普通のお嬢様と年下執事の日常

ちはるの

第1話 -家に帰ったら、執事がいた-


「……疲れた」


今日も今日とて仕事終わり。私こと桂木小春(かつらぎこはる)、30歳独身彼氏無し。やっとの思いで自宅マンションへとたどり着いた。

エレベーターに乗りふと鏡を見ると、そこに写る自分の姿は疲れ切っていて、猫背と虚な目に、自分でふっと鼻で笑ってしまった。


「(夕飯……はもう冷凍でいいや。めんどくさい)」


部屋の前まで着き、鍵を開けて中に入る。しかし何かがおかしい。部屋の奥の電気が点いている。一瞬、朝電気を消し忘れた?と思ったけれど、そんな事は無い。確かに電気が消えている事を確認してから家を出た。だとしたら?不審者?

靴を脱いで恐る恐る廊下を進む。電気が点いているのはリビング。どうしよう。何かあった時のために、とりあえず玄関から持ってきた傘を構える。こんなので効果があるとは思えないけど。不審者だったら突く、そして叩く。

きしり、きしり、と進むごとに床が鳴る。どくどくと心臓が速いのがわかる。段々と見えてきたリビング。するとそこには、ソファに座っている焦茶の髪色で短髪で、少し癖毛の、男性。


「ひっ、……ふ、不審者!」


私の声に気付いた不審者が振り返る。端正な顔つきで、垂れ目気味の瞳。わぁ、可愛い系イケメン……じゃなくて!


「ひ、110番!」

「え?……あっ、待って待って!」


片方の手で持ってたスマホですぐに110番を掛けようとした時、不審者が立ち上がって私に近づく。座っていたからわからなかったけど、とても背が高い。その高身長からますます恐怖心が募る。


「こ、来ないで!」

「違う違う!俺不審者じゃないんです!」

「じゃあなんで私の部屋にいるの!ていうか誰?!」


片手で傘の先を不審者に向けて、片手でスマホを操作しようと構える。近づく不審者は燕尾服を着ていて、白の手袋をしている。まるで執事のコスプレをしているように見える。顔がイケメンだから妙に似合う。まぁ今はそれどころじゃないけれど。


「俺はこういう者です!」


両手で小さな紙を差し出して頭を下げる不審者。よくある名刺交換のような体制。不審に思いながら少しの沈黙の後、恐る恐るその紙を受け取る。その小さな紙は本当に名刺で、白い名刺の中央には名前が書かれている。


「派遣執事……六条……あお?」

「六条碧(ろくじょうあおい)です、お嬢様」

「………………は?お嬢様?」


にこりと爽やかな笑顔を見せたその男、六条碧は、胸に手を当てて挨拶をし始めた。


「本日より、お嬢様専属の執事となりました。どうぞよろしくお願い致します」

「………………………は、…………え?」


固まる私を他所に、その執事は懐から四つ折りの紙を取り出し、私の前で開いて見せた。


「こちらが契約書です。お嬢様のご両親様から、お部屋に入る許可はいただいております」

「え、ちょ、……待って待って、頭がついていかない」


頭がついていかない私のために彼がわかりやすく説明してくれたのはこうだ。

仕事で忙しくて家事が疎かになっている私のために、両親が勝手に執事の派遣会社に契約し、更にいつの間にか両親が私の部屋の合鍵を渡していて、今日から働く事になったけれど私は仕事でおらず、仕方ないので軽く部屋の掃除と夕飯を作って、私が帰宅するまでソファに座って待っていた、という事らしい。


「えーっと…………………つまり、本当に、執事?」

「はい、そうです」


人懐こそうな爽やかな笑顔を見せる彼、六条碧さん。多分、悪い人ではない、と思う。というか両親、なんで勝手に契約してるの。あと執事を雇うお金なんてあったのか。


「ではお嬢様、」

「待って」

「はい?」

「そのお嬢様っていうの、恥ずかしすぎる」

「そう、ですか?」


そうに決まってる。こちとら30歳なんだよ。30歳独身、生まれてこの方彼氏無し。そんな女をお嬢様だなんて、恥ずかしすぎる。どこの物語の世界ですか?


「おかしいでしょ、30歳でお嬢様だなんて……」

「うーん、でも俺にとってはお嬢様はお嬢様ですし……」


困った様子の六条さんは、考えるそぶりを見せた後、「じゃあ、」と口を開いた。


「小春お嬢様?」

「っ、…」


突然下の名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。こんなイケメンに名前を呼ばれたら誰だって恥ずかしくなるに決まってる。だめだ。これは破壊力が抜群すぎる。ふぅーーー、と深呼吸をして何とか色んな感情を押さえ込む。


「…………お嬢様で良いです」

「ふふ、かしこまりました」


なんか面白がってない?というか、六条さんは年齢はいくつなんだろうか。同い年、では無さそうな気がするけれど。


「あの、六条さん」

「お嬢様、俺の事は碧で良いですよ」

「え?……じゃあ、碧、さん?」

「さん呼びは何だか寂しいです……」

「えぇ………じゃあ、碧くん?」

「くんもいらないけど……まぁ今はそれで良いです。それで、何でしょうか?」

「あぁ、えっと、碧くんって何歳?」

「俺ですか?」

「うん」

「俺、今年25になりました」


その瞬間、私は雷を受けたかのように固まった。にじゅう、ごさい?高身長、イケメン、雰囲気は柔らかめで優しそうな(多分)ワンコ系執事、そして25歳。

こんな、こんな25歳がいて良いものなのだろうか。というか、本当に私の執事で良いのだろうか。もっとこう、高貴で上品で、格式の高いお屋敷のお嬢様の元へ派遣されるべきだったのでは?

眉間を押さえる私に、碧くんが心配そうな顔で覗き込んだ。


「あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫……」


ふぅ、と小さくため息をついた時、忘れていた事を思い出したかのように、きゅるる、と私のお腹が鳴った。そうだった。家に帰ってきてから何も口にしていない。恥ずかしくなりお腹を押さえると、目の前の碧くんが「ふふ、」と微笑んだ。


「夕飯、用意してあります。良かったら食べませんか?」

「………………食べる」

「では準備しますので、椅子に座って待っててください」


椅子に座って待っていると、手際よく着々と夕飯が準備されていった。バランスよく盛り付けられたサラダ、食欲をそそる良い匂いの鶏の照り焼き、ふわりと湯気が立つ味噌汁に、ほかほかのご飯。


「どうぞ、お嬢様」

「いただきます……」


味噌汁のお椀を持って、ふぅ、と少しだけ息を吹きかけて一口啜る。じんわりと染み込む味噌汁の味に、「ふはぁ……」となんとも情けない声が出てしまった。


「おいし……」

「良かった、喜んで頂けて何よりです」

「そういえば、碧くんは夕飯食べたの?」

「え?あぁ、俺はまだです。お嬢様に仕えるお時間が終わったら食べるので」

「仕える時間って……何時まで?」

「お嬢様がお休みになるまでです」

「それって寝る時間まで、って事?」

「はい」

「えぇ……それじゃあお腹空いちゃうでしょ。一緒に食べようよ」

「えっ」

「ほらほら、準備して。碧くんが準備しないなら私が準備しちゃうよ」

「えっ、あ、ダメです!自分で準備しますから!」


立ち上がりキッチンで炊飯器を開けると、慌てて側に寄ってきた碧くんに、持っていたしゃもじをするりと抜き取られてしまった。


「ダメですよ。お嬢様は座っててください」

「ふふ、わかった」


困ったように眉を下げる碧くん。意外と可愛いかもしれない。

準備し終わって、碧くんが目の前に座る。いや、わかってはいたけど、目の前にイケメンが座ると急に食べづらくなるな。


「いただきます」


碧くんが手を合わせて食べ始め、私も食事を再開する。

なんというか、碧くんは食べ方も綺麗だった。天は二物以上の物を与えすぎだ。動きを止めた私を見て、碧くんは食べる手を止めた。


「何かお口に合いませんでしたか?」

「ううん、ご飯はすごく美味しいよ。ありがとう」

「…?」


少しだけ首を傾げる様子に、碧くんの背後に子犬が見えたような気がした。可愛い。犬種は大型犬かな。

それにしても、今後はこうして碧くんにご飯だったり、掃除をしてもらったりと面倒を見てもらうのか…。なんか、嬉しい気持ちと、30歳独身女がこんな面倒を見てもらって良いのか?という複雑な気持ちが入り混じっている。


「お嬢様」

「は、はい!」


ぐるぐると思考を巡らせていた私を他所に、食べ終わって箸を置いた碧くんが、私の目を真っ直ぐと見つめる。その目つきは凛としていて、執事としての風貌がしっかりと現れている。


「俺は執事になってまだ3年目ですが、お嬢様にとって毎日が少しでも心安らぐよう、全力で仕えたいと思っています。なのでこれから、よろしくお願い致します」


深々と頭を下げた後、私に優しく微笑みかける。やばい。また胸が高鳴った。…………いやいや、違う違う、これはそんなんじゃない。碧くんは執事だから。ただの執事だから!

心の中で必死にそう言い聞かせて、目の前の碧くんに、なんとか私も微笑みかける。


「突然の事で驚いたけど、こちらこそよろしくね、碧くん」


ぱっと表情を明るくさせて、はい!と満面の笑顔を見せた碧くん。眩しい。眩しすぎる。彼の背後に尻尾をぶんぶんと振る大型犬が見えた気がした。というか、私はこの顔面に慣れる日は来るのか?

こうして私と、年下ワンコ系執事、六条碧くんとのなんとも不思議な生活が始まったのだった。

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普通のお嬢様と年下執事の日常 ちはるの @chiharuno017

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