life.

大塚

第1話

『撮るぞコラァ! 集合だ!!』


 もう長らく連絡を取り合っていない相手からLINE通話で着信があった。誰か死んだのかと思って「もしもし」と応じたら、──これだ。鼓膜が破れるかと思った。


「何? 撮る? 撮影って意味? ……っちゅうかジブン、しんか? 俺の知っとる? 申?」

『決まってんだろー! おまえに連絡入れる求龍きゅうりゅうしんが世界中にふたりいて堪るかよ! ……ん? 待てよ?』


 と、スマートフォンの向こう側にいる男は一瞬言葉を切り、


『おまえ、スグルだよな? 狛江こまえすぐる? まだ芸人やってる?』

「やっとるわ! 失礼なやつやな!」

『ははは! スグルだ! いや〜最近テレビとかでもあんま見かけてないからさぁ……芸人廃業したんかと思ってたわ』


 どこまでも失礼な男だ。間違いない。連絡を寄越してきたのは古い馴染みである俳優、求龍きゅうりゅうしん。最近俺がテレビに出ていないのは営業──各地の劇場やライブハウスで行われるイベントへの参加で忙しいからで、芸人を廃業したわけでは決してない。寧ろ逆だ。


「で……何撮るんや。遂に映画監督デビューか?」

『なんで。俺が撮るわけないじゃん』


 最近は監督業に手を出す俳優も多く、出演者として招かれる機会も多いから申も同じ道を行くのかと思ったのだが、違うのか。あっさりと否定され「そんなら」と俺は言葉を重ねる。


「何の撮影……」

砥我とがさんだよ! 決まってんだろ! 他に誰がいるっていうんだよ!!』


 スマートフォンを取り落としそうになった。

 俺は今、17時開演のイベントに出演するため、大阪アメ村のライブハウスの楽屋にいる。俺だけがいる。俺だけで良かった。他に誰もいなくて良かった。

 楽屋に置かれた大きな姿見には、パイプ椅子に腰を下ろした俺──狛江すぐるの間抜け面が写っている。こんな顔、誰にも見られたくない。一応は尖った話芸を売りにするピン芸人として人気を集め、そのキャラで映画やドラマといった映像作品にも個性派俳優として招聘されている身なのだ。


 砥我とがさん。砥我とが密目みつめ監督。


 10年、いや、20年以上前に、駆け出しの芸人として燻っていた俺を俳優として銀幕に引き摺り込んだ映画監督。俺に演技の楽しみを教え、俳優としての『狛江英』を様々な映画監督や俳優に繋げ、そうして突然、自分は光の当たる場所から降りてしまった人。

 砥我さんが──映画を、撮る?


 その夜の俺の話芸は散々だったと思う。頭の中は砥我さんと申のことでいっぱいだった。砥我さんがなぜ映画をやめたのかを俺は知らない──いや、知っている。けれど、知らないふりをしている。俺は砥我さんをたすけることができなかったから。砥我さんが映画を諦めて、人生を諦めて、表舞台から静かに去って行くのを黙って見送ることしかできなかった、しなかったから。そんな俺に、砥我さんのことを語る権利なんてあるはずがない。


 数日後。

 マネージャーにかなり強めの無理を言って手に入れた休日。俺と申は都内の喫茶店で顔を合わせていた。一億総禁煙時代の現代、俺ももちろん禁煙している。たまに電子タバコに手を出す程度だ。だが久々に──1年、いや、2年、もっとかもしれない、とにかく本当に久しぶりに顔を合わせた申は堂々と紙巻煙草に火を点けており、


「ここって、煙草ええんか」

「ダメなところで吸うわけないっしょ」

「さよか」

「そうよ」

「……」

「……一本要る?」

「いやいやいや!!」


 その一本によって今まで積み上げてきた禁煙生活が一気に瓦解する様が目に浮かぶ。ぶんぶんと首を横に振る俺をいかにも愉快そうに見遣った申が、


「まーるくなったねぇ」

「あ?」

「スグルちゃんさぁ。俺と知り合ったばっかの頃はめーっちゃ刺々してて、超怖かったじゃん」

「何年前の話しとんねん」

「20年ぐらい前?」

「……20年も経ったら、人は変わるわ。俺だけやない。おまえかて、……」


 申は、変わっただろうか?


 どうだろう。分からない。丸テーブルを挟んで俺の目の前に座り、小首を傾げて紫煙を吐いている申はデビュー当時は違う名前を名乗っていた。本名をローマ字にしたような名前。『求龍申』という芸名を与えたのは、たしか砥我さんだった記憶がある。20年。申も俺も老けた。だが、それだけだ。申が言うように、俺は丸くなった。結婚して、子どもも生まれ、尖った芸風を表に出すのはメディア関係では求められた時だけ、それに子どもたちが絶対に見に来ないイベントでの営業でだけ。ドラマや映像作品での俺の演技は、「教育に悪い」と嫁ブロックが掛かっている。


 ──申は。

 どうだ?


「砥我さんがぁ」


 物思いに耽る俺をまったく気にしていない様子で、申が口を開く。


「やっと! やっと撮るって言ってくれて!」

「……映画、を?」

「当たり前だろ! 砥我さんがCM撮ったら怖いじゃん!」

「ああ……せやな、それは、そう……」

「スグルちゃん覚えてる? 砥我さんが監督辞める宣言する前に、最後に書いたシナリオ」

「は……」


 覚えている。忘れるはずがない。

 あの頃砥我さんは散々で、プロデューサーを担当するはずだった人間にカネを持ち逃げされたり、売り出し中の女優に手を出したとか出さないとか有る事無い事週刊誌に書かれたり、とにかく人間関係がめちゃくちゃで酷いことになってて、その上やってもいない悪行をSNSで拡散された結果家庭も破綻して、そうして──


三神みかみ、が、俳優を」

「それ」


 2本目の煙草に火を点けながら、申は首を縦に振る。


 三神みかみという男がいた。俳優だった。俺と申と三神と3人で、砥我さんの映画には全部出た。でも三神は、ある時突然俳優を辞めた。「俺には向いてなかった」と笑って、後ろ髪を引かれる様子もなく、あっさりと、軽やかに、表舞台を去った。

 砥我さんの最後のシナリオは、三神のために書かれたものだった。

 思えばあの時、砥我さんは折れてしまったのだろう。

 信頼していた人々に次々裏切られて、置き去りにされて、遂には三神まで去ってしまって。

 砥我さんは最後のシナリオを、誰にも見せずに葬った。


「あれを、撮るんか。……三神はもうおらんのに」

「そう」


 坊主頭をざらりと撫で、それからすっかり癖になっている手付きで顎髭を弄り、申は口の端を僅かに引き上げて笑う。


「三神さんは死んじゃった。でも俺らは生きてる。だからやんの。だから撮んの」

「……」


 三神は死んだ。5年以上前の話だ。俳優を辞めた三神は俳優ではなかったから、ひとりの男として静かに死んだ。自死ではない。病気だった。

 ああ。そうだ。砥我さんには三神の葬式で会って、それでおしまいだ。砥我さんは茫然としていた。あんな風に三神を永遠に失うなんて、予想もしていなかったという顔で。


「あんな、申」

「出ないなら帰っていいよ」


 冷たい声、ではなかった。寧ろ優しい声だった。煙草を灰皿に捩じ込みながら、「出ないなら」と申は繰り返した。


「砥我さんのことがっかりさせたくねんだよね、俺」

「……」

「俺さずっと砥我さんのこと口説いてて。砥我さんには迷惑だったかもしれないけどさ。でもそういうのもうどうでもいいぐらい、俺の人生全部使ってでも、もう一回こっち側に戻ってきてもらうつもりで。そんでようやく。ようやくいいよって言ってくれたんだよね。砥我さん」


 申は読んだのだろうか。もうこの世界にはいない人間のために書かれたシナリオを。

 砥我密目監督が、三神の死とともに葬ったシナリオを。


「プロデューサーは俺が見付けた。砥我さんを裏切ったら殺す。出演者もだいたい決まってる。前に砥我さんの映画に出たことがあるやつもいるし、現場で声かけた若いやつもいる」

「……三神が演じるはずだった役は?」


 絞り出すように尋ねた。

 三神は友達だった。俺にとって本当に大切な人間だった。砥我さんや申だって知っているはずだ。俺と三神がどれほど親しかったかを。

 三神の代わりなんて、この世のどこに。


「スグルちゃんに決まってんじゃん」


 俺の目を真っ直ぐに見据え、申が言った。

 返す言葉が見付からなかった。


「は……?」

「他に誰がいるんだよ。大丈夫? 守るものができて平和ボケしちゃった?」

「なんやその言い方……おまえかて結婚して……」

「そういう意味じゃねえっての! スグルちゃん、芸人としてもそこそこだよねぇ。兄さんとか呼ばれて、舎弟みたいなのいっぱいいるんじゃないの?」

「な……」

「砥我さんと仕事すんのは、今のスグルちゃんにとってプラスになんねかな。それならそれで構わないよ。三神さんの代わりは俺がやる。俺はね、終わらせないよ。砥我さんのことも、三神さんのことも、全部ずっと背負っていくよ。俺が生きてるあいだ全部、いや、俺がくたばっても、砥我密目監督の作品は世界が終わるまで残してやる」


 何も言えない。目が回る。


 そう。俺は芸人として今、そこそこで。俺を慕う若手芸人もいっぱいいて。家庭もあって。申の言う通りだ。守るものがある。マネージャーにも念を押された。無茶な依頼は断ってくださいよ、と──。


「あ。砥我さん、もうすぐ来るって」


 スマートフォンの画面をちらりと見て、申が呟いた。

 帰るか。残るか。もう時間がない。

 三神。

 死んだ男の名を呟く。

 ……おまえやったら、どないする?


「世界が終わるまで?」


 尋ねる。申は大真面目な顔で首を縦に振る。


「っていうか世界が終わって、ビッグバンが起きてもういっぺん始まって人類が繁殖し始めて、世界中の人たちがいちばん初めに見る映画は砥我さんの映画になる。そのぐらい残す」

「なんやそら……無限に続くんか? 砥我さんの映画が?」

「そう。サイコーでしょ」


 アホか。馬鹿馬鹿しすぎる。申は本当に、砥我さんに本気すぎる。

 溜め息を吐く。手を伸ばして、丸テーブルの上に放り出されていた申の煙草の箱を取り上げる。


 紙巻煙草を咥える。申がひっそりと笑い、ライターの火を口元に寄越す。


「禁煙しとったんやけどなぁ」

「大丈夫。砥我さんの現場は全員喫煙者だから」

「こわ。時代に逆行しすぎや」

「三神さんだって禁煙なんかしないっしょ」

「せやな」


 三神だってこうするだろうな。砥我さんがもう一度映画を撮るというなら。


「無限にかぁ……」


 生きて死んで生まれ変わってまた出会ってはじめましての挨拶もそこそこに俺たちはまた砥我さんの元に集って映画を撮るのだろうか。そうやって何度も何度も繰り返すのも悪くはない。俺の傍には三神がいるだろうか。すべてを辞めて書いたシナリオを投げ捨ててしまうような砥我さんを申は懸命に口説き落とすのだろうか。


「無限にね」


 こうやってね、と申の指先がくるくると動く。8の字を横にしたような形。

 喫茶店の扉が開く、ドアベルが鳴る涼やかな音がした。


「お待たせ」


 砥我密目監督が、額の汗を拭いながら立っている。


 おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

life. 大塚 @bnnnnnz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ