はじめての居場所
夕暮れの広場。オレンジ色の光が残ってる。
俺は栗色ショートの女の子と向き合って立っていた。
静かすぎて、なんか変な感じだ。
女の子がゆっくりこっちを見る。その目は妙に優しい。
ふいに胸がざわついた。
なんでこんなに緊張してんだ、俺。
小狐が「コンコン」と小さく鳴いて、少女にゆっくりと近づいていく。
「きゃっ、魔物!?」
少女は一歩引いて、手に持ってた花をぽろっと落とした。
目が合うと、ビクッと息を呑んだように見えた。
やば……また避けられたら最悪だな。
背中が丸まって、無駄に肩もすくめる。
思わず慌てて声を出す。
「あ、だ、大丈夫。こいつ、俺の友達だから……たぶん。」
少女はじっと俺を見て、小さく首を傾げる。
「……ほんと?」
俺は小さくうなずいた。
素で『友達』とか言っちゃった。なんだこれ。
顔が勝手に熱くなった。
小狐は少女の足元でぺたん。しっぽふりふり、「敵意ゼロ」って顔してる。
「……本当に噛んだりしないの?」
俺はゆっくり頷いた。
花を拾おうとした少女の手が、かすかに震えていた。
小狐がゆっくり花を鼻先でつついて返すと、広場の空気がほんの少しだけやわらかくなる。
「……かわいい」
ぽそっと呟いた声、思ったよりはっきり聞こえた。
少女は、しばらくその場で固まっていた。
「……こわい、けど……」
少女が小さく息を吸い込むのが分かった。
おそるおそる指先を伸ばして、小狐の毛にそっと触れる。
「あっ、この子、怪我してる!!」
何かに気づいたように、小狐の足元をじっと見ていた。
見れば、足に巻いた布に血が滲んでる。
小狐が「コンコン」と甘えるみたいに少女の手に鼻をすりつける。
ちょっと戸惑いながらも、やさしく背中をなでていた。
2人のやりとりを眺めてたら、肩の力抜けた。
小狐の傷を見つめて、小さく息を吐く。
「うーん、傷は軽そうだけど……でも早くきれいにしてやりたいな。
洗える場所、どっかないか?」
頭をかきながら、少女に尋ねた。
少女は、ふっと笑って頷いた。
「えっと……その、うち来る? 別に、嫌だったらいいけど」
少女がモジモジしながら言う。
「マジで? いいのか?」
「うん。……シスターにも言われてるし。困ってる人、放っておけないって……」
「シスターって、教会?」
「そう、シスター!んー、すごく大事な人!!」
その顔が、一瞬でぱあっと花開くみたいに明るくなった。
「お兄ちゃん、行くとこないんでしょ?」
「……いや、それは……なんで分かった?」
「だって、そんな顔してるもん。……私も昔、そんな感じだったし」
少女はちょっと照れくさそうに、でもまっすぐ手を伸ばしてきた。
「ほら、迷ってるなら、早くしないと風邪ひくよ?」
俺は何も言えず、その手を見つめていた。
視線を下げると、小さな手。
迷子の俺には、それが唯一の出口に見えた。
「お兄ちゃん?早く行こ!」
「……あっ、ありがとな」
少女の手を取って立ち上がり、小狐をそっと抱えた。
そのまま手つないで歩いたら、広場の影がやたら長くなってるのに気づいた。
いつの間にか、ほとんど人影が残っていない。
夕暮れのなか、少女と並んで歩く。
小狐が腕の中でもぞもぞする。……くすぐってえなあ。
そう思ってると、土壁がすぐそこまで迫っていた。
さっきまでうるさかった村の声も、気づいたら消えてる。
気づけば、人気のないところまで来ていた。
なんだか妙に不安になってくる。
まさかこのままどっか連れ去られるとか、なんて、ありえねえよな。
そして、いつの間にかけっこう村のはじっこまで来てた。
「お兄ちゃん、変な格好だね」
急に言われて、思わず自分の服を見下ろす。
「いや、着るもん他になかっただけ。慌ててたしな。」
嘘はついてねえ。勝手に飛ばされただけだし。
俺は肩を竦めた。それから、少女に目をやる。
「これ、俺の国じゃめっちゃ流行ってるんだぞ?」
「でも、見たことないよ。そんな服……それに……」
少女はちらりと俺の足元に視線を落とす。
「痛くないの? お兄ちゃんの国は、靴履かないの?」
「痛いぞ! めっちゃ痛い!! でも、急いでたから、靴は履き忘れてなあ」
俺は思わず、その場で片足を上げてみせる。
裸足で異世界転移するやつ、他にいる? 俺だけじゃね?
「あはは、裸足で来たの? お兄ちゃんってドジだなー!」
少女が笑いながら言う。
「ちょい、笑いすぎだぞ! 痛いんだって!」
俺はつい、つないでた手を少し高く上げる。
「もう、やめてよー」
あれ? いつの間にか肩の力抜けてきたかも。
小さく息をつく。
そのとき、少女が「あそこだよ」と指さした。
ふと立ち止まって、指の先を追う。
正面に、ちょっと古びた教会が見えた。
石と木でできてて、周りにはきれいに手入れされた花壇が並んでる。
あれ、入口の前に誰か立ってる。
逆光で、顔までは全然見えない。
でも、じっとこっち見てる気がする。
……なんか怖いな。
俺たちが近づくと、その人は静かにこちらを見つめてきた。
修道服を着た、年配の女の人だった。
「今日はいつもより帰り遅かったのね。心配したんですよ?」
彼女の声が柔らかくて、思わずほっとする。
「ねぇ、このお兄ちゃん、困ってるんだって! 助けてあげようよ!」
目が合った瞬間、シスターはじっと俺を見つめる。
温かいのに、なんだか見透かされてる気がする。
「あと、この子も怪我してるの」
少女が小狐を指さすと、シスターは小さくうなずく。
「ええ、お話はあとでゆっくり聞きますから、今はまず体を休めましょう。あなたもこちらへ」
そう促されて、俺は思わず足が止まる。
「……い、いいんですか? 魔物もいるんですが……」
シスターはそんな俺に、微笑みを向けた。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。ここは、困った人のための家ですからね。」
「あっ、ありがとうございます……」
彼女がやさしく手を差し伸べてくれる。
思わず、俺は小さく頭を下げた。
そのまま案内されて、教会の中へと足を踏み入れる。
中はしんと静かで、ちょっとだけカビっぽい匂いが鼻についた。
3人で教会の奥へと向かう。
廊下を抜けて、小さな部屋に入った。
よくわかんねえけど、ここ、落ち着くな。
ボーッと立ってたら、シスターがすぐに桶に水を汲んできてくれた。
小狐は、俺の腕の中からぴょんと跳び下りる。
「じゃあ、まずはこの子の足を洗いましょうか」
そう言って、シスターが小狐の足をそっと水で流す。
泥と血がゆっくり落ちていくたび、小狐はくすぐったそうに体を縮めた。
「魔物が怖くないんですか?」
シスターは小狐を見つめてほんの一瞬だけ、目が揺れた。
「昔から、この家にはいろんな子が来てたんですよ。人間も、それ以外の子も。
困ってる子はみんな同じです」
「人間以外も……ですか? ここ、いいですね」
「ふふ、さあ、あなたも足を洗いましょう。ずいぶん歩いたでしょう?」
彼女が桶を差し出す手がちょっとだけ震えてる。
それでも、すぐに柔らかく微笑む。
俺も言われるまま、桶の水で足を拭かせてもらう。
冷たくて、思わずプルッと身震いする。
……やば、俺の足、くせぇかも。
シスターが清潔な布を持ってきて、小狐の足に巻いてくれる。
「ごめんなさいね。治療スキルを持っている者が教会にはいなくて……
できるのは、こうして薬草と包帯で傷を守ることくらいなんです」
「いえ、本当に助かりました……ありがとうございます!」
何回も頭を下げてしまった。
コン! と小狐も鳴いて、ちょこんとシスターの足元に頭を下げた。
「あらあら、ほんとにお利口さんね」
「わー、かしこい!すごいね!」
小狐はさらにしっぽをふりふりして、なんだか誇らしげだった。
俺も、思わず笑みがこぼれる。
「そういえば、お名前はなんていうんでしょう?」
彼女の優しい視線が俺に向く。
夢野想馬だけど……ここでは“ソーマ”でいっか。
「えっと、ソーマです。」
「あら、ソーマさんっていうんですね。私はリュシアです。」
シスター・リュシアは、にこやかに頷いてくれる。
「私はティナだよ!」
ティナが元気よく手を挙げる。その勢いに、思わず目が泳ぐ。
……なんだそのテンション。
「さあ、夕食の用意も頼んであります。きっとお腹も空いているでしょう?」
「はい……。お金がなくて……」
思わず目を逸らして、近くの壁を見た。
「質素なものしかありませんけど、遠慮せず食べてくださいね。
それに……寝床もないのでしょう? 今日は泊まっていっていいですよ」
「すみません、そんなにしてもらって」
俺は下を見てぎゅっと目を瞑り、息を吐き出す。
そして、ゆっくり顔上げた。
リュシアがやさしく微笑む。
「いえ、いいんですよ」
「お兄ちゃん、こっちだよ!」
急にティナに腕を引かれて、俺は思わず立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと待てって!」
ティナのペースに巻き込まれたまま、小狐を抱えて、廊下を歩き出す。
床がギシギシ鳴る。後ろから足音。
横見たら、小さい窓から月の光が入ってて――
そのせいか、ティナの顔がやけにハッキリ見えた。
なんか、ちょっと見とれてしまった。
パンの匂いも、遠くからふんわり流れてきた。
そのまま食堂の扉が開く。
食堂には、すでに何人かの子どもたちが集まっていた。
細くて小さな体つきの子ばかりだ。
でも、笑い声は元気いっぱいで――なんだか、ほっとする。
ふと視線の先。向こうには修道服の女の人。やけに可愛く見える。
「え……だれ?」
「なんで魔物がいるの!?」
「ちっちゃい、かわいい〜!」
「いいな、さわってみたい!」
子供たちがワイワイ俺を取り囲む。
その空気を断ち切るように、パンッと手を叩く音が響いた。
「さあ、あなたはそちらに座って」
リュシアが静かに促してくれる。
俺は言われるまま、そっと椅子に腰かけた。
湯気の立つスープと素朴なパンが、テーブルに並んでいる。
今の俺には涎が出るくらいうまそうに見える。
一瞬、手が止まる。
「いただきましょう」
「……いただきます」
パンをちぎる指先が少しだけ震えていた。
一口かじると、パンの甘さが――遅れて、塩気がじわっと広がる。
……ああ、こんな味、日本じゃ食ったことない。
口の端にパンくずがついてるのも気にせず、夢中でかじりつく。
気づけば小狐が俺の足元で、ちっちゃな前足でパンをつかんで――
「……お前、器用だな」
小狐が“クゥン”と鳴いて、パンを落としそうになりながらも必死。
俺は笑いそうになって、
でも――ほんの少しだけ、涙が浮かぶ。
一日中、裸足で歩き回って、
やっと、誰かの“優しさ”に触れたんだ。
「……うまいな」
息をつく。
リュシアが立ち上がった。
静かに近づいて、
俺の肩に毛布をかけてくれる。
「無理なさらないでください」
俺はリュシアに小さく視線を送った。
「……ありがとう」
そのまま、毛布の端を、無意識にぎゅっと握りしめた。
まぶたが、だんだん重くなっていく。
「はあ……」
軽く首をまわして、肩の力を抜く。
「お、お疲れでしょう。事情は、明日聞かせていただくとして……お部屋に案内しますね」
リュシアが小さくスカートを直しながら、
ほんの少し急ぎ足で扉へと歩いていった。
「……こんな優しくされたの、ほんと久しぶりです」
彼女は振り返ってふふっと小さく笑った。
食堂を出ると、さっきまでの賑やかな声が遠ざかっていく。
廊下を歩けば、足音と床のギシギシだけがやけに大きく響いた。
やけに静かだな。
リュシアに導かれて、奥の部屋へと入った。
小さなベッドがひとつ。「では、ごゆっくり」と彼女が言って、ドアが静かに閉じられた。
俺はベッドにそのまま倒れ込んだ。
すぐに小狐がよじ登ってきて、俺の胸の上でまるくなる。
「あー……」
天井をぼんやりと見上げる。
小狐の頭をぽんと触る。
こいつも、うとうとしてんな。
……なんか、俺も眠くなってきた。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
今日はほんと、きつかった。
でも――こんな温かい場所、忘れてた気がする。
いつ以来だったかな。
気がつけば、手が自然と胸のあたりに伸びていた。
明日からどうなるかなんて、さっぱりだ。
……元の世界に帰れるかどうかも分かんねえし。
それに、こんなままじゃ情けねえな…
拳をぎゅっと握る。
俺にできること――せめて一つくらい、見つけてやる。
この世界で、ちゃんと生き抜いてみせる。
体中の力が抜けて、気づけば目を閉じていた。
そのまま静かに、眠りに落ちた。
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