小狐と初めての村
小道のど真ん中で、俺は呆然と立ち尽くしていた。
柔らかい日差しが、ぽつぽつ差し込んでくる。
土道にはまだ露がうっすら残ってて、足裏が少し冷たい。
さっきの女の子の顔が、まだ頭から離れない。
「……ハッ!今の見た目、俺、そんなに怪しかったか!?いや、パジャマ姿でウロウロしてたらそりゃ不審者だろ」
思わず自分の服を見下ろして、ため息が漏れる。
でも、あの子が逃げていった先に、村があるってことだよな?
「あんなに警戒されてた俺が行って、本当に大丈夫か?
また変な目で見られるんじゃ……」
ちらりと腕の中の小狐を見る。
「なあ……あっちに、行ってみるか?」
「コンッ」
小さく鳴いて、こっちを見上げてきた。
「……よし、行ってみるか」
悩んでても、しょうがないしな。
ストーカーみたいだけど、今は目をつぶってくれ。
小狐をしっかりと抱き直して、小道を歩き出す。
腕の中で、小さな体がぴくりと震えるたびに、俺もなんだか心細くなる。
何度か深呼吸しながら、しばらく土の道を進む。
視界の先に、土色の壁が現れた。
やっと人の気配……助かった、のか?
はぁ、マジで死ぬかと思った。
そっと小狐の頭を撫でながら、俺は村の門へと足を進めた。
門に近づくと、突然「待て!!」という怒鳴り声が響いた。
ビクッとして顔を上げると、門のそばに立っていた衛兵っぽい男が、こちらを睨みつけている。
「おい、そこのヤツ!そいつ、魔物じゃないのか!?」
衛兵が大声で叫ぶ。
「えっ、いやっ、その……動物、です?……え、えっと……ち、違うんですけど!」
思わず声が裏返る。 自分でも何言ってるのか分からない。
急に怒鳴られて、一瞬、思考が完全にストップした。
腕の中の小狐が、びっくりしてこっちを見る。
え、俺が悪いの!?こっちだって初日なんだよ!!
あたふたと口ごもっていると、衛兵はさらに険しい顔で一歩近づいてきた。
「見た感じ、お前、冒険者には見えんが……。ここは辺境だぞ! お前、一体どこの世界の常識で生きてるんだ?」
衛兵が早口でまくしたてる。
いや、なんかすごい親切に説明してくれたな。
「えっと……どこって、日本です……」
「ニホン? そんな国、この大陸にはないぞ?俺をバカにしてんのか?」
なんかやばい。このままじゃ、村に入れてもらうどころか本気で捕まりそうな勢いだ。
いや、たしかに女の子を尾行してここまで来たけど。
「おい! 聞いてるのか!!」
「え、は、はい!?す、すみません、なんでしたっけ?」
「だから!お前、テイムスキルでも持ってるのかって聞いてんだよ!」
「あっ……え、えっと……」
頭が真っ白で、衛兵の言葉が全然追いつかない。
でも、なんとなく分かる。やばい質問だってことだけは。
テイム……? ここで否定したら詰む――もう、勢いで乗り切れ!
「どうした!! 早く答えろ!!」
「は、は、はいっ……持って、持ってますぅーっ!
怒鳴られると頭真っ白になるんでやめてくださいよ!!」
「……わかった。じゃあ、見せてみろ。」
「み、み、み……見せる……のっ!?」
何をどうすりゃいいんだよ!
見せろって何見せんだよ、無茶ぶりすぎだろ!
俺は汗をかいた手で小狐をギュッと握りしめ、無意識に後ずさりしそうになる。
視線は泳ぐし、口元も変に引きつってしまう。
「ほら、その魔物、好きに動かせるんだろ?なんかやってみろ。」
衛兵は半分バカにしたような顔で俺を見ていた。
いや無理だって!
「え、えっと……」それしか出てこない。
その瞬間、小狐が腕の中から鼻でつんつんしてきた。
もがきながら、ぴょんっと地面に飛び降りる。
「お、おい!? ちょっと待てって!」
呼び止めたけど、小狐は気にも留めずふらふらと歩き出し、少し離れたところでちょこんと座り込んだ。
「グズグズするな!こっちも忙しいんだ!!」
衛兵がイライラした様子で門の方を振り返る。
大声が響いたせいか、門のあたりにはいつの間にか人だかりができ始めていた。
俺は思わず額に手を当てた。
ああ、やばい。野次馬まで集まってきた。これ、もしできなかったら即アウトだろ。
「わ、わかりました……」
声まで震えてるのが自分でも分かる。
なんか方法、ないか……?頼む、ひらめけ俺!
小狐は“大丈夫とでも言ってるような目”でこっちを見てくる。
いや、なんでこいつだけこんな余裕なんだ……俺が小物すぎ?
「いいのか? お前を信じて」
小声でぼそっと呟いてみる。
――当然、返事なんてあるわけない。
だけど、小狐はほんの一瞬だけ、
こっちを見て、首をかしげたような気がした。
(考えてもしゃーねぇ!勢い勝負だ!)
とりあえず犬に命令するノリでいってみる。
「お、おすわりっ!」
ビビりながら言うと、小狐はちょこんと座った。
「おおおおっ……!」
「おおおおっ……!」
俺と衛兵、ほぼ同時に声を上げる。
「……なんでお前も驚いてるんだ!」
「い、いえ……びっくりしちゃって……!」
いや、普通に言うこと聞くのかよ!
異世界の魔物って、こんなに素直なの?
続けて「お手!」や「くるくる回れ!」と命令してみた。
小狐は全部、予想以上にあっさり従う。
衛兵はしばらく無言で見ていたが、 やがて諦めたようにため息をついて――
「許可はする。だが、面倒ごとは俺に持ち込むなよ?」
めっちゃ警戒されてるけど……まあ、とりあえず追い出されなかった。
変な汗かいたわ。
その時、衛兵が門の方を振り返り、大声で誰かに呼びかけた。
「おい!昔の認可布、どっか残ってるか?」
門の方から、別の衛兵の声が返ってくる。
「ギルドだろ。俺が知るわけねえって」
「ほら、ギルドに行け。金もかからんし……その格好、さすがにひどいぞ」
衛兵のやり取りを一通り見届けて、「わかりました」とだけ返し、小狐を抱き上げて門の方へ歩き出す。
門の前に集まっていた村人たちは、俺と小狐をまるで珍獣でも見るみたいな目でジロジロ見てくる。
中には、あからさまな嫌悪や警戒――いや、ほとんど憎悪すら混じった視線もあった。
上司の説教なんて可愛いもんだったな……。
異世界の洗礼、まじで胃が痛いんだけど。
歩きながら、小狐の頭をそっと撫でてやる。
「ありがとな、お前が言うこと聞いてくれなきゃマジで詰んでたわ……」
小狐は「コンコンッ」と嬉しそうに鳴いた。
門の前まで行くと、さっきとは違う若い衛兵が立っていた。
「場所、分かんねえだろ? ギルドまで案内してやるよ」
「……ありがとうございます」
さっきの衛兵よりもいくらか年下で、どことなく気さくな雰囲気があった。
門からギルドまで歩くあいだ、思わず小さく息をつく。
――なんとか村には入れた。
入った瞬間、肉の匂いがして腹が鳴る。
「……腹減ったな」
腹を押さえながら、村の中をそろそろ歩き出す。
人の声も動物の鳴き声も混ざって賑やか。犬も普通に歩いてるし。
そわそわしながら村を見渡すと、土壁や木造の家が並んでて、まるで絵本の世界みたいだ。
おー、美人も多いな。
あの人、こっち睨んでる? まあ、嫌いじゃないけど。
よそ者には空気が冷たいのは、どこの世界も一緒か。
小狐がそっと俺の腕にしがみついてきた。
それだけで、ちょっとだけ気が楽になる。
でも、すげえよ。これが本当に“異世界の村”か。
こんな場所で生きていくのも、案外悪くないかもな。
俺は隣の衛兵をチラッと見る。
「あんなにあっさり通してくれるんすね」
「ここは田舎だからな、スキル検査なんか面倒でやってられねえよ。都会の真似ごとはしねえ。」
え、そんなんでいいのか……。いや、ありがたいけどさ。
ぼんやり歩いてたら、もうギルドの前だった。
拍子抜けするくらい、あっという間だ。
「ここだ!」とやたら自慢げに言うけど、振り返ると門がすぐそこ――せいぜい50メートルくらいしか離れてない。
絶対サボりたかっただけだろ、これ。
衛兵は「じゃあな」と言いかけて、
ふと俺の服を上から下までじろじろ眺めた。
「……しっかし、お前、変わった服着てんなぁ」
「ん? ああ……」
ちょっと呆れたような顔でそう言うと、手をヒラヒラ振りながら門のほうへ帰っていった。
俺は小さく「ありがとう」と礼を言い、ギルドの建物を見上げる。
ギルドは、木と石の二階建て。でっかい紋章の看板が目立つ。
扉は重そうだけど、中からは笑い声やら騒ぎやら、やたら賑やかだ。
ここか……金もねえし、何か依頼でも受けれりゃいいんだけどな。
まあ、パジャマの新参なんて絶対浮くだろうけど。
頼むから、マジでトラブルだけは勘弁してくれよ。
小狐と目が合う。
お互いちょっとだけ、不安そうな顔になった。
「……よし、入ってみるか。」
思いきって扉を押す。
木のドアがギギギ……って、絶対油足りてないだろ、これ。
中に入ると、酒と香草と焼き肉の匂いがごちゃ混ぜ。
木の床は「ミシッ」と鳴るし、壁には例の紋章がでかでかと。
奥のカウンターじゃデカいオッサンがジョッキでガブ飲みしてるし、
手前の猫耳女の子はパンをかじってパン粉だらけ。
ほんとに猫耳、動くんだな。変なとこばっか見てしまう。
ギルドの賑やかさが、じわじわ消えていった。
「……魔物?」とか「何あれ?」ってヒソヒソ聞こえてくる。
「こっち見んなよ」と心で叫びつつ、
どう見ても俺の方が“珍獣”扱い。
いや、注目浴びるのは想定内だ。
絶対に場の空気に負けねえ!
……と意気込んでみたものの、カウンターっぽい場所がどこか分からない。
とりあえず勢いで声を張り上げ――
……るつもりが、盛大に声が裏返った。
「す、すいませぇぇん! えっと……テイムスキル用の、魔物の……その、目印?みたいなの、もらえたりします……?」
静まり返ったギルドで、小狐まで不思議そうに俺を見上げてくる。
あ、これ完全に浮いたな、俺。
冒険者っぽい服の連中が、ちらっとこっちを見てはすぐ目を逸らす。
“何あれ”って遠巻きの視線、刺さる。
マジで、この空気……耐えられん。
「はーい」
不意に上の方から声が響いた。
俺は声のする方へ階段を上がっていく。
受付カウンターの向こうにいるのは、
茶髪でリボンの女の人。ペンをくるくる回しながら書類に目を落としてる。
胸元、ちょっと開きすぎじゃない?しかも、顔もキレイ。
正直、めっちゃタイプかもしれん。てか、俺、今ガン見してないか?
近づいた瞬間、彼女がにこっと愛想よく微笑む。
思わずビクッとして、半歩だけ後ずさった。ドキッとしすぎだろ、俺。
受付嬢の目が、不意に小狐へと向いた。
「本当にテイムスキルなんですか?」
一瞬だけ声が震えてる。
「この子が……魔物、ですよね?」
「そ、そうです……えっと、可愛いでしょ?」
受付嬢は一瞬ぽかんとして、それから慌てて笑顔を作る。
「そ、そうですね……すごく、おとなしい子なんですね」
なんか気まずい空気になってしまった気がして、俺は小狐の頭をそっと撫でた。
小狐は「コンッ」と得意げに鳴く。お前だけは自信満々だな。
「少々お待ちください。今、認可布を持ってきますね」
そう言うと、彼女は一度俺の服をじっと見て、小さく首をかしげた。
そんな目で見ないでくれええ。
そのまま奥に消えて、すぐ軽快な足取りで戻ってきた。
なんという身のこなし、これが“ギルドのプロ”ってやつか?
「古いやつですけど……一応まだ使えるんで!」
そう言って受付嬢は小さな布を差し出した。
「これ、首に巻いてあげてくださいね」
俺はそれを受け取り、小狐につけてみるか?と声をかけてみた。
「コンッ」と元気に返事をしたので、首に巻こうとした――が、なぜか思いっきり首を振って拒否された。
「どうした?嫌なのか?」と訊ねると、小狐は
ぷいっと顔を背けて、耳までしょんぼり倒し気味。
「え、そんなに嫌なの?」と焦って布を見せると、
ジト目でじーっと俺を睨んでくる。
“それ、趣味じゃないんだけど?”みたいな目つき。圧。
受付嬢が「リボン風にしたらどうですか?」と優しくアドバイス。
「いや、そんなメスじゃあるまいし――」
……ガブッ!!
不意打ちで思いっきり手を噛まれる。「いってぇ!?」
小狐はプイッとさらに横を向いたあと、
リボンを“ちらっ”と見て、小さく鼻を鳴らす。
内心「やっと分かった?」みたいなドヤ顔
試しに布をリボンっぽく結び直して見せると――
しっぽぶんぶん!耳ぴょこぴょこ!
嬉しそうに足踏みして、
「コンッ!」と満足げに鳴いて胸を張る。
「まさか……お前、メスだったのか?」
小狐はぷいっとそっぽを向いたけど、
リボンだけは、まんざらでもなさそうにしっかり首に巻いている。
なんだよ……ツンデレか? それとも、ただのオシャレ好き?
思わず苦笑いしながら、
小狐の頭をそっと撫でてみた。
そしたら――
一瞬だけ、しっぽがふわっと揺れる。
やっぱり、まだまだ簡単には懐かないらしい。
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