1階の探訪者
ひとまず、丹塗りの扉まで来た。外からはわずかながらに人の声が聞こえる。
手に抱えている資料の束をその場に置き、適当なメモを残しておく。
『できれば2806階の研究室まで』
何を期待してこんなものを書き置いているのかわからない。だが、31階で出会った女性にどこか期待をしているのだろうか。
だが、私は一階を見る。もはや探究心は止められないほどに肥大化してしまっていたからだ。
帰って来れるだろうと思ってはいるのだが、どこか不安に感じてしまう。もしかしたら、何かとんでもないものがいるのではないのかと、そう思ってしまう。
何度もこういう階段を昇り降りをしていると、段々と慣れてくるものがある。手すりの錆なんかは気にもならなくなった。下へ吸い込まれそうになるような感覚も、今や気に留めるほどのものではなくなった。
一階に降りた今、右胸ポケットの中から頭を覗かせていたボールペンを、おもむろに左手の中へと移し替える。一気に蓋を開けて、そこら中に散らばっているわずかな紙を手に取る。金属の板はすっかり錆つき、トゲを生やしてしまっていた。着けっぱなしだったはずの名札が行方不明だが、もうどうだって良い。
貴重な白い紙の上へ、今の、今までの思いをただただ綴っていく。ここまで感情的になったのは初めてかも知れない。自然と紙がシワを作っていく。そのシワはぼんやりと円形に広がってゆく。ペンのインクが滲んでしまう。
着々と探求の終わりが聞こえる。理性も、感情も、すべてが終わる兆しが聞こえる。通路の先から、背の後ろから、頭の上から―――
素早く1階まで降りてゆく。あの研究者とまた対面しないように。胸の奥から来る原因不明の気まずさもあるが、もっとも、この錆ついた階段には少し負担が大きいと思ったからだ。故の焦燥感が足を支配していた。階層の数字が1つ、また1つと下がっていく。風景はほとんど変わっていなかった。ただ一つ、階段の顔色がどんどん悪くなっていく。それが気がかりだった。
階段が木製になっていた。金属製なのは確かなはずなのに、だ。軋み方も、柔らかさも、色合いも。完全な木だとしか思えなくなっていた。それだけ腐食が進んでいるのだろうか。
懐中電灯が一階の地面を照らしている。酷く散乱した紙に、なにかしらの液体がこびりついている。金物臭い腐敗臭が鼻の奥にまで突き刺してくる。
もはやここに立ち入って整備する人もいないのだろう。自分の気持ちに目を向ければ、一刻も早く帰りたがっている姿がそこにはあった。
そして、背中を一気に震わすほどのものが視界に映った。星の形をした頭を持っている。身体は歪んでおり、二足歩行らしいことしか分からなかった。体長は3mをゆうに越しているのだろう。
靴のかかとが、わずかに正気を保っている金属を打ち鳴らす。そのたびに
しばらくすると、
初めて、感情が理性を押さえつけた。探究心の奴隷から解放された俺は、なりふり構わずに逃げようと、足元の階段を蹴る。
そしてその階段は、大きな音を立てて役目を終えてしまった。
俺の靴は宙を舞った。
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