目覚め

バタバタと足音が遠くで響く。犬の鳴き声も混じって、だんだん遠ざかっていく。

古びた木と湿った空気の匂い――この感覚、いつかどこかで。


ふっと、まぶたが開いた。


首を横に傾けるとビキッと痛みが走り、「うっ」と声が漏れた。

思わず手で押さえて、はあっと息を吐く。


「朝か? いや、窓ないから分かんねえし。……腹減ったな」


とりあえず無意識でポケット探って、スマホを手に取る。


「時間も止まったまんまか……」


画面に映る自分のボサボサ頭を見て、眉をひそめ、メールアプリを開く。


……だよな。


指でスマホをいじりながら、あのメールをもう一度表示する。


笑顔を増やせ……テーマパークか。


妹の夢。そういえば、あの時“作ってやる”って本気で言ったっけ。


俺は、あの約束、今でも覚えてる。


その約束を胸の奥で繰り返して、スマホの画面に視線を落とす。


すると、現実に引き戻された。


「そういや、インベントリアプリ……使ってなかったな」


どうせ何も入ってないんだろうけど、んー、もしかしたら?


髪をぐしゃっとかき上げる。


よし、できることからやってみるか。


思わず声が漏れると、小狐がぴくっと耳を揺らし「クーン」と鳴いた。


「ごめん、起こしちゃったか」


腹の上にいる小狐をそっとベッドの横に移す。


気を取り直して立ち上がり、軽く背伸びする。肩がゴキゴキ鳴った。


ふぅ……さてとっ。


スマホを取り出して、インベントリアプリをいじる。

目に入った「収納」マークがやけに主張してくる。


「これ、何でも入んのか?」


顎に手を当てて小狐をチラッと見た。


「いや、さすがにこいつはダメだろ」


机の方に目をやり、そーっと指を画面に下ろす。


「収納!」


ピカッと光って、机が忽然と消えた。


「うわ、マジで消えた!右上の数字も増えてるし……」


しばらく固まる。


顎に手を当てて、じっと画面を見つめる。


「……いや、返せる……よな?」


小さくつぶやいてみる。

でも、指先がじわっと汗ばむ。


手が震えて、スマホをタップしまくる。


……何も起こんねえ。


背後からじっとした視線を感じた。


指先がひゅっと冷たくなり、思わず息を止める。


振り返ると、小狐と目が合う。


小狐が呆れたように「コン……」


そのまま尻尾をぱたっと振って、毛布に頭を押し付けて寝る体勢に入った。


「くっ、朝の態度、別人すぎるだろ。これが低血圧メスの威力か……」


こめかみに指を当てて、目を細めた。


そのとき――


トントン。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


「うおっ!?はっ、はい!」


いきなりドア越しに声かけられて、心臓止まるかと思った。

胃がギュッと縮んで、思わず背中が丸くなる。


もう一度、トントン。


一瞬、動きが止まる。


「あ、その、まだちょっと準備が……!」


頭を抱えてバタバタ。その拍子にスマホも落とす。


カチャッ――


え、もう!? 待って、無理だって。


逃げ場も、机も、もうどこにもねえ。


だったら、これをやるしかねえ!!


……数秒、呼吸も忘れて固まる。


リュシアが入ってきた瞬間、俺は四つん這いになった。


もう隠れる場所なんてない。机も消した。

だったら、俺が机になるしか――ねえよな?


そろりと首だけ上げる。


彼女とバッチリ目が合い、くすっと笑われた。

それから何も言わずに、部屋の中をサラッと見てる。


「桶と着替えを持って……あら?」


背中に冷や汗。うわ、完全にやらかしたかもしれん。


一気に血の気が引いて、胃がキュッとなる。


「机はどこいったのかしら?」


思わずビクッて肩が跳ねる。下向いたまま固まって、心臓がバクバクだ。


「お…俺です。はい、俺が今日の机役です…」


リュシアがふっと微笑んだ、その時――


小狐が背中にぴょんって飛び乗って、もふもふ尻尾でお尻をペシッ。


「ちょ、やめっ…!今ほんとやめろって!こっち見んな、ニヤっとすんな!!」


俺は四つん這いのまま手をバタつかせる。背中に冷や汗がにじむ。


「……ふふっ、慌てなくてもいいですよ。なにかスキル、使いましたね?」


彼女の微笑みが逆に怖くて、ガバっと立ち上がった。


「ちょっ、うそっ!知ってるんですか!?」


「私は、少しだけ“人のことが分かる力”があるんです。……でも、スキルを複数持っている方は珍しいですね」


「……え、それってどういう……」


「深くは言えませんが。ですが、スキルは使われても大丈夫ですよ。」


「いやいや、そこ教えてくれないと困るんですけど?」


「うふふ、でも今は朝ごはんを食べてくださいね。大事な話はまた今度で。」


リュシアは軽く笑い、片目を閉じた。


は? スキル、バレてる――?

そもそも、俺自身まだ何ができるのか全然分かってねえ!!


「では、いたずらは程々に、あとで食堂に来てくださいね」


彼女は水桶と服、ついでに靴まで手渡し、裾を整えた。

軽く会釈すると、そのまますたすた部屋を出ていった。


ちょっと待ってくれよ。やべえ、気になる……!

置いてけぼりパターンじゃんこれ!


俺はしばらく天井のシミをぼーっと眺める。


ため息をはく。


バレてるならもういいや。


……まずは飯だな。


その時、


手に何かが引っかかる感触。


首を傾げる。


なんだこれ。


服を広げてみる。


……神父服じゃねえか!!


しばらくその服を見つめる。

くすっと鼻を鳴らしてしまった。


まあ、他に着るもんもないしな。

小狐も俺の足元でくるくる回ってる。


「なんだよ、お前はシスター志望か?」


小狐の足元に目がいった。

包帯のあたりが、ちゃんと乾いてる。


「おっ、よかったな。……でも、一応拭いとくか。」


俺は小狐の体を水桶の水でざっと拭いた。


パジャマを脱ぎ捨てて、自分も手早く体を拭く。


それから、例の神父服に袖を通した。

小狐を抱え鼻歌まじりで食堂に向かいながら、ふと思う。


……なんか忘れてる気がするけど、

ま、朝メシが最優先だよな。


ーー


それから俺は、リュシアと向かい合う形で、食堂のテーブルに座っていた。


パンをかじるたび、でかめの服がどうにも気になる。

肩パッドいてえな、なんて思いつつパンくずを指先でちまちま集めてしまう。


「神父様だー!」


廊下から顔を出した子どもが、目をキラキラさせてこちらを見ている。


「いや、俺は神父じゃねぇし……」


思わず小声でツッコミ入れて、目線を外す。


……はぁ、しかし。肩を揉み、スープを飲み干す。


それより問題は――金だ。


じっとリュシアを見つめる。


「俺でもできる仕事ってあります?」


「うーん……そうですね、今は……お願いできる仕事もないんです。教会もご覧の通り、誰も訪れなくて……」


「……ああ、そうですか」


リュシアがぽん、と手を叩いた。


「お探しなら、ギルドで依頼を受けるのが一番早いと思います」


「ギルド、か……うーん、行ってみ…ます」


「でも、あまり焦らないでくださいね?」


彼女は相変わらず穏やかな表情をしている。

俺は小さく息を吐き、椅子にもたれた。


「それと、そんなに敬語じゃなくていいですよ?そっちの方が落ち着きま

すから」


「あ、ほんとですか?じゃ……うん、じゃあ気楽に話します」


なんか、ちょっとだけ肩の力が抜けた気がした。


「お兄ちゃん、この子とお外で遊んでもいい?」


ティナが小狐を抱えて、ぱっと俺の前に立つ。

上目づかいでこっちを見る目、キラキラしてる。


「少しゆっくりしていかれてはどうですか?」


リュシアからそう言われ、俺はティナから視線を外す。

顎に手を当て、しばらく考え込んだ。


「……そうだな、じゃあ、ちょっとだけ」

まあ、試したいこともあったしちょうどいいか。


食堂を抜けて、外に出た。


庭の真ん中に、でっかい木が一本。

根元に座ってるのは、本を読んでる小さな女の子。


風が吹くたび、木漏れ日がちらちら揺れて、

他の子たちは小狐と一緒に走り回ってる。


俺はそれを見ながら、腹を擦っていた。

……トイレ行きてえな。


その時、後ろからコツコツ足音が聞こえてきた。


振り返ったら、影みたいなシスターがじっと立ってる。

子どもと間違えそうな背の低さ――なのに、なんか怖い。


その空気感、子どもどころじゃねぇ。


視線を下げると、胸にはやたらデカい十字架。


……いや、でかすぎだろ。


彼女がスッと俺の横に立つ。


無言。


前髪が顔にかかってて、目線が全然読めない。


しかも、その銀色の髪を指先でいじる仕草が、なんか妙に気になる。


こっちまでソワソワしてくるわ。


てか、気になってたこともある。いっそ聞いちまおう。


ちらっと横を向いて、彼女のほうに顔を寄せる。


「……あ、あの、ここ、どこなんだ?」


沈黙。


……あれ? 今、絶対聞こえたよな?

まさか、滑舌悪かった? いや、俺の声が小さすぎたか?


一瞬だけ、肩がビクッと動いた気がする。


十字架を握りしめ、小走りでティナのほうへ。

前髪の隙間から、赤い目がちらっと覗いた。


ティナの耳元でヒソヒソ。……なにやってんだ、この子ら。


ティナ「リエルナ王国だってさ」


「お、おっそ! 通訳かよ!? ワンテンポどころか1分経ったぞ!」


聞く人間違ったか? 


でも、ちゃんと答えてくれるし悪い人じゃねえのかも。


シスターが俺のほうに戻ってくる。

気づけば、じっと見ていた。


また、彼女は何も言わずティナの横へ。

ティナ「“何見てんの?”ってさ」


シスターがバサッと前髪をかき分けた。


「顔怖っ!!いや、もうちょい柔らかく……てかマジで通訳芸やめてぇ!?」


このシスター、しゃべらねえのに攻撃力高いな。

でも、すげえ気になる。なんか、意地でも喋らせてみたくなってきた。


俺は下を向いて足元の土を、靴で軽く擦る。


その後、なんとかティナのやり取りを挟んで色々聞いた。


彼女はマリエ。ここはラネール村の孤児院。

教会がくっついてて、村全体は某ランドくらい広いって言ってた。


ここじゃ神父見習いとして面倒見てもらえるって話。

神父見習いって正直ピンとこないけど、めっちゃ助かる。


でも、そこが俺の限界だった。

このペースで聞いてたら日が暮れちまうよ!!


っと……まあ、そんなわけで。


いつの間にか、時間だけがゆっくり流れてた。


今はただ、暑い日差しの中で、隣のやけにいい匂いのシスターと、

みんなが楽しそうに走り回ってるのを、ぼーっと眺めてる。


小狐もだいぶ仲良くなったみたいだな。

そういえば、美咲も昔はよく公園で猫と遊んでたっけ。


ブランコなんかもよく乗ってたなあ。


美咲と笑いあってた日々が、ふっと頭に浮かんだ。


この世界にも?……たぶんねえよな。


肩に手を置き、ぐっと握る。


よし、クエスト一つ片付けてみるか。


てか、スキル使っていいよな?


スマホも他人からは見えてないらしいが…………まあ、大丈夫か。


なんか分かるかもしんねえし。


そう思いながら、俺はポケットから恐る恐るスマホを取り出した。


軽くまわりを見渡して、手を振る。


「おーい、みんなー!すっげーの見せてやるから集まれーっ!」


子どもたちが押し合いへし合い、わーっと集まってきた。

小狐まで「コンコン!」と混ざって騒いでいる。


「なになにー!?」「すげーの!?」「……ふーん?」


「うおー!見せて見せてー!」「早くやって! はやくー!」


俺はドヤ顔でスマホを掲げ、


「おっしゃあ!みんな、心の準備はできてるか!?いっくぞーーーッ!!」


そのまま設置ボタンをバシッとタップした。


胸がドクン!


体の奥からスッ!と何かが抜けていく感覚。


光がビカッと弾け、目の前にブランコがドーン!


子どもたちは一瞬、ポカンと口を開けて固まった。


「……なにあれ!?」「でっか!」「えっ?」


「椅子?」「なんで揺れてるの!?」


みんな、腰が引けてビビりまくってる。

マリエが目をぎょっとさせて、少し距離を取った。


俺は小さく首をかしげた。


なんだ? やっちまったか? これ、怒られるパターン?


小さく肩をすくめて様子をうかがった。


「うわあ、これ、ふしぎだね!触ってもいい?」


ティナは目をキラキラさせながら、もう手を伸ばしかけている。


「ん? あっ、ああ、いいぞ。……まあ、まずは俺が見せてやるよ!」


横目でマリエをちらりと確認して、子どもたちに向き直る。


彼女の反応も気になるけど――


でもまあ、子どもたちが笑ってくれてる。……今はそれで十分だろ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る