第4話:街のギルドは、依頼でパンク寸前
王都は、いつも通りの喧騒に包まれていた。だが、その賑やかさには、どこか張り詰めた空気が混じっていた。それはまるで、熱い鉄を急激に冷やした時のように、硬く、そして不吉な音を立てていた。
王都のギルドは、いつも以上に人がごった返していた。入り口をくぐった瞬間に鼻を突くのは、埃っぽい古びた羊皮紙の匂いと、油と汗が混じり合った、冒険者たちのむっとするような体臭だ。床は泥で汚れ、壁に貼られた依頼掲示板は、隙間なく羊皮紙で埋め尽くされている。そのほとんどが、不穏な内容のものだった。
「――郊外で不審な集団が目撃されました。討伐依頼です!」
「――夜道で冒険者が襲われる事件が多発しています。夜間警備の依頼です!」
「――怪しい人物が王都に入り込んだとの情報あり。情報提供者求む!」
受付嬢は、山と積まれた書類をさばきながら、額の汗を拭っていた。彼女の顔には、疲労と、わずかな恐怖が浮かんでいた。ペン先が滑ってインクが飛び散り、羊皮紙を黒く汚した。それを拭う余裕もなく、彼女は震える手で次の依頼書を手に取った。
冒険者たちも、普段のような活気はない。仲間と酒を酌み交わす者もいるが、その表情は険しく、会話は弾んでいなかった。
「なぁ、聞いたか?西の森で、またやられたらしいぞ」
「ああ、今回はベテランの『鉄の剣』パーティだろ?何が起きたんだか……」
「それが、襲われた痕跡がほとんどないらしいんだ。傷ひとつなく、ただ倒れてたって話だ。まるで、人形みたいに」
「武器は折れてたのに、体は無傷だったんだ。まるで遊ばれてるみたいに、か?」
「ああ。しかも、俺たちの武器を折るには、相当な力が必要なはずだ。だが、現場にはそれだけの力があった証拠も、ましてや魔力の痕跡すらねぇ。俺は、これは人間の仕業じゃないと思う。何か、もっと別の……」
「いや、魔物だろ。人間の手じゃ、そんな芸当はできねぇよ」
「人間だよ!人間がわざと痕跡を残さず、俺たちを恐怖に陥れようとしているんだ!」
冒険者たちの間で交わされる会話は、互いの意見がぶつかり合い、ギルドの重苦しい空気をさらに重くしていた。それは、魔物やモンスター相手の戦闘とは違う、未知の脅威が王都に迫っていることを示していた。
その重い空気は、やがて受付嬢の耳にも届いた。彼女は、ぎゅっと唇を噛み締め、小さく呟いた。
「このままだと、いつか……」
その言葉は、誰にも聞こえないほど小さかったが、彼女の顔に浮かんだ絶望の色は、確かにそこにあった。
そんな中、ギルドの奥にある執務室では、一人の青年が書類の山に埋もれていた。
彼はこの国を守る責務を背負い、ギルドを統べる立場にある。だが今は、机の上で紙を回すことしかできない。次々と舞い込んでくる不穏な報告に、彼はペンを握りしめ、ただただ苛立ちを募らせていた。ペンを握りすぎた指先は白くなり、その感覚はとうに消え失せていた。
「守るべき民の声が、ただ紙の山に変わっていく……。これが“統べる”ということなのか」
彼の頭痛は、もはや思考を阻害するほどに酷くなっていた。書類に書かれた無数の文字が、まるで蠢く虫のように見え始め、胃の奥からこみ上げてくる吐き気と、重い倦怠感が、彼の全身を蝕んでいく。
その時、執務室の扉がノックされ、受付嬢が顔を覗かせた。
「ギルマス、報告書が……」
青年は疲労を隠し、声をかける。
「ああ、ありがとう。……で、エリカは? どうせ今日も釣りだろう」
「は、はい……。でも、一応依頼の内容には全部目を通してくれています。不審な依頼は弾いてくれるんです」
「釣り竿片手にか?」
受付嬢は、苦笑いしながら、小さく答える。
「……多分。でも、そのおかげで実際に危ない依頼を受けずに済んだ冒険者もいますし……正直、助かってはいるんです」
青年は深くため息をついた。その表情は、呆れと、わずかな安堵が入り混じっていた。
「……やれやれ。役立っているのか、足を引っ張っているのか分からんやつだ」
彼の脳裏に、ふと、穏やかな川辺の光景が蘇った。
焚き火のパチパチという音。火にかけられた魚から立ち上る、香ばしく甘い匂い。その匂いは、紙とインクに塗れた今の空気との鮮烈な対比を生み出し、彼の疲弊した脳に、一瞬の安らぎをもたらした。
魚を焼き、無邪気に笑った少女。
(魚を、骨まで綺麗に食べる姿……)
その断片的な記憶が、彼の心を深く癒した。彼女は、何も知らず、ただただ、穏やかな日常を愛していた。その日常が、こんな形で壊されてしまうのは、絶対に避けなければならない。
彼は、無意識のうちに、ペンを置いた。
そして、一つの結論にたどり着いた。
「そうだ……このままではダメだ。私は、この場所から一度離れなければならない」
彼は、静かに立ち上がると、ギルドの扉へと向かった。
彼の行き先は、決まっていた。
「あの場所に行こう……。あの、平和な場所へ」
若きギルド統括者の疲弊しきった心は、ただただ、あの川辺を、そして、あの少女を求めていた。
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