「へぇえ〜」
女性は感心した様子だった。
なんであれこんなかわいい子に感心されるのは良い気分だ。
それがただ単にドライブで長距離を移動しただけであっても。
「あなたはこの辺の人ですか?」
私は脳内回路を総動員して会話を続ける。普段会話なんか苦手でしかなかったが今ばかりは頑張るしかない。
「そうだよ。あっちの方」
女性はそう言って指を指した。
しかし、指したのは海だった。
海をなんで指さすのか。
ああ、そういえばこの県は海の向こうに島があるんだった。
「へぇ、離島の人ですか」
「ん? 違うよ。海の中」
「へ、へぇ」
どうやらとんだ不思議ちゃんらしかった。
今までの会話の流れから普通の女性かと思っていたが。
しかし、不思議ちゃんでもかわいいことに変わりはない。
私は頑張って会話を続けることにする。
「海の中か。すごいですね。竜宮城とか?」
「ああー、人間には分からないか。竜宮城は九州の方。こっちは全然田舎かな。都会にも憧れるんだけどね。正直今の仕事辞めてそっちに行きたいくらい」
「ほぉん」
間抜けな声で返事を返す私。
結構設定を作り込んでいる感じなんだろうか。
どう会話を続けたものか。私のニューロンを電気信号が高速で駆け巡る。
「ていうか、お兄さん信じてないでしょ」
「へ?」
女性を見るに若干むくれていた。かわいい。
しかし、どう返事したものか。
実際信じていないが、正直に答えると怒ってどこかに行きそうでもあるし。会話は続けたいし。
いや、しかし....。
そんな風に私が思案していると。
「ほらこれ、証拠」
そう言って女性はぴらりとワンピースの裾をめくる。白い太ももがあらわになった。
唐突な刺激的な展開に私は少しのけぞるが、ワクワクする心は次の瞬間には消滅した。
「おわぁ!!」
女性のワンピースのめくられた裾、そこから出てきたのは大きな太いタコの足だったからだ。
それが何本も出てきてウネウネ動いている。
「私、化けダコの妖怪だから」
「ひ、ひぇ...」
言葉が出ない。当たり前だ。こんな展開が目の前で発生して平静を保てるものなどいない。あまりに現実離れしている。
だが、この異常な光景は何より女性の言葉が事実であることを証明しているように思われた。
え、と言うことは。本当にこの女性は妖怪なのか? 妖怪って本当に居たってことなのか?
私は言葉が出なかった。
「あー...、怖がらせちゃったか。別に取って食いもしないよ。大丈夫」
女性は親指を立てサムズアップを示してくる。なんにも女性の危険性の否定にはなっていなかったがいくらか気が紛れた。
「は、ははは...本当に妖怪っていたんだ...」
私は腰を抜かしながら努めて笑顔で答えた。
「そうそう、平地にも山にも海にもまだまだ妖怪っているんだから。昔より数は減っちゃったけどね」
「そ、そんな妖怪が僕になんの用なんですか?」
「用? 用ってことはないよ。暇つぶしに海岸歩いてたら目についたから話しかけただけ」
「そ、そうなんですか」
「私みたいなのは珍しいけどね。みんな人間とは関わらないから。話したらこんな風に楽しいんだけどなぁ」
女性はアゴに指を当てて思案顔だった。
さっきまでと変わらない仕草。かわいい。
私は少しだけ気分が和らいできたのを感じた。
妖怪ならこうやって騙している可能性は十分にあったが、こんなかわいい子と会話できているという感動の方がわずかに勝っていた。
それに妖怪、つまり人外、人外萌え、ありかもしれん。そんな考えが俺に頭に浮かびつつあった。
そもそも結構妖怪とか好きなのだ。だんだん感動的な気もしてきた。
「じゃ、じゃあ、普段は海の中で生活してるんですか?」
私は会話を続ける。まだ、負けたくなかった。自分に負けたくなかった。
「あれ、会話続けてくれるんだ。この足見せたら大抵の人間は逃げてくんだけど」
「まぁ、まだ大丈夫です」
「ふふ、嬉しい」
女性ははにかんでいた。かわいい。この子かわいい。私はどんどんこの子が好きになってきていた。
もはやなんでも良い。人間じゃなくても良い。かわいい子と話せている。それで良いじゃないか。そういう思いが俺の中に湧き立っていた。
「そうだね。海の中に家があって、海の中に仕事場があってそこで働いてるよ」
「海の中に仕事場が? お魚の加工とか?」
「あ、ちょっとバカにしたでしょ。海の中といえばみたいな。残念でした、自動車部品の生産工場」
「海の中で!?」
「海の中は海の中で文明が発展してるんだよ。人間には妖術で見えないけど」
そうだったのか。世界はまだ知らないことで満ちている。
「本当はタコなんですか?」
そして非常に大事な質問を私は投げた。
この子がタコなのか、それともタコ足が生える人形の妖怪なのか。とても大事な話だった。
「ふふ、本当はタコだよ。ヌルヌルヌメヌメ」
「あ、ああ。そうなんだ」
だが、だがしかし! それでも、それでも良いんじゃないのか。それでもこの子はかわいいんじゃないのか。
「なーんてね。これが本来の姿だよ。人型の妖怪なんだ」
「なぁるほどぉ」
よっしゃあ! 良かった。
つまりこれがこの子のありのままの姿という訳だ。
何も思い悩むことはない。
と、その時だった。
「あ、友達だ」
海の中から誰かが手を振っていた。
この子に向けてだ。
それは巨大なタコ足だった。クラーケンもかくやといったサイズ。私はさすがにビビり散らかした。
しかしこの子の横だ。必死に平静を装う。
そうか、やっぱり仲間が居るのか。本当に海の中には妖怪の国があるんだな。
「もうそろそろ行くね。お兄さんと話せて楽しかった」
「あ、ああ。さようなら。元気でね」
「お兄さんもまた来てね。じゃあねぇ」
そう言って妖怪の子はタタタっと走ってそのまま海にダイレクトに入っていった。
そして、頭を沈め、2度と浮かんでは来なかった。
「なんだったんだ」
非常に不思議な時間だった。
私の今までの人生になかった不思議な時間。
しかし、振り返ってみればなかなかに刺激的な時間だった。
なんだか心が軽い。逆に気分転換になったらしい。
こんな感じで疲れが癒されるとは思ってもみなかったが、結果オーライなのかもしれない。
しかし、
「人外萌え。ありだな...」
私は正直な今の感情を口にした。
来週もまたここに来ようと思った。
海辺とタコの女の子 鴎 @kamome008
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