依頼

晴れた空の下、俺はギルド前で背を向け、スマホを握りながら首だけキョロキョロさせていた。


屋台に砂利道、止めてある馬車も見える。

やけにみんな、俺のことをチラチラ見てくる。


なんとなく腹を押さえる。


泥だらけの子どもが「おにだぞー!」と叫びながら走り抜けていった。


すると、豚の生姜焼きみたいな匂いが漂ってきた。


……おー、あの肉絶対うまいだろ。うわ、あの紋章マジでイカついな。


少しだけ肩の力が抜けて、ぼんやりと雲を眺める。


はぁ、また、バカなあいつらに絡まれたらなぁ。


視線を戻し、指でスマホをなぞる。


んー、魔物アプリってのは増えたけど、“魔物ハウスはまだ”ロック中。


てか、こんなの一体なんの役に立つんだよ。


ひとつ、息を吐く。


ま、いいや、他にもやれることはあるし――


ギルドの扉の前に立つ。


「よし、入るか…」


ドアに手を伸ばして、ゆっくり開けた。


一歩、足を踏み入れた瞬間――


グキッ。


段差につまずいた。

「いって…」

下を向いて足をさする。


ゆっくり顔を上げると、冒険者たちが視界に入る。

全員、黙ったままテーブルの料理をじっと見つめていた。


猫耳の獣人も、今日は耳をぺたりと寝かせてるし。


思わず唇をつまむ。


昨日まであんなにうるさかったのに、どうなってんだよ…


静まり返った店内に目を向ける。


ランタンの明かりが、床に不規則な影を落としていた。

その影の上を、埃がふわりと漂っている。


そんな中、給仕だけが淡々と仕事をこなしている。


ハッとして、俺は首を傾げてから歩き出す。

チーズ……いや、血の匂いが鼻をついた。


嫌な汗が背中を伝う。

その時、誰かがぽつりとつぶやく。


「夜叉がいるなんて聞いてねぇよ…」


ちらっと見た冒険者の膝が、小さく震えていたのが見えた。


みんな、何にビビってんだ?夜叉?誰だよ、それ。


「……おい、次は神父かよ」

「昨日逃げた、あいつだろ」

「あん?知らねぇよ」

「ほら、あいつだって!」


ざわざわと騒めきが広がる。

天井を見上げて、もう一度だけ深呼吸する。


……もう逃げねぇよ、二度と。


ポケットの中で拳を作りながら、足早に二階へ向かう。


そして、掲示板の前に立ち、紙を一枚ずつ眺める。


「猫探しか……荷運びもあるな。へぇ、討伐系も」


肩に手を当てて首を回す。


どれもピンとこねぇなあ。


端から流し見した時、ふと目が止まった。


「家事で銀貨八枚? 工房掃除するだけか。いいじゃん、これ」


思わずニヤリとして、紙を指でペチッと弾く。


「結局、こういう地味なのしか選べねぇんだよな、俺」


ぽりぽりと頭をかきながら、小さく笑う。


よし、これに決めた。


依頼の紙を剥がして、ちょっと浮かれた足取りで受付に向かう。


受付の前には、黒い巫女みたいな女の子が立ってた。

その背中を見た瞬間、鳥肌が立つ。


……なんだ? あの子?


ぱっと見、冒険者って感じじゃねぇな。

俺も人のこと言えんけど。


とりあえず裾を直しながら後ろに並ぶ。


少女はティナよりは背が高いけど、俺と並ぶとやっぱ小さい。

頭の横に、小さな鬼の面――笑ってる、ような気がする。


つい、腰のあたりに目がいく。


脇差し……なんで持ってんだよ。

どこで拾ったんだ、そんなもん。


「ふふん、しっかり働くのじゃぞ。わらわ、忙しいんじゃからな?」


少女がくるっと振り向いたとき、赤髪が、蝋燭の炎のようにゆらめいた。

一瞬、澄んだ黒い瞳と視線が交わる。


その顔には、どこか謎めいた美しさがあった。

俺が通りすぎかけたとき、静かな花の香りがふわりと漂う。


少女がピタリと立ち止まった。


「ん、待て……お主、変、じゃな」


すっと顔を近づけてきて、スンスンと匂いを嗅いでくる。


「は、ちょ、えっ?」


「おかしいのう。……ふむ、まあ、よいのじゃ」


脇差しに手を添え、赤い帯を揺らしてすたすた歩き去った。


……最近風呂入ってねぇからか?


いや、それにしても一瞬マネキンかと思ったわ。


頬をかきながら、カウンターへ向く。

受付嬢が微妙に引きつった笑みを浮かべていた。


昨日の失敗が脳裏をよぎる。今度こそキメるしかねぇ。


「おはよう!依頼、ひとつ頼む!!」


受付嬢が一瞬目を丸くした後、口元に手を当てた。


「ふふっ、聞こえてますよ。元気そうで安心しました」


「ちょっと色々あってさ。今日は、ほら、な?」


どや顔で胸を張る。


受付嬢はペンをくるくる回してから、小さく息を吐いた。


「昨日のこと、ほんとに心配だったんですよ?急に出ていかれましたから」


「あれは……さすがに。……でも、悪かった」


受付嬢がぐっと身を乗り出してきた。


「服装もですが、昨日と比べると……別人みたいですね」


「そうだな。 ……ま、吹っ切れたかな」


「今日は、あの魔物ちゃんは一緒じゃないんですか?」


「ああ、子どもたちと遊んでるよ。あいつ、子ども好きみたいでさ」


受付嬢が静かに目を伏せて、髪を耳にかけた。


「なんだか、子どもたちのアイドルになってますね」


「アイドルか……いや、むしろマスコットだろ、あれは」


俺は依頼の紙を差し出す。


「それで、この依頼受けたいんだけど」


彼女は紙を受け取って、ぽんっとハンコを押したあと紙を渡してきた。


「はい、それでは流れを説明しますね。ランクアップには……色々手順がありますが、まあ、その……失敗された場合は、違約金が発生しますので」


……ランク? 今は目の前のことだけでいっぱいだな。


「違約金ね。了解。地道にやるしかねぇな」


ひとつ息をつき、腕を軽く回した。


受付嬢がちょっと肩をすくめて、「ええ、焦らずにいきましょう」と笑う。


「じゃ、行ってくる」


軽く手をあげて受付をあとにした。


ギルドの扉を押して外に出ると思わず背中を伸ばす。

まばらな人通りの中、砂利の音が耳に残った。


一度孤児院に寄ってシロルを迎えに行くと、嬉しそうにじゃれつく。

そのまま二人で依頼場所へ向かう。


そして、歩き続けるうちに、腰ほどの高さの土塀が見えてきた。

その奥には、木造の工房が、どんと構えている。


まるで、おとぎ話の雑貨屋みたいな外観だ。

木枠の大きな窓辺には、小さな花箱。


へえ、なかなかオシャレなとこだな。


風に揺られて古びた看板が小さく揺れている。

扉の前に立つと、どこからか油の匂いが漂ってきた。


思わずシロルと目を合わせる。

俺は小さく頷き、ゆっくり工房に足を踏み入れた。


中に入った瞬間、コンビニくらいの広さに圧倒され、呆然と立ち尽くした。

「コンッ」と鳴くシロルの声で、ようやく我に返る。


床に目をやると、そこらじゅうにガラクタが散らばっていた。

錆びたネジや歯車。置き場所に困ったって感じの、でかいバケツまで転がってる。


「ちょ、待て待て! これホントに通れるのか!?」


シロルは平然と前を歩いてる。

いや、行くしかねぇか。


慎重に進むと、足元でカラン、と何かが転がった。

金属の破片みたいなのを、俺の靴が軽く蹴ったらしい。


……マジで、どんだけ片付け下手なんだよ。


足元に気をつけつつ、棚沿いを歩いてじろじろ見ていく。

コップに皿、フライパン、壺……どれも雑多で、ちょっと手に取ってみたくなる。


思わず顎に手を当てて立ち止まる。


「ファンタジー世界つっても、やっぱ暮らしは暮らしだな」


……ん?カウンター横のアレ、どう見ても鎧と剣じゃねえか。


しかも、無造作に置かれてる黄金の鎧と剣。

襟には羽まで付いてるし、剣なんか柄まで宝石だらけだ。


神父服も悪くねえけど、ああいうのも一度は着てみてえな。


そんなこと考えてると、カウンターの向こうから「ゴソゴソ……」と何かを漁るような音が聞こえた。


「こんにちはー、誰かいるのかー?」


カウンターの下から、ひょこっと顔を出した小柄な少女。


ピンクのつなぎは薄汚れで、ちょっとだけ油が跳ねていた。

茶色い二つ結びの髪がゆれて、長い耳がぴくっと動く。


スパナを握ったままの革手袋で、浅黒い頬をゴシゴシ拭いている。


「お客さんっすか? ゴルド工房へよーこそっす! ……うちはキレイに見えて、だいたい何か落ちてるんで拾わないでくださいっす!」


彼女がニカッと笑って、ピースサインを突き出してきた。


うわ、マジでファンタジーだこれ!本物のドワーフ!?


思わず一歩下がると、足元がぐにゃりと沈んだ。

反射的に下を見たら、スライムがぷるぷる震えてる。


なにこれ、きもっ。


「えっ、なんで踏んでるんすか!?それ、ウチの力作の玩具、スライムくんびっくり箱なんすよ!!」


……こんなおもちゃ、リアルすぎてさすがに笑えねぇ。


ため息で棚のホコリまでふき飛んだ。


「いや、依頼で来たんだけど。まずはこの床、どうにかしないとムリだろ。」


俺は袖を上げながら、床のネジを一個つまみ上げた。

すると彼女はスパナをクルッと回し、ポンと置いた。


「お客さんじゃなくて、お手伝いっすか? ウチはノーナっす!」


急に振り向くと、背中をガリガリ掻きながら、


「師匠ーー! ギルドから依頼受けてくれる人が来てるっすよーー!」


ノーナはちらっとこっちを見て、ウィンクしてきた。


無意識に一歩引いた。朝イチで台風直撃するとは思わなかったわ。


そのとき、男のしわがれ声が返ってきた。


「おー、こっちは忙しいんだ。好きに掃除でも何でもやっとけ!」


適当なおっさんだな、と思いながらカウンターに近づき、ノーナに依頼書を渡した。


「ソーマだけど、先に片付けやっていいか? なんか、ここ落ち着かねぇ。」


「やる気っすね~……え、それ、魔物?!」


ノーナはシロルに今気づいたように、目をまん丸にした。


「ああ、うちの相棒。まずかったか?」


彼女は一瞬だけ眉をひそめた。


「あー……うちの村、まっ、魔物見ると、みんな一瞬で警戒モード入るんすよ」


ちらっとシロル見て、さらに声をひそめる。


「この前も、それで、いろいろ大変だったっすから」


「いやー、んー……でも、ウチは可愛いのは好……」


シロルがコン、と小さく鳴いてカウンターに飛び乗った。


「わっ、やめるっす! 師匠とか、こういうの苦手っすから!」


クーンと首を傾げて、ノーナをじっと見つめる。


……それ絶対わざとだろシロル。

いいぞいいぞ、もっと可愛さで攻めてけ!


「そ、その目やめてほしいっす……。

でも、大人しくしてくれるなら、まあ……ここだけ特別っす! 静かにしててほしいっす!」


彼女はシロルに向かって、人差し指を立てて“しーっ”とやった。


いい作戦だったな。あとでしっかり褒めとくか。

思わずシロルの頭を軽く撫でてやる。


「でも、ソーマさん、今が一番“やりがい”あるっすよ!

ここまで散らかってる時期、なかなか無いっすから!」


俺の顔を見て、舌をちょろっと出して笑った。


軽く首を回し、ゆっくり腕まくりする。


「はー……まあいいや。やるなら全力でやってやるわ!」


その後、ノーナはガラクタのネジをガチャガチャ締めながら、「今、工房は村の仕事で手いっぱいっす。掃除も洗濯も溜まりすぎて、手ぇ回んないっすよー」ってさ。


そんなこんなで日も傾き始めるころには、庭で洗濯に取り掛かってた。


桶に服つっこんで、ひたすらゴシゴシ。水が冷たすぎて指がいてぇ。

シロルは猫とじゃれて転げ回ってるし……俺だけ地味すぎじゃね?


ま、でも、あとはこいつを干して、今日の仕事は終わりってことで。


俺はグーッと背伸びして、桶を持って歩き始めた。


そのまま庭をのんびり回ってみる。


まずは物置を覗く。ほうきと壊れかけの樽しかない。

勝手口のほうにも行ってみる。花壇の脇に古いバケツと鍬が無造作に転がってる。


……物干し竿、どこにもねぇじゃん。


俺は桶を下ろして、腕を組みながらシロルの方をじっと見てた。


拳で手のひらを叩く。

あっ、そうか。


革命じゃね?これ。

物干し竿ないなら、出せばいいや。


スマホをシュッと取り出して、遊具カテゴリを開く。


「よし、新しい遊具、ついに解禁だな!」


画面をポチポチ――、設置完了。


鉄棒がポンッ。


それを見て軽く頷く。


そして、洗濯物を掛けながら、鼻歌なんか口ずさんでみる。


「ちっ、まだ足んねぇか…」


鉄棒はすでにパンパン。


俺は少しだけ空を見上げて、しばらく悩んだ。


……ま、こうなったら追加だな。


もう一回、スマホを取り出して遊具カテゴリを操作して――


設置。ジャングルジムが、ドーーーーーン!!


複雑に入り組んだパイプの塔が目の前に出現。


足りなかった洗濯物も、これなら余裕だろ。


ニヤッと笑って、服を掛けまくる。

風に揺れる様子を見ながら、思わず合掌。


「やっぱよく乾きそうだわ!現世の知恵、ナメんなよ」


ふと、ガツンと桶がつま先に当たる。

ハッと桶を覗き込む。


太い棒じゃ干せない物があるな……

しゃーなし、ウサギの造形遊具もポンッと設置。


俺はなにかを耳の上に置いて鼻を擦った。

そのまま切り株にドカッと腰を下ろし、ぼーっと服を眺めていた。


風が洗濯物を揺らすたび、肩を揉みながら羊を数える。

あー、退屈だな。乾くの待ってるだけって、地味に長ぇな。


ついスマホを取り出して、ポチポチいじる。


「昨日のメールでも見るか」


クエスト「思い出の品を探せ」/来場者10名。


……これ、どうすればいいんだよ。


その時、ガチャッと勝手口が開く音がした。


ん?ノーナか?


振り向くと、視界いっぱいにヒゲが迫ってきた。


「ワシ……これ、幻覚か? いや、現実か……? なんで庭が、こんな……」


おっさんはその場で固まって、目をパチクリさせていた。

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