第12話 神様のいない世界で、衝突(前編)
翌日。
朝の光がまだ弱く差し込む中、訓練場の空気は既に張り詰めていた。
縁はジャケットを脱ぎ捨て、動きやすい格好で立っている。その手には愛用のスナイパーライフル。
金属の冷たさを確かめるように握りしめ、静かに息を吐いた。
「……奈津川蛍を想定しろ」
低く呟き、訓練シミュレーターを起動する。
視界の中で、赤い警告灯が点滅した。
瞬間、床に投影された仮想標的が縁の死角から跳び込んでくる。
反射的に身を沈め、撃つ。
銃声が乾いた音を立て、標的が霧散した。
だが次の瞬間、背後から別の影。
「――っ!」
縁はすかさず転がり込み、二発撃ち込む。
「もっと速いはずだ……!」
縁は額の汗を袖で拭い、さらに設定を上げた。
敵影の動きは瞬きの間もなく迫り、縁の反応速度を追い詰める。
(一対一……距離を詰められたら終わりだ)
銃を撃ちながら、縁は頭の中で戦術を組み立てる。
志鳥の話によると蛍は雷の能力者だ。拳での近距離戦闘を得意としており、踏み込みを許せば一瞬で勝負が決まる。
ならば――常に間合いを維持し、先に動きを読んで射線を作るしかない。
縁は銃だけでなく、自らの動きを徹底的に磨く。
射撃しながら後退、横移動、低姿勢でのリロード。
何百回も繰り返し、身体に染み込ませていく。
やがて、背後の投影機が火花を散らした。
制限時間終了。
縁は膝をつき、呼吸を整える。汗が床に滴り落ちた。
「縁くん!」
声がして振り向くと、志鳥が汗を滲ませながら駆けてくる。
「志鳥。こんな朝早くからどうした」
縁の声は低く、疲労の色が滲む。
「こっちの台詞です……!朝からずっと訓練してたんですね」
彼女は眉を寄せ、縁の汗だくの様子を見て困ったような表情を浮かべる。
「私も訓練に付き合わせてください。蛍くんの動きを知ってるのは、私ですから」
志鳥の瞳には強い決意が宿っていた。
縁は短く「助かる」とだけ返し、銃を構え直す。
けれど志鳥は慌ててその銃を押し下げるように手を伸ばした。
「それよりも、一度休憩してください。朝からずっと動きっぱなしでしょう?」
「……まだやれる」
縁は淡々と答えるが、志鳥はじっと縁を見つめたまま首を横に振った。
「やれるかどうかじゃありません。少し休んでください」
縁はしばらく彼女の瞳を見つめ、やがて銃をおろした。
――――
縁がその場に腰を下ろすと、志鳥がすぐにタオルとペットボトルを差し出した。
「ちゃんと水分も取ってください」
「……悪い」
素直に水を口に含む縁を見て、志鳥はほっと胸を撫で下ろす。
「蛍くんはね、攻める時の一歩がすごく速いの」
志鳥は縁の隣に座り、真剣な目で話し始めた。
「雷を纏った瞬間、体ごと跳ねるように距離を詰めてくる。あれに慣れてないと、一瞬で懐に入られちゃう。私もよくやられました」
縁は黙って聞きながら、目を閉じて蛍の動きを頭の中で描く。
「正面から撃ち合おうとしたら負けます。だから――」
「だから、誘い込む」
縁の言葉に志鳥が目を見開いた。
「……そう。避けて逃げるフリをして、誘導して……」
「奴が飛び込んできた瞬間、隙を突く」
縁は短くまとめ、立ち上がった。
「やろう。お前の知ってる限りの蛍を教えてくれ」
「わかりました!」
志鳥もすぐに立ち上がり、いつもの温和な表情に集中の色を見せる。
こうして二人は、朝から晩まで休む間も惜しんで模擬戦のための特訓を続けた。
疲労で足取りが重くなっても、縁の眼差しは一度も曇らなかった。
志鳥もまた、その瞳を見て決意を強める。
――この人は本気で勝とうとしてくれている。
――私にできることは全部しなくては。
彼女は潤みそうになる目を擦ると縁に再び指示を出す。
やがて訓練室を照らしていたライトが、夜の訪れを知らせるように薄暗くなった。
二人は最後の動きを確認し終えると、重い息をつきながら互いを見合った。
「……これなら、きっと」
志鳥のつぶやきに、縁は小さく頷くだけだった。
――――
模擬戦当日。
縁は背中の銃を揺らしながら、訓練場の長い廊下を歩く。
朝の冷たい空気が肌を突き刺すように感じられる。
今日は、この日のために積み重ねてきた全てを試す日だ。射撃の反復、身体の動かし方、反応速度――どれも完璧に近いはずだと、自分に言い聞かせる。
足音が床に反響する。目の前から、背の高い影がゆっくりと歩いてくる。
奈津川蛍だ。黒いガントレットを装着し、目には自信と戦意が光っている。
「穂村縁。降参するなら今のうちだぞ?」
蛍の声には余裕と挑戦の響きが混ざっていた。
「てめえこそ、後でなきべそかいても知らねえからな」
縁は低く返す。拳を握り、銃の無機質な感触を背中で確かめる。
二人の間に張り詰めた空気が漂う。ホログラム投影の準備が整い、訓練場の照明が赤く点滅する。
縁と蛍は同時に視線を外し、それぞれ別の訓練室に入場した。
赤く点滅していた照明が静まり、訓練場の空気が一瞬凍りつく。
縁は背中の銃に手をかけ、蛍は両腕のガントレットを握りしめた。
投影ドームの中央にそれぞれのホログラムが現れ、実体感を帯びて宙に浮かぶ。
今日二人が相対するのは訓練室にいる本物と寸分の狂いなく同じ動きを再現するホログラム。
模擬戦とはいえ生徒同士で怪我を負わせ作戦を遅延させることは認められない。そのため、直接の戦闘を避けるシステムが開発された。
攻撃は直接的には当たらず、痛覚も多少緩められているが、衝撃と負荷はリアルに感じる仕様だ。勝利条件は、相手を気絶させるか、降参させるまで。
「準備はいいか?」縁が低く問いかける。
「もちろん」蛍は笑みを崩さず答えた。
二人は静かに間合いを取り、視線を合わせる。
「……行くぞ」縁が低く呟くと、蛍も瞬き一つせず構えた。
ホログラムが動き出す。
蛍のガントレットから電光が走る。稲妻のような閃光が縁めがけて飛ぶ。光と熱が空気を裂き、床に火花が散った。
縁は咄嗟に身をひねり、低く構えながら銃を握る。精密な射撃が難しいことは理解していたが、せめてスコープを覗く隙を作りたい。
蛍は縁の反応を見て、さらに速度を上げる。鋭い突進、左右に揺れる電光、跳躍しながらの連撃。
縁は後退しつつ、最小限の動きで避けながら反撃のタイミングを探る。
(……こいつ、想定していたより速い……!)
縁の心臓は早鐘のように打つ。普段の訓練では経験できない迫力が蛍から放たれる。
蛍は飛び上がり、縁の頭上から電撃を降らせる。
空中で姿勢が不安定になる、刹那の隙が生まれた。
縁は身を低く伏せ、引き金を引く。
「遅い!!」
スコープの中のはずの蛍が目の前にいた。
瞬間目だけを動かせば、蛍のはるか後方で、何も無い空間に火花が散っていた。
雷撃をまとった拳が鼻先に迫っている。
(かわせない……!)
やむにやまれず、空いている左手で身を庇う。
左手に衝撃が伝わった途端、勢いよく縁の身体が訓練場の壁に叩きつけられた。
肺の空気が全て押し出されその場に崩れ落ちえずく。
幸いにもまだ意識はあったが、左手の感覚が全くないことに気づく。
左腕には痛覚を遮断する安全装置が作動していた。
(本当なら腕が千切れていてもおかしくないってことかよ……!)
靴音が響き、床のタイルを震わせる。
「降参する気になったか?もうその腕は使い物にならないだろう」
蛍の声は冷静だが、確信に満ちている。
勝利を確信した余裕ある足取りだった。
「だから何だってんだよ」
縁は荒い呼吸を整え、右手で銃を握り直す。支えを失った銃は震え、スコープを覗く余裕はない。
蛍は哀れみの目で縁を見ると、ガントレットに電撃を注ぎ込む。蛍の腕からはバチバチと激しい音が立った。
「ならばこの一撃で終わらせてやろう!」
蛍の腕から放たれた電撃が、訓練場の空気を裂く。青白い光が床や壁に反射した。縁は右手だけで必死に銃を握り、体を低く伏せるが、左腕は完全に機能していないため、バランスを取るのも精一杯だ。
(……次攻撃を受けたら負ける……!)
心臓が早鐘のように打つ。目の前の蛍は冷静で、自信に満ちた表情を浮かべている。だが縁の視界に、蛍の志鳥を想う心の内がわずかに透けて見える気がした――志鳥を守りたい、そういう強い気持ちだ。
縁は体を低く構え、右手の銃を握ったまま引き金を引く。スコープは覗けず、腕も満足に使えない状況だ。だが突如、赤い光が蛍の体を包み、電撃の軌道が乱れる。次の瞬間、火花が炸裂し、蛍の目が一瞬見開いたかと思うと、体勢が大きく崩れる。
縁の「爆散」が蛍に命中していた。
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