桶狭間は今日も雨

マー爺

前編

「ううむ……」


 今川義元は自身の首が胴体から離れ、泥の中に転がるのを体験した。

 死んだ……そう思ったのを最後に意識を手放した。


 次の瞬間、目が覚めた。


「あれは夢か………」


 しかし、頬を伝う雨の冷たさ、耳に響く兵たちのざわめき、胸に広がる得体の知れない不安感は、夢にしてはあまりにも現実的だった。


「これは…神仏の託宣か? 未来の光景なのか……」


 不安を感じながらも、義元は気合を入れなおす。夢のようなことは起こらない。そう言い聞かせた。

 何しろ、こちらは四万もの大軍を率いているのだ。

 数年かけて遠江と三河の国衆を締め上げ、兵を集めさせた。

 駿河では商業を新興させ倹約の日々を送り、大金を投じて傭兵を雇い兵糧を用意した。

 これだけの大軍を動かせるのは、日本全国でも今川家だけであろう。


 対する織田家は一年前にようやく尾張を統一したばかりである。

 尾張国内には当主の織田信長に反発する者も少なくなく、いつ謀反が起きてもおかしくない。

 今川家からも調略の手を伸ばして、裏切らないまでも兵の供給を少なくするように工作しておいた。

 美濃の斎藤義龍は織田信長と敵対しており、信長としては美濃方面の守りを手薄にするわけにはいかない。


 現にこちらが攻撃している丸根砦には五百人の兵しかおらず、要所であるにもかかわらず援軍を出していない。

 どうやら信長が現状で用意できる兵は最大でも三千程度であるようだった。


 十倍以上の兵力差だ。どのような策があろうと、奇襲が成功するはずがない。

 義元は家臣が不安にならないように、夢のことは伝えずに悠然と陣に構えた。



 午後三時頃、天候が激変し、急に大雨が降り始めた。

 義元は不快に思い天幕の中に逃げ込んだ。

 数分ほどの後に雨は止んだ。


 すると――――。


「敵襲だぁぁ!」


 今川本陣が織田信長の奇襲に合い味方の絶叫が乱れ飛ぶ。

 混乱の中で義元は刀を構えて、臨戦態勢を取るが、襲いかかる敵の武将に首を刎ねられた。


 義元は自身の首が胴体から離れ、泥の中に転がるのを体験した。

 死んだ……そう思ったのを最後に意識を手放した。


 目が覚めた。


「………夢ではない」


 義元はそう確信した。

 時が戻るのはこれが二度目である。おそらくは神仏の加護だ。

 天は今川義元に生きろと言っている。


「ならば、あの奇襲を防げば……」


 義元はすぐさま家臣たちを集め、警戒を厳重にするよう命じた。

 そして、織田軍が奇襲を仕掛けてくるであろうルートに、伏兵を配置することにした。

 午後三時。再び豪雨が今川本陣を狙う。


 十分に警戒していた。だが、運命は残酷である。

 織田信長は前方に配置していた友軍をすり抜けて、今川軍の本陣に奇襲を仕掛けて来たのだ。



「またか……」


 義元は再び当日の朝にに戻ってきた。時間にして六時間ほど前であろうか。

 全体的な戦略を見直す時間はない。今できるのは本陣の近くにいる兵を動かして、敵の奇襲ルートを潰すことだけだ。

 今川本陣は三千人ほどの兵がいる。だが、桶狭間山の山中に広がる狭い広場にはこれ以上の兵を配置することは出来ない。

 織田信長の奇襲部隊はおそらくは二千人程度だ。奇襲前に発見できればなんなく撃退できる。


 義元は本陣につながる全てのルートに伏兵を配置し、万全の体制で織田軍を待ち構えた。

 しかし、結果は同じだった。豪雨の中、織田軍は神出鬼没に現れ、今川本陣を混乱に陥れ、そして、義元は討ち取られた。



「なぜだ……なぜ、何度やっても同じ結果になるのだ!」


 義元は何度も何度も死に戻りを繰り返した。

 彼はあらゆる手を尽くした。

 しかし、運命は変わらない。

 まるで、何者かが彼を死へと導いているかのようだった。


 そして、十回目の死に戻り。


「もはや、戦うのは無駄だ。退却するしかない」


 義元は苦渋の決断を下した。

 彼は退却命令を下すと、桶狭間山からの撤退を開始した。

 しかし、撤退の途中で豪雨が容赦なく降り続いた。視界が遮られて動けなく立往生していたところで、織田軍の襲撃を受け、義元は再び命を落とした。


「雨だ……全ては、この雨のせいだ」


 義元はそう確信した。

 そして、次なる死に戻りで、彼は大胆な行動に出た。


「晴れ男を集めよ!」


 彼は本陣に晴れ男として評判の者を集めた。そして、雨男と呼ばれる者らを別の部隊に派遣した。

 集められた晴れ男には本陣で祈祷をさせる。


 そして、午後三時。

 義元の執念の甲斐があったのだろうか。桶狭間の空から雨雲が消え去った。


「晴れている……」


 義元は勝利を確信した。

 その時、織田軍が突撃してくるのを、斥候がが発見した。


「敵襲!」


 空は快晴、視界は良好であり、足場も悪くない。

 今川軍は万全の体制で織田軍を迎え撃った。

 奇襲部隊には織田信長本人が指揮している。


「信長の首を取れ!」


 義元が叫ぶ。

 その声に手柄を求めて兵が殺到した。

 織田信長の首が宙を舞う。


「勝った……ついに、勝ったのだ!」


 義元は歓喜に震えた。しかし、彼の脳裏にはある疑問が浮かんでいた。


「なぜ、織田軍はこんなにも無謀な突撃をしたのだろう………」


 破れかぶれの正面突撃のつもりだったのであろうか。

 そう思った瞬間、義元の意識は六時間前に戻された。

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