第2話
結局、女の選定は、同志である杉田 良二に任せることにした。彼もまた、口裂け男の都市伝説化に賛同しており、僕と同様に程よく倫理観が欠けている男だった。
「死んでもいい女なんて、たくさんいますからね」
良二は電話越しでもわかるほど、上機嫌な声で答えた。
「どれくらいで準備できそうだ?」
「うーん、もぉリストはあるんだけど」
良二の話では、候補となった女は既に五人ほどいるらしい。しかし、実際に会って確かめないとその女が信用に足るかはわからない。
「オンラインでの面談を予定していて、今、日取りを決めてます」
向こうの女たちはいつでも良いと、前向き(後ろ向きか?)な態度であるらしい。だが、ある意味そういった態度が空回りした時に恐ろしい結果を生み出す。
「慎重に頼む」
良二と電話を終え、ソファに座るとフラットファイルを開く。今まで自分が調べた口裂け男に関する情報がいくつかの章にまとめられていた。しかし、大半は「口裂け女」を模倣した三流雑誌のネタ記事ばかりで、程度の知れた噂を並べたものに過ぎない。元々、何か必要な情報を求めて作り始めたスクラップノートではなく、完璧な口裂け男を作るにあたって類似した情報を避けるためのものであった。
多くの人間は「口裂け」という言葉が続いただけで、口裂け女を想像する。現代の若者であっても、真っ先に口裂け女と口にするだろう。時代の中で、口裂け女の目撃情報は減ったものだが、現在はゲームやアニメなどでキャラクター化され、都市伝説としてのアイコン化が進んでいる。キャッチーなものとして受け入れられているのが現状だ。
そもそも、口裂け女が一世を風靡したのは1980年代のこと。当時は、噂が噂を呼び、妖怪やお化けといった噂話を好む少年少女の枠をこえ、大人たちも熱を入れていた。特にワイドショーで取り上げたことを皮切りに噂は一斉に拡大し、小学生の間では集団ヒステリーや不登校問題が発生する始末。苦肉の策として集団下校をさせるまでに至った学校もあったほどだ。
では、口裂け女とはそこまで恐るべき存在なのか。まず、話を整理しよう。
口裂け女の身体的な特徴として、最も有名なのは、口が耳まで裂けていることだ。名前の由来ともなっている裂けた口をマスクで隠し、通りかかった人間に「私って綺麗?」と尋ねる。そして、「綺麗だ」と答えれば、マスクを外し「これでも?」と再度尋ねてくるのだ。その恐ろしい口を見た人間が逃げ出すと、包丁を振り回しながら猛スピードで追いかけてくる。その足の速さは100メートルを6秒で走るとも言われており、世界記録保持者でも逃げきれないほどだ。赤いベレー帽、赤い服、赤いハイヒールを履いているとも言われているが、これにも諸説ある。発祥の地は岐阜県とされているが1970年から1980年にかけて、爆発的な流行を見せ、様々な憶測が語り継がれている。
だか、どこにも確かな情報は存在せず、どの話にも「諸説あり」と、付け加えられている。
時代性を考えると、当時の若者と、デジタルネイティブな若者たちを比較すれば、口裂け女レベルの都市伝説を生み出すことが難しいとわかる。現代人にとって噂の真偽はテレビや雑誌ではなく、インターネットを通じて行われることが多く、望めば好きな情報を取捨選択することができるからだ。つまり、都合の良い情報は信じ、都合の悪い情報は信じない。望まない情報には目を瞑り、望む情報だけを見ることができるのがS N Sというものなのだ。
「じゃあ、都市伝説化なんて無理じゃん」
良二は僕の説明を聞いて、開口一番にそう口にした。期待したのにと、興を削がれたような顔をあからさまに見せている。
初めて彼と出会った時、僕は彼と一緒に駅前のチェーン店のカフェにいた。僕はアイスティーを飲み、彼はホットコーヒーを飲んでいた。
「いや、だからこそ口裂け男は生きるんだ」
僕は都市伝説の源流をS N Sの世界に見た気がしていた。都市伝説を作るにあたって必要な要素がここにあると考えていたのだ。どう足掻いてところで、口裂け女に並ぶ存在を生み出すことはできないだろう。しかし、それと同時に口裂け女の噂には、欠けていた決定的なパーツを作り出すことができる。
「口裂け男は女を本当に殺す」
口裂け女に欠けていた決定的なパーツは『被害者』の存在だ。
「———殺す?」
出会って間もない僕から、物騒な言葉が出たことに対して良二は眉根を寄せた。
「殺すって…ほんとに、殺すの?」
「そうだ。都市伝説を作るために僕たちは女を殺す」
あえて「僕たち」と口にした。彼がこちら側の人間であることを理解させ、心理的に断りづらい環境にするためであった。不審な顔を浮かべる良二に対して『口裂け男』とはどのような存在なのかを説明する。
良二は僕の話を聞いてから、ゆっくりと首を振る。
「———わかった。あんたが、考える口裂け男はわかったよ。でも知りたいのは、本当に人を殺すことが必要なのかだ」
「絶対に必要だ」
僕は、頷いて肯定する。
「現代の都市伝説において絶対に欠かせないのは、センセーショナルな事件だ。残虐で、人々の記憶に残り、『次は自分かもしれない』と思えるような恐怖を煽る———そんな事件が起きないといけない」
「でも、そんなのただの連続殺人と変わらないじゃないか。頭のおかしい奴の犯行として終わっちまう」
「ああ。だが、単なる連続殺人犯と口裂け男では、違うところがある」
僕は良二に今回の計画を説明した。彼は黙って僕の話を聞いていたが、今回はすぐに否定した。
「まだダメだ、殺しが必要な理由になっていない」
良二の態度に、僕は一抹の不安を覚えた。こいつは、案外良心にとらわれているのかもしれない。倫理観よりも目的を優先できる人間でなければ、今回の計画は成り立たない。
良二は僕の様子を見て、言葉を付け加える。
「こっちも危ない橋を渡るんだ。あんたの考えを全部話してくれよ」
僕は良二の目を見る。彼は生まれながらにして、足に障害があり、カフェに入店する時も足を引き摺っていた。幼い頃は、障害のことでいじめを受け、家に篭もりがちであったそうだ。しかし、家族の支えもあってリハビリに勤しみ、今は無理できないながらも日常生活は問題がないまでに成長した。「家族のおかげでな」と、口にした彼の目は家族を愛する実直さがあった。
そんな真っ直ぐな目の奥には、僕と同じ黒々とした殺意が見える。彼は、人殺しに躊躇しているのではない。殺しに理由を求めているのだ。理性を内なる野獣に頬張らせるための、動機が欲しいと思っている。
「……事実が欲しいんだ」
「事実?」
良二の目は、僕を見据えたまま動かなかった。
「ああ。噂ってのは、常に『事実』との戦いだ。口裂け女がここまで流行したのは『目撃情報』があったからではなく、その目撃情報によって突き動かされた群集心理が、意味のない行動を巻き起こしたからだ」
口裂け女の影響を受け、パニックになった生徒のために「集団下校」が行われた。集団下校の原因が、口裂け女である必要はない。山岳地域の小学校で熊の目撃情報があれば、集団下校となる。そうすれば、小学生の間では「熊に襲われた人間がいるのかもしれない」と噂になるだろう。しかし、集団下校が行われなければ「気をつけたほうがいいかもしれない」と、些細な注意で終わってしまうのだ。
噂は、事実を求めている。集団の行動を引き起こすだけの、不安が必要なのだ。
「女達を殺す。その事件は猟奇的な殺人として報道される。報道規制はあるだろうが、いつしかその事件の裏側に、誰もが見過ごせない偶像的な存在が登場し、殺人が神聖化される」
「…その存在が、口裂け男だと」
僕は肯定する代わりに、アイスティーを一口飲んだ。良二もそれに倣って、ホットコーヒーを口にする。
「殺人を神聖化するには、カリスマ性が必要じゃないかなぁ」
良二がボソリと言う。
「…何?」
「いや、だからね」
良二の目は真っ黒であった。
「『この男になら殺されてもいい』って思えるような、信仰的なカリスマ性を持つ口裂け男を作り出すんですよ。そのためには囲いの信者を一から作る必要があるし、規模が大きくなればなるほどリスクも高くなりそうだよね」
良二はスラスラと言葉を繋いでいった。
「それに、長期的な洗脳が必要になる。そんな面倒くさいことをするなら、死ぬことに協力してくれる演者を探した方がよっぽど楽だ」
良二はそこで少年のような笑顔を見せ、視線を下に送る。彼はテーブルの横にあったスティックシュガーを三本手に取ると、自分の上着のポケットに入れた。
「クセなんですよ。例え使わないとわかっていても、使えるものは自分の手に収めておきたい。それが、人間だろうと何だろうと、ね」
口裂け男の作り方 アベ ヒサノジョウ @abe_hisanozyo
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