第40話 悪雲

 アドルはこの日、どうにも調子のおかしな日であった。服を着れば服を引っかけて破け、家の段差につまずき転びかけるなどなど。そんなちょっとした不幸が積み重なり、朝からテンションを下げていた。


「はぁ。」

「アドル、どうしたのかしら。」


 あからさまにテンション低くアドルがため息を吐くと、エレナは小首を傾げてアドルの方を見ると、心配そうに声をかけた。


「ああ、エレナ。ちょっと今日は運が悪くてね。」

「そういう日もありますわよ……ね。」


 アドルが今日の出来事を思い返しながら、憂鬱そうに言葉にすると、エレナは気の毒そうな目線を向けて頷いている。

 しかし、途中で何かに気が付いたようにはっと顔色を変えると、語尾の方が段々と小さくなっていく。考え込むように眉を潜めているエレナにアドルは怪訝な表情を向けた。


「ん?どうかした?」

「いえ、何でもないですわ……。」

「そうかい……?」


 アドルはどう見ても何でもありそうな表情のエレナに困惑した表情を受けべると、首を傾げながらもそういうものかと自身を納得させるように言葉を吐く。

 相変わらず難しそうな表情を浮かべるエレナは指先を唇に当てて思考していた。が、次の瞬間にはアドルの方へと背を向けて村の方角へと足を進めていった。


「ええ、ですが、少々用事を思い出したので、失礼いたしますわ。」

「えっ、待ってよ。ちょっ、足はやいなぁ。」


 アドルはいつぞやのアインと同じようなことを言いながら引き留めるが、走り出していたエレナを止めることは叶わず、すぐにその背は小さく言えなくなってしまった。


「なんだったんだろう。」


 アドルはエレナをぽかんと口を開けて見つめていたが、気を取り直したように渦から曲刀を取り出すと、その曲刀で素振りを始めた。

 彼はまだこの後に訪れる悲劇に一切気が付いていなかった。




 一方で走り去ったエレナは頭の中で朧に流れる映像を思い返していた。魔力操作を習ってからしばらく、夢見の悪かったエレナだが、その夢見が現実へ親密に関係していると気が付いてからはその夢見の悪さもいいものだと感じていた。

 その夢見の一部分の映像が今日という日の状況と重なっていた。


「何か嫌な予感がしますわ。たしか、“結局何も分からなかったよ。あの時に死んでいなかったら、何かが変わっていたかもしれない。もしくは変わらなかったかもしれない。”でしたわよね。」


 エレナの頭の中でアドルは話していた。それは後悔か、嘆きか。ただ、彼は独白しており、それをエレナが対面で聞いている。

 煌びやかに光る夜の街は美しいものだけど、エレナにはひどく不気味な光景に映る。変えられない不幸を滔々と語るアドルを見ていると、エレナの心はキュッとしま付けられて、聞いていた時と今の心情が交差する。


「それから“でも、今とは違う未来に辿り着いていた気がする。”でしたわ。“あの日はどうにも運が悪かった。”とも、つまりあの時は今日のどこかの日ですわよね。」


 アドルの言うどうにも運が悪い日。と言うのはおそらく今日で間違えがないはずで、今とは違う未来になっていたという言葉に微かな希望が夢に宿る。

 エレナはいまだに夢見で見た光景を覆すには至らず、アドルとアインが対峙している光景を夢想し続けている。だから、微かな希望でも光があるのはエレナにとって何よりもうれしいことだった。


「先の話で“僕は違う場所にいたよ。僕が届く距離ではなかった。”と、“たまたま運悪く重なってしまっただけ。”とも。」


 僕と違う場所が具体的にどこかは映像の中のアドルは語らなかった。運が悪かったと語る姿もヒントにはならず、エレナの心をざわつかせるだけだ。

 どこか映像の中のアドルは諦めきったような疲れた表情を見せており、ベットに腰を曲げてかけている姿には年齢よりも年老いているように感じさせるだろう。


「アドルと一緒にいてはダメですわ。それから、一度お父様にお会いしなければ。」


 今までも全力で走っているエレナだが、さらに魔力を振り絞って村への道を急ぐ。早く、早くと急かす気持ちを何とか押さえつけて集中力を絶やさず、今と夢の光景を隅々まで観察する。


「笛の音ですわ。街への敵襲。これ、ですわね。」


 すると、エレナの耳に笛の音が村から響いてくる。魔物襲撃を知らせる音である。運悪く重なった、違う場所にいた。その二つに合致する状況が揃った。

エレナはついに解決の糸口を見つけたと思い、全力で村への道を突き進み続ける。夢見の悪さがよくなることを祈って、わき目も振らずに走り続ける。




 一方で。アドルも笛の音を耳にしていた。素振りをしていたアドルはすぐさま渦に曲刀をしまい込むと、村の方へと顔をあげた。


「笛!?街の方か。急がなくちゃ。」


 そして、エレナの通った道を追うようにアドルも走り出した。




 またまた、一方でアイン一行は例の如く森の泉へと来ていた。そこで笛の音を聞いていたアインは瞑っていた目を開けると、その口元ににやりと凶悪な笑みを浮かべた。


「魔物の襲撃か。くくく、ちょうどいいところに来たな。」

「わふっ(本当にいいの)?」

「わふふっ(まだ、考え直せるよ)。」


 アインが凶悪な表情を浮かべているのを尻目に、獣型の魔物たちはアインのことを心配そうに見ている。どんな話を聞いているのか、不安そうに尻尾は垂れ下がり、耳もぺたんと下ろされている。


「きゅーきゅー(いいじゃない。どちらの味方なのよ)。」

「ぴーぴー(主に従う)。」

「考え直しはしない。決めたことだ。」


 アインは決意を口にすると、ルビーのような赤い瞳を村の方角へと向けた。決意の宿る瞳は何処までも真っすぐを見ており、心配そうに見る狼たちの姿もふてぶてしい兎と鳥の姿も目には入らない。


「ぴーぴー(先導する)。」

「ああ、よろしくな。」


 鳥が羽ばたき村への道を飛んでいく。その背を追うようにアインと二匹の狼は走り出た。


「わふぅ(いいのかなぁ)?」

「わふっ(いいじゃん。行こうよ)。」

「きゅーきゅー(私は例の場所で待っているわ)。」


 それとは別に反対の方向へと兎は走り出して、アインへと声をかけると、アインは振り返りもせず言葉を返す。


「ん、分かった。」

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