第2話 ボッチは声をかけられる

四月、教室。この時期は出会いの季節だというが、高校二年生になった者たちにとっては『全く新しい出会い』というのは少ない。クラスにいる誰かしらは校内で見たことがあり、その誰かしらは誰かの友達や彼氏彼女だという情報が出回っているからだ。


とはいえ、クラス替えが行われた新しい教室では周囲を取り巻く人間関係がガラリと変わるため、人間関係の再構築が必要となる。


みんなそれを分かっているのだろう。教室内では、誰もが誰かに話しかけていた。俺以外を除いて。


まぁ、いわゆるボッチというやつ。だが、俺は悲観しちゃいない。


なぜなら、誰とも関わらずただ日々を過ごすほうが平和だと知っているし、何もない日々こそが幸せなのだとも知っていたから。


平和に生きるのなら、何も与えず何も奪わず、人畜無害でいるの一番だ。


与えたものに対し返ってきたものが不足だと感じればどうしたって不満を募らせてしまうし、奪われたものが相手にとって取り返しのつかないものだったなら、それ相応のものを奪わなければ気がすまない。


人はいつだって等価交換を求めるものだ。


俺はそれを空恐ろしく思う。だからいっそのこと、何もしないのが安全とまで断言できる。


つまり、何がいいたいのかといえばあれだ。


ボッチとは、無敵の平和主義者なのである。


深井戸ふかいど瑛太えいたくん、少しいいかしら」


それに、ボッチでも日々を楽しむ方法なんて現代にはいくらでもある。俺は机の引き出しから読みかけのラノベを取り出し――。


「聞こえた? 深井戸瑛太くん。あなたに言っているのよ」


それは、そんな俺にかけられた声。


聞こえてはいた。ただ、聞き間違いかと思っただけ。


そちらの方に首を向けると、そこには目鼻立ちのはっきりとした、髪を背まで伸ばす別クラスの女子生徒がいた。


愛季内あきない秋留あきるよ。少しあなたと話がしたいの」


問う前に答えられてしまう。これが初対面である自覚がお在りらしい。


「話ってなんだ」

「ここでは言えないことだから付いてきてほしいの」


まさか告白とかではないだろう。そんな乙女な雰囲気を彼女からは微塵も感じない。むしろ、瞳から放たれる鋭い視線からは敵意すら感じる。


「あなたにとってもここで話されたくないはずのことよ」

「俺にとっても……?」

「そう。だから付いてきて。いつまで女の子を持たせるつもり?」


心当たりなど皆無だったが、そんなことを言われてしまえば従わざるを得ない。俺が席を立つと、彼女はくるりと背を向けて教室の出入り口に向かって歩く。その後には、微かにシャンプーの甘い香りが漂っていた。



◆◇◆



愛季内が俺を連れだしたのは、生徒が専門授業でしか来ることのない特別棟だった。よほど話をきかれたくないのだろう。一体どこまで行くのか? という言葉をかける暇なく彼女はここまで真っ直ぐに歩いてきた。


やがて、ようやく立ち止まった愛季内は俺の方を振り返ると、制服スカートのポケットから黒い布のなにかを取りだしはじめたのだ。


なんだ……?


最初それはハンカチかと思ったのだが、ハンカチにしては生地が分厚い。それに、折りたたむようなものでもないのか、取り出した直後はクシャクシャになったまま。それが掲げられてはらりと広がり、ようやくその全貌が俺の前に現れる。


「これに見覚えはあるかしら」


それは、目以外の部分を覆い隠す被り物……いわゆる目出し帽というやつ。


その瞬間、俺は全てを理解し、諦めの息を吐いた。


「……ああ」

「あっさり認めるのね。じゃあ、この前他校の生徒と喧嘩したっていう生徒の正体はあなたでいいのね?」

「いいのねっていうか、確信があるからここまで俺を連れてきたんだろ?」


そう返すと、愛季内は小さな顎に指を添えてしばし沈黙。


「まぁ、そうね。私はあなたがこのマスクを取る瞬間を見ていたし、喧嘩していたところも見ていたわ」

「やっぱりそうかよ。というか、現場から走って一キロは離れたはずなんだが……お前ついてきてたのかよ」

「こう見えても足は速いのよ」


愛季内はそう言って微かに笑う。いや、そんな顔されてもな……。


それは数日前に遡る。愛季内が言う通り、俺は他校の生徒と喧嘩をしていた。その時に被っていたのが、彼女が手に持つ目出し帽。その形状は、俺が持っているものと全く同じもの。おそらく、このためにわざわざ店を回って探したのだろう。ご苦労なことだ。


問題は、なんでこんな回りくどいやり方で話をしにきたかという点。


「俺に話を持ってきたってことは、教師に言うつもりはないんだろう? 脅しでもするのか?」


顔は隠していたものの、その時は放課後だったため学ラン姿のままだった。それが原因で、喧嘩をしたのがうちの学校の生徒だとバレ、先日全校朝礼で話があがっていた。


「脅し? なぜ? そんなことをするつもりはないわ。だって、悪いのは向こうだって知ってるもの」


愛季内はそう言って小首を傾げる。


「私はただ疑問に思っているだけよ。なぜ、ナンパされてる女の子を助けたのに、あなたは黙ったままなんだろうって」

「お前……本当に最初から見てたんだな」

「ええ。安藤モカさんがナンパされてた辺りから全てね」

「ナンパされてた女子、安藤モカって名前だったのか」

「……あなた、知らずに助けたのね」


彼女は若干顔を引きつらせた。そこは引くなよ。


そう、事の発端は向こうが三人がかりでうちの学校の女子生徒をナンパしてきたことにあった。それを断られ素直に引き下がればよかったのに、進路を塞いで執拗に迫っていたのが俺の目にとまったのだ。


それを愛季内も見ていたらしい。


「俺は奴らから報復をされたくないだけだ。正体がバレれば、やり返しにくるかもしれないだろ」

「なぜやり返しにくるの? 悪いのは明らかに向こうなのに?」

「そういう可能性はあるだろ? あんなナンパしかできない連中が、おとなしく自身の行動を省みるとも思えない」


そう返したら、愛季内は再び考え込んだ。


「それでも……あなたがしたことは正しいはずよ。それが稚拙な喧嘩なんかで終わっていいはずがない」


そう言って、真っ直ぐに俺を見つめてきたのだ。


その混じり気ない瞳を向けられた俺は思ってしまった。


ああ、面倒な人間に見られたな、と。

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