魔女剣士メルと賢者の石
ト音ソプラ
第1話 兄様の膝の上
兄様の膝の上が私の特等席だ。
「重い。いい加減座席に座れ」
「やだ。おしり痛くなるもん」
兄様は大げさにため息をついてみせる。が、それ以上は文句を言うことはなく、力づくで追い出すようなこともない。
私はおしりをムズムズと動かして居直ってやった。
「兄妹仲が良くて羨ましい。うちの子たちなんて喧嘩ばかりで」
同席している貴族のおじさんが言う。
「妹というより子どもみたいなもんですよ」
「なにをぅ」
「つねるな、痛いだろ」
「子どもじゃないもん!」
「説得力が無さすぎる」
「十二歳になったらもう大人だって兄様が言ったんでしょ」
「いまのが大人の振る舞いか?」
「まだ子どもだもん!」
「手のひら返しが早すぎる」
「国費留学生の妹さんに、騎士団の小隊長を務めるお兄さん。私からすると理想の兄妹ですね。うちの子もマンセリオンさんと同じ二十四歳なのに領地の若衆とつるんで遊んでばかりで……まったく……」
貴族のおじさんがぼやいているがその目はどこか温かなものを感じた。
いま私たちは四人乗りの馬車に三人で乗っている。幌を通して白い昼間の日差しが入って中は明るい。
がくんと馬車が揺れた。街道に大きな穴でも空いていたのだろう。外界の道では良くあることだ。道といっても正式に整備されたものではない。通る人が多いから自然と出来上がっただけの代物だ。
魔物が跋扈する外界で街道の整備なんて危険すぎてできない。騎士でそれなりの地位にある兄様が私の留学についてきたのも、兄様がシスコンだからというわけではなくて、魔物の危険から守るためだ。
この馬車に乗っているのは、私と兄様、外交官の貴族のおじさんだけだけれど、前後にも数台の馬車が連なっている。国費留学生は私の他にも数人いるし、護衛の騎士や歩兵も数十人単位で追随している。
目的地は帝国の首都だ。私たちの国、魔女共和国と同盟関係にあり、定期的に留学生や使節団の派遣が互いに行われている。
国費留学生に選ばれることは大変栄誉なことであると同時に責任重大だ。なにしろ国の代表として赴くのだから。私は学業優秀、品行方正で、自分で言うのもなんだが見目麗しいのでまさに適任である。胸はまだないけどこれから成長期だ。国の偉い人たちの見る目は正しかった。
「選考委員もいまのメルの姿を見たら後悔するんじゃないですかね」
「なんだとぉ」
「……確かに」
「おじさんまで酷い」
「国の大使をおじさん呼ばわりするのはどうかと思うぞ……」
「おじさんと呼んでください。そっちの方が気安くて良いです。堅苦しいのは私も苦手ですから」
「ほら、おじさんもそう言ってる!」
「……あのなぁ」
兄様が続きの言葉を発しようとしたところで、馬のいななきが聞こえ、馬車が止まった。
兄様は剣の柄に手をやり、私は身体を固くした。
「……ワイバーンだ!」
男の叫びが聞こえ、直後に轟音と衝撃が来た。馬車がひっくり返った。
「メル、大丈夫か?」
「大丈夫……って、兄様!?」
兄様がかばってくれたので私は無傷だったが……
「血が……!」
「かすり傷だこんなの」
顔の半分を血で染めた状態で言われても説得力がない。
「そうだ! おじさんは……!」
振り返ればそこにおじさんの足があった。そのまま上体に視線を向けると、ありえない方向に曲がっているおじさんの頭があった。
「いまから蘇生するね! 待ってておじさん!」
私は腰に差していた魔法の杖を振り抜いた。
「蘇生は後だ! まずここを出るぞ!」
言うが早いか私は兄様に小脇に抱えられて馬車から連れ出された。
「兄様!?」
兄様の判断は正しかった。私たちが出てすぐに馬車は潰されてしまった。ワイバーンの脚に踏みならされた。
砂ぼこりが舞い、小石が飛び散る中を私は兄様に抱えられて通り抜けた。街道から少しそれた草原に出た。
「マンセリオン様!」
「無事だったか……!」
私を抱き抱えたまま、兄様は声をかけてきた兵士をいたわった。
「なんとか……それよりもマンセリオン様、そのおケガは……?」
「かすり傷だ」
「それはかすり傷じゃないよ、兄様。治療するから下ろして」
「……わかった」
地面に下ろしてもらい、さっそく魔法の杖をかざし呪文を唱えた。
「さすが魔女……!」
治癒魔法の効果を目の当たりにして兵士が感嘆する。
「見た目ほどじゃないのね」
「かすり傷だと言ったろう? 頭からの出血は浅くても派手だからな」
「でも治療は必要だよ。血が失われるのは良くない」
「ああ、そうだな……それにしても酷い状況だな」
兄様は雑に会話を打ち切って今しがた抜け出した街道の方を見やった。
つぶれた馬車が数台。おじさんと同様に、あの中に取り残された人もいることだろう。荷車に繋がれたままの馬は逃げられず、かわいそうなことにワイバーンの餌になっている。
――おじさんを蘇生するのはもう難しいかもしれない。
なんとか難を逃れたひとが多かったのは不幸中の幸いだろうか。とはいえ無傷の人は少ない。大なり小なりみんなけがをしていた。
「けが人の治療に行くね」
「任せた」
兄様に許可を貰った私はすぐにけが人の元に駆けつけた。
「すぐ治るからね……」
呪文を唱え、治癒魔法を施す。最初のけが人は足を折っていた。他には腕をやられた人、肩を脱臼した人、肋骨が内蔵をやぶっていた人、馬車の部材がお腹に刺さった人などがいた。
「ありがとうございます!」
「さすが神童と言われる魔女様……!」
この程度できなくて魔女は名乗れない。まして共和国の代表として帝国に行くのだから、相応の力は持っている自負だってある。
「次は……!」
私はワイバーンに視線を向け、立ち上がった。
「……!」
少しめまいがして足元がふらついた。思ったより魔力の消耗が激しいみたいだ。
ワイバーンは三体いた。馬車を蹴散らし、馬をついばんでいる。数人の騎士と兵士がワイバーンに向けて剣や槍を構えているが、ワイバーンの翼と尾にいなされて近づけないでいた。
私は魔法の杖を空にかざし、呪文を唱えた。
風が巻き、辺りがふっと暗くなる。と同時に轟音と閃光がほとばしった。稲妻がワイバーンの一体に直撃した。稲妻に撃たれたワイバーンは地面に倒れた。またその近くにいた残り二体も雷鳴と衝撃によって動きを止めた。
騎士たちがその隙を見逃すはずもない。騎士が掛け声をし、兵士たちがいっせいに突撃しに行って槍を突き立てた。
――仕留めた!
そう確信したのは私だけじゃなかったはずだ。
だがそう上手くはいかなかった。
手負いになったワイバーンは怒り狂って翼を激しく地面に打ち付けた。騎士たちが崩れるようにして倒れた。
――もう一発……!
私は再び魔法の杖を振り上げようとした。
だがワイバーンの方が動きが早かった。魔力の流れを感知したのだろう、私に向かって石礫を飛ばしてきた。
「いった……!」
運良く直撃はしなかった。だから腕や横腹の裂傷で済んだ。着ているローブが血で染まる。
致命傷ではない――行ける!
私は腕を振り上げたまま、魔法の呪文を口にする。
「やめろ!」
いつの間にか兄様が後ろにいた。私の腕をつかんでいた。
「離して! いまがチャンスなんだから!」
「落ち着け! 彼らは死んだ!」
倒れた騎士たちに立ち上がる様子は見えなかった。ひとりはワイバーンの口で身体を引き裂かれていた。
「蘇生に行かなきゃ」
「ここはいったん退くぞ」
身体がふわっと宙に浮いた。また私は兄様に抱き抱えられてしまった。
「兄様! あれを見て!」
「……ウソだろ……」
兄様が呆然とつぶやく。さらに二体のワイバーンが飛んできたのだ。上空から狙いをつけて急降下し、ひとり、またひとりと兵士や留学生、外交官たちをほふっていく。その中にはさっき治療したばかりのひとも含まれていた。
「許せない……!」
私は兄様に抱き上げられたまま、魔法の杖を振り上げた。
「メル!?」
戸惑う兄様を尻目に私は呪文を唱える。風が巻き、空が暗くなる。雷鳴がとどろき、閃光が迸った。
一体のワイバーンが地面に落ち、残り三体のワイバーンが一斉に私の方を振り向いた。
「お前、おとりになるつもりか?」
「背後を突けばまだ勝機はある!」
「お前が死ぬと今回の外交使節団派遣が挫折する!」
「このままだと全滅するから同じでしょ!」
「俺はお前だけでも逃がそうと……」
「そんなの嫌よ!」
「……わかった。俺の前に出るなよ」
言って兄様は私を地面に下ろし、腰の剣を抜いた。両足をぐっと地面にめり込ませた後、素早く一歩を踏み出し、鋭く剣を真横に斬り裂いた。真空の刃が件の切っ先から放たれ、ワイバーンを襲う。
距離があったせいか翼や鱗の一部に傷をつけたくらいで大したダメージは与えられなかった。しかし、明らかに飛ぶ速度は落ち、地面に近づいた。生き残った兵士たちがその隙を逃さず、背後から槍を突き立て、私と同じ留学生の魔女たちが燃え盛る炎の魔法を放つ。
私も負けじと魔法の杖を振り上げた。目の前が一瞬真っ暗になって足元がふらついた。
――魔力切れを起こしてる場合じゃないぞ!
私は自分を奮い立たせてさらにもう一発、稲妻の魔法を放った。しかし今度は当たらなかった。威力の高い範囲魔法の弱点が露呈した形だ。元々命中率が低く、特に高速で動いている相手には当たりにくい。
当たらないからってどうってことはない。当たるまで撃ち続ければ良いだけだ。
私は魔法の杖を振り上げ……そのまま地面に倒れた。ああこれは……魔力切れだ。ちくしょう、私の身体が小さいばかりに……!
魔力の大きさは身体の大きさに比例している。偉大な魔術師は、例外はもちろんあるものの、たいてい大柄だ。
自分がまだ子どもだということを否応なく実感し、無力感に襲われる。でもここで倒れている訳にはいかない。私がみんなを守らなくては……なぜなら、私は魔女だからだ!
鉛のように重くなった身体。なけなしの力を集めて立ち上げる。ふらふらするから地面に足を埋め込んで支えにした。
「メル! 無理するな!」
二体のワイバーンが目前に迫っていた。兄様はたったひとりでこの魔物二体を相手に、一歩も引かずにいなしている。
……二体? もう一体はどこに……と探してみればすぐに見つかった。二体の後ろで、私たち兄妹以外の人々を蹂躙していた。そう、蹂躙だ。戦いにすらなっていない。
魔物は強大で人類は脆弱だ。長い歴史の中で弱い人類は魔物に対抗する技術を作り上げてきた。それが魔法に代表される魔術であり、剣術であり、槍術であり、弓術であり……鍛え抜かれた者であれば魔物に伍することもできた。それは全員がそうではない。見習いもいれば達人もいる。理解はしていたものの、目の前の光景が信じられなかった。魔物に対抗出来る兄と一方的に踏み躙られ兵士たち。そこまで差があるものなのか。師匠に言われた、魔女には人類を護る義務がある、という言葉が重くのしかかる。
ケガは治せる。肉体さえ残っていれば蘇生すら可能だ。ならばいま最善の行動はひとつ。
私は魔法の杖を振り上げ呪文を唱えた。ありったけの魔力で稲妻を呼ぶ。
閃光が走る。太鼓を響かせたような音が聞こえた。魔力が足りなくてずいぶんと小さなものになってしまった。それでもワイバーンの気を引くには充分だった。
押されていた兵士たちが気勢を取り戻し、ワイバーンに突撃した。何本もの槍がワイバーンを突き刺した。そして手負いのワイバーンは翼と尻尾を振り回して群がる兵士たちを一網打尽にしてしまった。
ワイバーンは倒れた。兵士たちも倒れた。
私は血の気が引いて一瞬気が遠くなった。
――大丈夫……後で蘇生させれば良い……!
自分にそう言い聞かせて意識を取り持たせる。
「メル!」
兄様の叫び声が聞こえた。
目の前にワイバーンがいた。気を失いかけたほんの僅かな間に距離を詰められたらしい。
――死ぬ。
そう直感する間もなく横殴りに吹き飛ばされた。地面に転がったもののすぐに起き上がることができた。すり傷程度だ。大したことはない。
「兄様!」
代わりに兄様が大きく負傷していた。片腕を力なくぶら下げ、背中を丸めるようにして立っている。
「俺が時間を稼ぐから、その間に逃げろ!」
私は魔力探知を広げて状況を改めて把握した。おそらく生きている人間は兄様と私だけだ。ワイバーンは残り二体。どちらも手負いで動きは鈍くなっている。確かに今ここで逃げ出せば私だけでも生き残れるかもしれない。
「やだ!」
「わがまま言ってる場合じゃない!」
二体のワイバーンが同時に兄様に襲いかかった。それを一歩も動くことなく片手で兄様はいなしている。
「俺は大丈夫だ! ちゃんと後から追いかける!」
それが嘘なのはすぐに分かった。一歩も動かなかったのは動けなかったからだ。
「早く行け!」
兄様が怒鳴った後、再びワイバーンが兄様に襲いかかった。兄様は抵抗しなかった。おそらくはもう両腕が……
これが逃げ出せる最後のタイミングだったはずだ。私は動けなかった。兄様がワイバーンに屠られる姿だけが目について頭は真っ白になった。
「兄様ぁ!」
私は悲鳴のように兄様を呼んだ。身体が芯から熱くなるのを覚えた。兄様の身体が私に呼応するように白く輝いた。驚いたワイバーンが兄様を吐き出して、偶然、私の足元に落ちた。
そこにあったのは兄様ではなく一振の白い剣だった。私は魔法の杖を捨て、代わりにその白い剣を握った。不思議と力が湧いてきた。
「うわぁぁぁぁ!」
私は自分でもよくわからないまま、叫び、走り、無我夢中になってワイバーンの懐に飛び込んだ。ひたふらに剣を振り回した。剣術なんて知らないから振り回すことしかできなかった。
我に返ったときには私は切り刻まれて赤い肉塊と化したワイバーンと血溜まりの池にぽつんと一人で立っていた。
みんな死んでしまった。つい一時間ほど前は平和な楽しい旅路だったのに。それが一転してこんな凄惨な戦場になってしまった。
「……みんなを蘇らせないと」
身体が残っていれば蘇生はできる。でも時間制限はある。死ぬと肉体からは魂が少しずつ離れていく。完全に離れてしまっては蘇生ができなくなる。その時間については個人差や環境の差が大きい。一般にそれは一日だ。一日経つと蘇生確率が大幅に下がる。二日以上経ってから蘇生に成功した事例もあるにはあるものの、望みは薄い。
『メル……先に身体を休めよう』
「兄様!?」
不意に兄様の声が頭に響いて私は辺りを見回した。しかし兄様らしき姿はない。体はもちろん、身につけていた甲冑や剣も見当たらない。
「生きているの!? どこ!?」
『いまお前が握っているよ』
「……え?」
私は恐る恐る自分の手に視線を下ろした。
「……剣?」
『よく分からないが俺は剣になってしまったらしい』
「生きているの?」
『それはわからないが……意識はある。見えているわけでも聞こえているわけでもないのに周囲の状況もわかるぞ』
「魔力探知みたいなものなのかな……?」
『俺は魔法を使えないからわからないが、お前がそう言うならそうなんだろう』
「とにかく……他のみんなを蘇生しないと」
『その前にメル、お前自身の体力回復が先だ。これ以上無理に魔法を使うと倒れるぞ』
「……そうね」
剣(兄様?)の支えがあってようやく立っているような状態だ。蘇生なんていう消耗の大きな魔法が使える状態じゃないのは自分でもわかる。
『馬車にはポーションが積まれている。帝国への献上品だが……この状況だ。咎められることはないはずだ』
「わかった」
ポーションって独特な甘味があって結構、私は好きなんだよね。特に魔法修練をした後に飲む一杯はおいしい。
ほぼ全滅という惨状のなかにあって、なんとか立て直す道筋が見つかり、ほっと一息ついた。
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