お父さんvsインド人
おなかヒヱル
インド人がやってきた
西暦20xx年のある日、突然インド人がやって来た。
「はい、カレーおまち」
浅黒い肌に彫りの深い顔、黄色いTシャツには『カレーハウス ナマステ』と描いてある。
どう見てもインド人だった。
「あの、うちはカレー頼んでませんけど」
「カレー三つで3千円だヨ」
「だから、うちはカレー頼んでないんです。あ、」
もしかしたらお父さんが頼んだのかもしれない。
「どうした? 誰か来たのか?」
「お父さん、カレーの出前が来てるんだけど」
「カレーの出前? お前、そんなもん頼んだのか?」
「ううん、わたしは頼んでない。お父さんでもないとすると、やっぱりうちじゃないよね」
「早くお金払って。3千円だヨ」
インド人はおかもちのフタを開けて中のカレーを強調した。
カレーの匂いが玄関を蹂躙して、わたしの食欲を刺激する。
「そんなもん払えるか。うちはカレーなんか頼んでない。さっさと帰ってくれ」
「払ってくれるまで帰らないヨ。早く3千円払えヨ」
「貴様、なんだその態度は。オレを誰だと思ってるんだ」
「3千円も払えない、安いサラリーマンだヨ」
「お前なんだ? いきなりカレー持って来てケンカ売ってんのか? 安いサラリーマンとはなんだ。オレが何年そのサラリーマンやってると思ってんだよ。こっちはこれ一本で娘養ってるんだぞ」
「そんなことはどうでもいいヨ。早く3千円払ってヨ」
「あのなぁ、オレが3千円ごとき払えないとでも思ってんのか。オレはもう来年でサラリーマン生活20周年なんだぞ。家のローンだってまだ25年残ってるんだ。3千円ぐらいいつでも払えるんだよ」
「じゃあ早く払えヨ」
「頼んでないもんどうやって払うんだよ。こっちは駒沢出てんだぞ」
「冷めちゃうよ。早くしないとカレーが冷めちゃうんだヨ」
「冷めちゃうったってしょうがないだろ、お前が間違えて持って来たんだから」
「間違えてないヨ。間違えてるのはあんただヨ、このパァ」
「パァ? なんだパァって? バカってことか? なぁ? おい? え? お前、意味わかってんのか、パァの意味」
「意味わかるヨ。3千円も払えない、安いサラリーマンの、パァの意味!」
「よし、わかった。そこまで言うんならわかった。覚悟できてるな。オモテ出ろ、決着つけてやる!」
「お父さん!」
「心配するな、ヨシ子。お父さんは負けやしない」
こうして、お父さんとインド人は庭に出た。
「インド人、ここに3千円ある。貴様が勝ったら、この金はくれてやる。しかし、オレが勝ったら、そのカレーはいただくぞ」
「わかったヨ。こっちが勝ったらカレーはいただく。そっちが勝ったら、3千円はいただく」
「日本語は難しいな。まぁいい。インド人、名を聞こう。オレはヨシオ、貴様は?」
「お前に名のる名などないヨ」
「いい度胸だ。それでこそインド人だ」
「ヨシオ、やめておけ。お前じゃボクには勝てない。そんな細腕じゃ、ボクには勝てないヨ」
「ふっふっふっふっ。どこを見ている、インド人。オレの強さは腕にはない。この脚、30年もの間、満員電車の急停車で鍛えたこの脚こそ、オレの強さの源なのだ」
「そんな脚は強くない。お前はパァだ。だからおとなしく3千円を払え。さもなくば、カレーが冷めちゃうヨ」
「ふっ、パァか……会社の新入社員にも、よく陰口を叩かれてるよ。オレは無能だからな。会社のお荷物になって、もう何年だろう……まさか、いきなり頼んでもないカレーを持って来た初対面のインド人にまでパァ呼ばわりされるとは思わなかったよ」
「能書きはいいんだヨ。さっさと3千円を払え。そうすれば命だけは助けてやる」
「もう言葉はいらない。そうだろ? インド人。ならば構えろ。見せてくれ、インド四千年の歴史とやらを」
そう言って、お父さんはゆっくりと構えた。
「ぶつぶつうるさいパァめ。後悔するなヨ!」
「来い、インド人!」
~2分後~
「ゼェゼェ……やるな、インド人」
「お前、弱すぎるよ。ぜんぜんダメだヨ」
「お父さん、もうやめて。3千円払っちゃおう。そして、二人でカレー食べよ」
「二人? 二人なのに、なぜ三つも注文した?」
「なぁ、インド人。なぜカレーが三つあるのか、その答えを知る前に、ひとつ質問をさせてくれ。貴様は生きる意味を考えたことがあるか? オレはある。オレは子どものころから一人で過ごすことが圧倒的に多かった。親父は頑固で厳しい人間だったから、ゲームやおもちゃはほとんど買ってはくれなかった。けど、なぜかマンガだけはよく買ってくれた。友だちのいなかったオレは、学校から帰って来ると貪るようにマンガを読んだ。小、中、高と、ずっとそんな生活だった。周りのクラスメイトが友だちの家に集まってテレビゲームに夢中なときも、部活の朝練でワイワイやってるときも、夏休みに彼女といっしょに映画を観ているときも、オレはずっと一人でマンガを読んでいた。それだけが、オレの心の支えだった。高校の卒業式が終わった日、帰宅したら親父が倒れてた。その日が、親父との今生の別れだった。オレは片親だったから、そのときから天涯孤独になった。大学の四年間も、バイトと勉強以外はマンガばっかり読んでいた。あるとき、部屋に山積みになったマンガを見て、ふと思った。なんでオレには心の支えが必要なんだろうって。結論は、オレが一人だから。山積みになったマンガはオレの孤独の数だった。これだけの時間を、オレは一人で過ごしたんだ。読書って、そういうもんなんだよ。友だちも家族もいないオレは、恋人を見つけようと思った。社会人になったら、結婚しようと思った。もう、一人で生きるのはやめようと思った。会社に入って異性と出会った。オレは、その年の春に結婚した。そして、しばらくしてからヨシ子、お前が生まれたんだ。順調だと思った。何もかもが上手く行っていた。オレは、やっとまともな人生を歩むことができたと思った。でもある日、病院から会社に電話がかかって来た。オレは早退してタクシーに飛び乗った。デカい病院の安置室に通されたオレを待っていたのは、白い布で顔を覆った妻だった。事故だったらしい。オレは廊下に出て途方に暮れた。そのとき、ふと横を見ると、まだ小学生ぐらいの女の子が一人でベンチに座っていた。たぶん病気でここに入院している子なんだろうなと思った。彼女も、きっと一人で、孤独に立ち向かっているんだと思った。待合室に移動したらテレビが点いていた。ニュースは、親の虐待で男の子が亡くなったと言っていた。オレはそのとき、生きる意味について考えた。それまでも、なんで生きるんだろうぐらいのことは考えていた。考えていたけど、真剣じゃなかった。そして真剣に考えた挙げ句、そんなものはないという結論に至った。バカみたいだろ? でも、そうとしか思えなかった。それは今でも変わらない。だってもし生きることに意味があったら、あのときベンチに座ってた女の子が、あのまま病気で死んだと仮定したら、あの子は孤独になるために生まれて来たことになる。あのとき、待合室で観たニュースの男の子は、自らの親に虐待されて殺されるために生まれて来たことになる。そんなのオレは絶対に嫌だった。でも、人間が生きていれば、例えばディズニーランドに行って楽しかったとか、海を見て綺麗だったとか、このときのために自分は生まれて来たんだと思える瞬間があると思う。その思いというのは、何も間違いではない。あなたは、幸せになるために生まれて来た。それでいいんだ。そして、最愛の妻を亡くしたオレは、今度は一人じゃなかった。ヨシ子がいたから。でも、さすがに妻を亡くしたショックは大きくて、オレは徐々に心を閉ざしはじめた。会社でも口数が減って、それと反比例するかのように仕事でミスが増えた。気がつくとオレは、また青春時代のような、孤独を抱える根暗な人間に戻っていた。会社でのポジションは低いままで、いつの間にか後輩たちが上司になっていた。無能なお荷物は、いつまで経っても無能なお荷物のままだった。でも、ヨシ子を食わせなきゃいけない。オレは必死で働いて、家では良い親父を演じ続けた。辛いときも、もうマンガに頼ることはしなくなっていた。普通の読者として、楽しむことができるようになっていた。ある日、仕事帰りにブックオフに立ち寄ったら、懐かしいマンガがあった。北斗の拳だ。オレはそれを手に取ると、夢中になって読み始めた。泣きそうになるぐらいのノスタルジーだった。オレはその日から、帰路の公園で小学生のころのようにサウザーのマネをして必殺技の練習をした。それが日課になって、毎日サウザーに成りきっては必殺技を繰り出した。そんな日が半年ほど続いたある日、オレは警察に連行された。公園に不審者が出没すると近所の人から通報があったらしい。そりゃそうだ。北斗の拳のキャラに成りきった中年が、夜な夜な出没する公園など、誰も望んではいないのだから。そのことが会社にバレて、オレはとうとう窓際に追いやられた。もう、誰もオレに声をかける者はいなくなっていた。いつまでも、オレは一人のままだった」
「お父さん……」
「なぁ、ヨシ子。お父さんな、南斗鳳凰拳の使い手なんだよ」
「え?」
「子どものころからサウザーが好きなんだ。聖帝の玉座に座るサウザーの孤独と、窓際に坐るオレの孤独は、同じ孤独だと思ってる」
「お父さん、お願いだから……」
「インド人。この3千円でそのカレーを食わせてくれないか。そして、なぜカレーが三つなのか、その答えを言ってなかったな」
「教えてヨ、頼むから」
「ヨシ子、お母さんの墓前に、そのカレーを持って行きなさい」
「ちゃんと、あっためるんだヨ」
「インド人。オレもヨシ子も、本当にカレーは頼んでないんだ。これは事実だ。しかし、あんたはオレからカレーを頼まれた。これも事実だ。どっちも嘘はついていない。一つのことに二つの真実、これは矛盾してるだろうか? オレはしていないと思う。真実など、人の数だけあればいいと思うから」
「ボクも、それでいいと思うヨ」
「ありがとう。最後に、一つだけ頼みたいことがある。聞いてくれるか?」
「いいヨ。旅は道連れ、世は情けだヨ」
「オレは突然やって来たあんたのカレーを受けた。だから、あんたもオレの青春を受けてほしい。頼めるか?」
「わかった。いつでも、来るがいいヨ」
「では、いくぞ!」
そう言うと、お父さんは両手を広げて天高く構えた。
そして、青春の全てを吐き出すような大きな声で技の名前を叫んだ。
「南斗鳳凰拳奥義、天翔十字鳳!!!」
そのあとのことはあまりよくは憶えていない。
お父さんの天翔十字鳳がインド人に当たった瞬間、二人は金色の光に包まれた。
お父さんは消えて、インド人が二人に増えた、と思ったら今度は三人になった。
あっという間に四人になって五人になった。
そして無限に増えたインドの人口は、今現在、15億人に迫る勢いだった。
お父さんvsインド人 おなかヒヱル @onakahieru
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