異世界で目覚めて、最初の出会い

「……どこだよ、ここ」


顔を上げた瞬間、思わず息が詰まった。

木ばっかり。風が、やけに冷たくて、生ぬるい。

しかも俺――パジャマのまま立ってる。


「……は? 寝ぼけてる……のか?」


足元を見れば、裸足。土の感触がじわじわ沁みてくる。

頭の奥で、焦りと“まさか”がグルグル回る。

土を掴んでみる。冷たくてザラザラしてる。自分の頬も触って、ちゃんと感覚がある。

裸足で少し歩くと、朝露の冷たさが足にじんわり伝わってゾクッとした。


「トイレ……どこだっけか」

近くの木を触って、そのままもたれかかる。


一度、深呼吸。


「なんだ、夢か……」


そう言って、草むらにごろんと寝転ぶ。

木々の隙間から日が差して、かすかに水の音が聞こえる。

草の冷たさに混じって、どこか遠くで花の匂いがする。現実のどの花とも違う、甘いような、不思議な匂いだった。


「気持ちいいな……」


そう呟いて、瞼が落ちそうになる。


……わけでもなく。


「――って、寝れるか!!」


勢いよく体を起こして、近くの枝をガシッと掴む。

そのまま無我夢中で地面に叩きつけた。


「仕事終わってゲームやって、寝て、それで……目が覚めたら森?」

「こんなもん現実逃避でもしなきゃやってられねえよ……」

小言を言いながら、パジャマのポケットに手を突っ込む。


……ごつごつとした感触。

スマホ?


画面を点けると、圏外の表示。


「……マジかよ。圏外って、どこだここ……」

思わず小さく声が漏れる。

いや、せめてトークだけでも……ニュースでも……何か繋がっててくれよ


画面をスクロールしまくるけど、アンテナはピクリとも動かない。

指先が無駄に汗ばんでくる。


とりあえず色々いじってみるけど、ネットもトークも地図も、どれも開けない。


唯一、メールボックスだけは開けた。


「……お、メールは見れるのか?」

思わず期待で画面を覗き込む。


だけど、メールボックスのメールは全部、変な文字でぐちゃぐちゃに文字化けしてる。


「……は?ふざけんなよ……」

なんだこれ……ここまで来て、頼みの綱までコレかよ


スマホを握る手がじっとり汗ばんで、無意識にズボンで拭う。ふっと力が抜けて、その場にしゃがみこんだ。


ここはどこなんだ? もしかして……異世界?


いや、そんなバカな。ラノベとかで見たことはあるけど――現実にあるわけが――


だけど、実際起こってみると……

ぶつぶつと、声に出しながらスマホを握りしめた。

ため息しか出ねえ。頭の中、ぐちゃぐちゃだ。


なんか、どうしていいか全然分かんねえ……

スマホを見つめたまま、しばらく動けずにいた。


叫びすぎて、喉がカラカラに渇いてるのに気づく。

そういえば、さっきから水の音がしてた気がする。


考えるのは後回しだ。

「……とりあえず、水場に行ってみるか」

なんとなくその方向へ歩き出す。

森の中、周りをきょろきょろ見渡しながら進む。


「……木が、やけにまっすぐだな」


幹が太いくせに、枝ぶりがどこか整いすぎている。

葉の色も、知っている森より深い緑で、不思議と光沢があるように見える。


「これ、ほんとに日本の森か?……って、そもそも日本なのかここ」


土の匂いも、どこか甘い。

空気も妙に澄んでいて、静かなはずなのに、胸の奥が少し騒いでいる気がした。


一歩一歩進むたび、

「……足、いてぇ。靴がほしいな」


森を抜けると、小さな川に出た。

浅い流れの先に、透き通るような水。

石ころが川底で静かに転がっているのが見える。

ほんの少し、肩の力が抜けた。


「やっば……!なにこの川、ガチで透き通ってんじゃん!?

キャンプ場の川とか、全然比べものになんないし。

うわ、テンション上がる! これ絶対写真撮りたいヤツ~~」


流れる水の音まで、やけに耳に残る。

川の中をのぞき込むと――


「……は? これ、俺?」


水に映った顔は、どう見ても二十歳そこそこの若い自分。

ぼさぼさの黒髪に、寝癖でハネまくった頭。

目の下のクマも、うっすら出始めてた白髪も、全部消えてる。


「いや、ちょっと待てよ」

思わず頬を撫でて、顎のラインをなぞる。

最近はヒゲ剃っても青く残るのが嫌で、マスク必須だったのに今はつるつる。

おまけに、昔の証明写真でしか見たことなかった“若い頃の輪郭”がそのまま残ってる。

あの頃、妹に『お兄ちゃん、子供みたい』って笑われたっけ。


「いやいや、寝起きで頭バグったか?」


顔を近づけて、左右に振って、パジャマの袖をまくって腕も眺めてみる。

ついでに頬をつねると普通に痛い。


「夢であってほしかったけど」


だけど、これ本当に若返ってるよな? 

いや、これ、むしろ“あり”なんじゃないか?


そんなことを考えているうちに、思わず顔を上げる。


――そのとき。


「グォォォォオオッ!!」


「っ……!?」


思わず肩がビクッと跳ねる。

手に持ってたスマホをポロリと落としてしまう。


「いや、待て待て待て……今の何!? 犬? 狼? いや、それどころじゃねえだろ!」


楽観的に考えてる場合じゃねえ。

よく考えたら、“異世界”ってだいたい魔物とか出るやつだろ――


「うわ、やべえ……普通に考えてこのパターン、“出会って即ピンチ”のやつじゃん……」

武器もスキルもなし。パジャマとスマホで何ができんだよ。


「いやいや、さっきまで前向きになってた自分バカすぎ! 何で森のど真ん中でくつろいでたんだよ、俺!」


焦りながら、地面に落としたスマホを慌てて拾い上げる。

その瞬間――


右奥の茂みが、ゴソゴソッと音を立てた。


「……っ!!?」


一気に全身が硬直する。

心臓がバクバクとうるさいくらい早くなって、

息をするのも忘れそうになる。

目だけ動かして茂みの方を見るけど、葉っぱがざわついてるだけで中身は見えない。


(やばい、やばいやばい、これ絶対なんか出てくるやつ……!)

「おい! 誰かいるのか!?」


思わず、茂みに向かって叫んだ。

声がやけに響いて、森の静けさだけが返ってくる。


……もちろん、返事なんかあるはずもない。


(当たり前だよな、こんな森の中で……!)


そう思った次の瞬間――


「コン」


……ん?


小さな声が返ってきた。

聞き間違いかと思ったけど、もう一度――


「こん?」


今度は確かに聞こえた。

思わず耳を澄ませて、茂みに視線を向ける。


「コン」


ふらふらと、茂みの影から小さな白い……狐?

小狐がよろよろと姿を現した。


「なんだよ……狐かよ」

まったく、びっくりさせんなよ……と思いながら、

ちょっとだけ警戒しつつ、そっと近づいていく。


――ん? 待てよ。

これ、下手に近づいたら逆に食われたりしないよな……?

いやいや、日本の狐ならともかく、ここ異世界だぞ。

“人を襲う魔獣”とか、ありえる。こわ。


「コン」


また短く「コン」と鳴いて、こっちを見上げる。

……ん? 近くで見ると、その小狐――

全身、泥だらけ。ふわふわの白い毛が、ところどころ固まってる。

片方の足には、赤い血がじわっとにじんでいた。


「……怪我、してるじゃねえか」


思わず、しゃがみ込んで足元の小狐を覗き込む。

その小さな体は、ふるえてるのがはっきりわかった。


俺は顎に手を当てて、じっと小狐の傷を見つめる。

一度息を吐いた。


そして「よしよし……」と声をかけて、小さな体に手を伸ばす。

ふわふわの毛並みに指先が埋まる感触――

それでも子狐は逃げるどころか、震えながらも俺にすり寄ってきた。


「大丈夫だって。怖くないぞ」


震えてる子狐を、そっと抱き上げる。

なんとなく――まあ、放っとけなかっただけだ。

子狐はぺろっと俺の顔を舐めてきた。


「……なんだよ、お前……」


少しだけ、緊張がゆるむ。

「……おい、大丈夫か?」

震える声で問いかけてみる。


小狐は一度、俺の顔をじっと見上げた。

金色の瞳が、不思議なくらいまっすぐ俺を映してる。

“警戒”でも“敵意”でもなくて――

ただ、頼るような、何かを訴えかけるような目。


「何があったんだ?」


そっとそう聞いた瞬間、

子狐は「コン」と小さく鳴いた。

そして迷いなく俺の胸に顔をうずめてくる。


その時――


ガサガサッ!


またしても、さっきの茂みが大きく揺れる音が響く。


子狐をぎゅっと抱いたまま、俺は息を止めた。


……なんだ、この静けさ。


さっきまで鳥がピーピー鳴いてたのに、今はもう何も聞こえない。

自分の心臓の音だけがやたら響く。


空気が、妙にピリッとしてる。

なんか、やばいの来そうな気がする――。


ゴクリ、と喉が鳴ったその時。


森の奥から、“何か”がこっちを見てる気配がした。


「っ……!」


今度は明らかにさっきより重たい足音。

――そして、


「ブォォオオオッ!!」


ものすごく低い声とともに、

茂みをかき分けて現れたのは――イノシシ。


「……は!?」


パニックで頭が真っ白になる。

そのイノシシ、体は犬くらいのサイズ――

けど、明らかに普通じゃない。


筋肉が盛り上がってて、牙はエグいくらいカーブしてる。

しかも、目はぎらりと赤く光ってるし、

額には宝石みたいな、妙に鮮やかな石が埋め込まれている。


いや、これ……サイズは小さいのに、どう見てもただの動物じゃねえ……!


むしろ“小さい分だけ俊敏そう”な動きに見えて、

余計に怖さが増してくる。


イノシシとの距離は、ざっと見て十メートルくらい。

近い――

本気で走られたら、一瞬でこっちに飛びかかってこれる距離だ。


奴の視線が、俺と――

腕の中の子狐をジロリと睨みつけてくる。


鼻の奥がツンとする。くそ、汗まで出てきやがった

顔、絶対青くなってる。息まで浅くなるのが自分でも分かる。


(やば……絶対これ、魔物だ!……日本の山で見たことあるやつとレベル違うだろ……!)


時間が止まったみたいに、景色が一瞬だけ静止した。

イノシシの赤い目が、じっと俺と子狐を貫いて動かない。

“逃げろ”って頭が叫んでるのに、体が全然動かない。


絶対無理、ちょ、待って、何だよコイツ。


「無理……無理だろ、いや、だめ、逃げ――どうすんだよ、狐……俺……マジ、これ死ぬやつ……!」


頭の中が真っ白で、何ひとつ整理できない。


そんなふうにグルグル考えてるうちに――

イノシシが、突然こちらに向かって突進してきた。


「うわああああっ!」


叫びながら、とっさに子狐を抱きかかえたまま横に飛びのく。

地面に転がり込んで、草や土の感触が体中にぶつかる。

ゴロゴロと何回も転がって、

その間ずっと、子狐だけは絶対に離さないようにと必死で抱きしめていた。


「っ、くそ……!」

体を起こしながら、イノシシの方を睨みつける。

奴は、小川に足を取られてバランスを崩していた。

水しぶきがあがり、イノシシはしばらくジタバタして動けない。

ふと、腕の中でギュッと抱きしめていた小狐の存在を強く意識する。

自分でもびっくりするくらい、必死に守ろうとしていた気がする。


「大丈夫か?」


息を切らしながら、小狐にそう声をかける。

すると、小狐は不安そうに見上げて――


ぺろっと、俺の顔を舐めてきた。


「……お前、ほんとに……」


そう言いかけたその時、

イノシシはもう小川から這い上がろうとしていた。


(やばい、次は絶対逃げ切れない……!)


その瞬間――


ピピッ。


スマホから突然、電子音が響いた。


「は!? 今、このタイミングで!?」


叫びそうになる声を無理やり飲み込む。

心臓が止まりそうなくらいビビってるのに、

スマホの着信音だけがやけに現実的で、

むしろ頭が混乱する。


(こんなときに何なんだよ……!)


でも、なんで今鳴るんだ? 

電波も圏外だったはずなのに――

着信音、しかも聞き覚えのない音。


反射的にスマホを取り出して、

画面を覗き込む。


そこには、メール通知。

件名は――『夢野想馬様』。


(え、俺の名前……?)


戸惑いながらも、指が勝手にタップする。


――

スキル:テーマパーク


【現在の設備】

・ブランコ


【次のランク条件】

・来場者:あと3人


――


(は……?)


思わず、二度見した。

頭の中で警告音が鳴る。


「……え、俺、ブランコ作れるの? 異世界で?」


しかも“来場者3人”って……

(ここ、森の中だぞ!?)


「せめて滑り台にしてくれよ!!!」


思わずスマホに向かって叫んでいた。

いや、ブランコって――

今、命がけでピンチなんだけど!?

もっとこう、盾とか武器とか、せめて“滑り台でぶん殴れる”くらいの選択肢をくれよ!


小狐もイノシシもポカンとしてる気がする。


「……ブランコ、か」

小さくつぶやいた瞬間――


イノシシが、ふっと鼻を鳴らした。

その顔、なんだか“ニヤリ”と笑ってるようにも見えて


「おい、まさか今の俺、イノシシにもバカにされた?」

ため息と一緒に土を蹴った。


……異世界って、こんなもんなのかよ。

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