第6話 影より立つもの

 森を抜けて二日目の夜。焚き火の赤い揺らめきに包まれながら、僕は肩の梟を休ませ、じっと火を見つめていた。


 魔物との遭遇は幸運にも一度きりだったが、あの時の影のような存在がどうしても頭を離れない。言葉にすれば曖昧で、けれど確かに「僕を守ろう」とする意志がそこにあった。


 ――理念具現、イデア・フォルム。


 女神が与えた三つの魔法、その最後に位置するもの。思想や理念を形に変え、唯一の存在として僕と共に歩むという。


「だが、どうすれば現れる……?」


 火を見つめながら、僕は思索を重ねた。寓象召喚は言葉を媒介に寓話を呼び出す。逆理魔法は矛盾を宣言することで力となる。では、理念具現は――。


 ふと、胸の奥から自然に言葉が溢れた。


「――人は、孤独では歩めない」


 その瞬間、焚き火の影が大きく揺らぎ、地面に落ちた僕自身の影が独立するかのように立ち上がった。炎に照らされて形を結ぶその姿は、僕に酷似していながら顔がなく、全身は淡い光の衣をまとっていた。


「……出た、のか?」


 返事はない。ただ影の存在は、無言のまま片膝をつき、僕に頭を垂れた。その動作はまるで忠誠の証のようであり、同時に「共に在る」という意思の表明でもあった。


 言葉ではなく、直接胸に流れ込んでくる感覚。

 それは問いかけではなく、確信だった。


――「お前の理念を、我は体現する」


 僕は息をのむ。まさにこれが理念具現。僕の思想を形にした存在。ならば、この影は何を象徴しているのか。


 思い返す。僕の言葉は「人は孤独では歩めない」。その理念から生まれたのなら、この存在は孤独に抗うための伴侶、守護者。僕の歩みを共に進む者なのだろう。


 梟が羽ばたき、影の肩にとまる。寓象と理念が交わり合い、火の粉が舞う夜の森は不思議な静けさに包まれた。


 影は無言のまま火のそばに座り、焚き火の揺らめきを見つめている。その仕草は、僕が先ほどしていたことを真似しているようだった。まるで「お前が見るものを共に見る」と言いたげに。


「……そうか。お前は僕の思想から生まれた存在。だから言葉はなくても、行動で示すんだな」


 応えるように、影はわずかに頷いた。


 僕は思わず笑みを漏らす。言葉を持たない代わりに、姿勢や行動で答える――それは一見不自由のようだが、むしろ確かな信頼を感じさせる。


 夜空を見上げれば、二つの月が白銀の光を放っていた。二つの光が並び照らすその姿は、どこか僕と影の関係を象徴しているようにも見える。


「なら、これからよろしく頼む。……相棒」


 焚き火のぱちぱちと弾ける音の中で、影は立ち上がり、無言のまま胸に手を当てて頭を垂れた。


 その仕草は、約束のように重く、温かかった。


 僕は火に薪をくべ、深く息を吐いた。


 この世界の歩みは、もう孤独ではない。

 寓象の梟と、理念の影。

 そして僕自身。


 三つの存在で旅を続けるなら、どんな困難にも立ち向かえる。そう思えた夜だった。

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偽物の哲学者は旅をする はらぺこ・けいそ @keito0390

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