第45話 Scene:颯「振り返らないっ!」
ガチガチに緊張している。寒いからじゃない。
望はガチガチ歯を鳴らしているが、こいつは単純に寒いからだと思う。
一刻も早くチョコを返却しようと言うことになり、俺たち4人は、俺が春から勤める会社にやって来た。翼と光が少し離れたところで、車から見ている。
「お呼び立てしてすみません」
林下先輩がやって来た。嬉しそうに手を振って小走りで近付いてきたが、望を見て顔色が変わった。
「何のご用?」
「これ、返しに来ましたー」
望がそう言って、皺が寄った小さな紙袋を差し出す。
「なんであなたが?彼女でもないでしょ?」
先輩は受け取らない。
「はいー。ただの親友ですけどぉ、颯が迷惑がっててぇ、可哀想だから助けに来ましたー」
望が先輩に殴られることを想定して、少し身構える。
「風間君にあげたの」
「いらないって、言ってますー」
望はしゃがんで、ちょこんと紙袋を道路に置いた。
「行こー!」
俺の手を取って歩き出す望。後ろから刺されるんじゃないかと心配になる。
「振り返らないっ!」
望がいつになく低い声で言って、俺の手をぐっと握った。小さい手だから、余計に強く、痛いほどに感じた。
「ほら、走るよっ!」
望は走っているつもりらしいが、俺の早歩きで充分対応できた。
翼の車の前に来たところで、光が後部座席のドアを開けてくれた。
「お疲れさま」
「ああ。全部、望がやってくれたんだけど」
「うん。見えてた」
前を見たら、望は運転席の翼の上に座っている。
こっちをちらりとも見ないで、翼に抱き付いたまま一心不乱に何かしゃべっている。
「あんな風に甘えることが出来たら、私も違ってたのかもしれない」
「あんな風に甘えられない光が、俺はたまらなく好きななんだけど」
精一杯、肯定したつもりだ。光は今のままでいい、光は変わる必要はないし、俺も変えようとはしない。だから、また、そのままの光と付き合いたい。
「ねぇ?!」
望の声が飛んできて、我に返る。
「ごめん、なんつった?」
「由香先輩、こーんな顔してたよね?」
両手で目尻をグイーンと吊り上げている。そっくりで、笑ってしまう。
「そうそう、そっくり」
「ひーかーりー、もう大丈夫だよ。悪い虫は、望が追っ払ってきたからー」
「うん。どうもありがとうね」
翼がひょいと、望を助手席に座らせ、車を出す。
「なんか食ってくか?」
「ファミレスー?」
「いや、久しぶりに俺んち来いよ。一緒に焼きそばでも作らないか?」
光の方を見る。頼む、断わらないでくれ。
「そうしよっか」
笑顔で言ってくれて、ホッとする。
きっと大丈夫だ。俺は光を嫌いになれないし、光の心の整理がつけばまた元に戻れる。
焼きそばを食い終わって、うだうだしてたら、翼がコートを着て、望にもコートを羽織らせた。
「じゃ、俺たち行くわ」
「えー?どこにー?」
「お前が決めろ、昨日の埋め合わせをさせてやる」
「あっ!恋人たちの日ー!」
望がいそいそと靴を履いて、先に出て行った翼の後を追う。
「見送りくらいさせろっつんだよ」
「ほんと。なにあれ……ふふ」
「翼ってさ、あんなに望にデレデレなの?」
「そりゃ、もう、すごいよ。ずっと好きだったのは知ってたけど、まさか、あんななっちゃうとは思いもよらなかった」
笑いながら話す光、久しぶりだな、この感じ。
「ずっとって、どんくらい?」
「えっと、たしか、小学2年生からだって言ってた」
「え。そんな?知らなかったな」
「颯は鈍感だからね」
「望だって気付いてなかったんだろ?」
「望も鈍感だからね」
光が手慣れた手つきで、コーヒーをドリップしてくれた。
「バイト先、どうなの?田中さんだっけ、光の仕事評価してくれそうなの?」
「うん。最初はついて回るだけだったんだけど、この前、一人で納品先に伺ってね、先方さん、私のことCMで見たって覚えててくださってね、新商品の紹介をしたら、追加で店頭に置いてもいいって言ってくださって、それを田中さんが『すごい』って褒めてくれてね、社内にいた他の社員さんにも……って、あ、興奮してしまった……」
赤い顔をして俯く光。俺、ちゃんと光の話聞いたの初めてかも、と改めて反省。
「いいよ、もっと聞きたい」
「そう?それでね、なんかリストみたいな紙を渡されてね、それ納品先の会社と住所がビッシリ書いてあるんだけど、上から順に全部回って、新商品を置いてもらえないか営業することになったの。結構な数があるんだけど、田中さんと手分けしたら2週間で回り切れるんじゃないかって、ただ行くだけじゃ駄目だから、新商品を置いてもらえることが目的だからさ、頑張ろうって思ってるの」
こんなにしゃべる光を見たことが無い気がする。そんなに楽しいんだな。輝いて見える。
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