第7話:噂の釣果、噂の少女
王都のギルドは、今日も冒険者たちの熱気でむせ返っていた。
昼間は依頼をこなす者、夕方になれば酒場で一杯やる者、様々な人間がひしめき合い、活気と、そしてどこか埃っぽい匂いに満ちている。だが、その喧騒の中にも、一筋の緊張感が走っていた。冒険者たちが交わす会話の端々に、不審な事件や不気味な噂が混じり始めているからだ。
ギルドの一角にある酒場は、特にその雰囲気が濃かった。
「おっさん、今日も酒だ!とっとと持ってこい!」
「へいへい、酔っ払うのは勝手だが、依頼はちゃんときなよ」
酒場に響く、酔っ払いの声と、店主の軽口。その中に、ある噂が混じり始めた。
「なぁ、お前ら聞いたか?あの『伝説の釣り場』の噂」
「伝説の釣り場?ああ、王族の秘密の場所だって言われてる、あのな。誰も近づけないって話じゃねぇか」
「それがよ……最近、そこでとんでもない釣果を上げてる少女がいるらしいんだ」
その言葉に、酒場にいた冒険者たちが、一斉に興味を示した。伝説の場所、とんでもない釣果。それは、彼らの好奇心を刺激するには十分すぎる話題だった。
「とんでもないって、どれくらいだよ?」
「それがよ……人間の頭よりでかい魚が、ゴロゴロ釣れるらしいんだ。しかも、ただの釣り竿で、だぜ?」
その言葉に、酒場にどっと笑いが起きた。
「ははは!馬鹿馬鹿しい!そんな与太話、誰が信じるかよ!」
「ああ、酔っ払いの妄想だろ。そんな魚がいたら、とっくにギルドに依頼が来てるはずだ」
「いや、でも、噂じゃ、その魚、全部逃がしてるらしいぞ?しかも、『大きくなって、また会いに来てね』なんて、話しかけながらだ!」
「なんだそりゃ!よっぽど頭がおかしい奴だ!」
冒険者たちは、酒を飲みながら、噂を笑い飛ばした。彼らにとって、釣りはただの暇つぶしだ。ましてや、魚に話しかけるなど、正気の沙汰ではない。
しかし、その中で、一人だけ、酒を飲む手を止めた男がいた。
彼は、ギルドの中でも特に腕の立つベテラン冒険者だった。過去に幾度も危険な依頼をこなしてきた彼は、ただの噂話を笑い飛ばすことはしなかった。
(人間の頭よりでかい魚を、ただの釣り竿で……?しかも、全部逃がしてるだと?)
彼の頭の中では、数日前に聞いた、あの不気味な噂が蘇っていた。
「武器だけが粉々に折られ、体は無傷だった」という、あの事件だ。
(ありえない……。俺たちの武器を粉々にするには、並大抵の力じゃ無理だ。魔物の仕業かとも思ったが、現場に魔力の痕跡はなかった。まるで、人間が、玩具を壊すかのように……)
彼の思考は、ひとつの結論にたどり着く。
(もし、その少女が、その『玩具を壊す力』を持っていたら……?)
彼は、ゴクリと唾を飲み込んだ。その瞬間、彼の背筋を、冷たい汗が伝っていくのを感じた。
酒場の騒々しさの中に、ひときわ大きく笑い声が響く。
「なんだよ、魚に話しかけるなんて!まるで、魚の気持ちが分かるみたいじゃねぇか!」
その言葉に、男は身震いした。
そして、ギルドの奥にある執務室。
受付嬢は、冒険者たちの噂話を耳にしながら、顔を小さく歪めていた。彼女は、先日ギルマスと交わした会話を思い出していた。
「エリカさんは、一応依頼の内容に全部目を通してくれています。不審な依頼は弾いてくれるんです」
「釣り竿片手にか?」
「……多分。でも、そのおかげで実際に危ない依頼を受けずに済んだ冒険者もいますし……正直、助かってはいるんです」
(……本当に、あの噂の通りなんだ)
受付嬢は、そう確信した。
彼女は、自分の目の前に積まれた依頼書をじっと見つめた。その中には、先日、エリカが「これ、ちょっと危ないですね」と一言添えて返してきた依頼書も含まれていた。その依頼書は、怪しい集団の討伐依頼だった。
ギルドに漂う、重苦しい空気を、エリカは知る由もなかった。
ただただ、彼女の魚への愛が、知らず知らずのうちに、王都の危機を遠ざけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます