バニラの味はするけれど・・・

語部

バニラの味はするけれど・・・

「はー、あんたまだこんなに残してんの?」

 リビングに響く姉の呆れた声と冷たい視線に私はどこか申し訳なかった。

 私が夏休みのあいだ好きな部活に熱中し過ぎたあまり、宿題にほとんど手をつけてなかったからだ。

 そこでみかねた姉が手伝ってくれることになったけど――。

 夏休み最終日、テーブルに散乱した宿題の山は朝から集中して始めたこともあり少しずつだが片付いていった。一つの教科を終えて新たな教科に取り掛かったとき、それとなく疑問に思ったことを姉に訊いてみた。

「お姉ちゃん、ここちょっと分かんないんだけど……」 

「え? いやいや、それ中二レベルの内容じゃん。中三にもなって大丈夫?」

 私は苦悶の表情を浮かべた。一応高校受験を控えている夏の時期に、特定の教科だけ成績が致命的なのは分かってる。高校生の姉にこう言われても仕方がなかった。

「言っとくけど、申し訳なさそうにママが宿題みてあげてって言うから仕方なくみてんの。それとあんたに数学を教えるとかは別の――」

 話を途中で遮って、姉はテーブルの傍らに置かれてた皿にある袋入りアイスに目を向け、それを手に取ると素早く袋を開けアイスを口にした。

「らはらぁ、あんたのしゅくらいみおって、あいしゅひつられらは」

 口の中いっぱいに頬張ってるその言葉は聴き取りづらかったが、どうやらママにアイスで買収されたみたいだ。

 我が家では親の教育方針もあってかお菓子やアイス、スイーツの類のものは常備していない。買いに行くにしても自転車で片道五十分のコンビニしかない超田舎なので、子供の頃から少し縁遠いものになっていた。

 だけどいま姉が味わってるアイスは今朝早く、親戚の叔母さんから挨拶がてら頂いたものだ。急なお土産に我が家の冷蔵庫はキャパオーバーになり、十本くらいあるアイスバーのうち入り切らなかった二本は早々に皿の上に置かれ、宿題と格闘している私と姉に午前のおやつとして出されたのだった。

 アイスはまだ冷たいようで、姉の口の中で生まれるシャキシャキという音が私の聴覚を通して味覚を刺激する。

 欲望に負けた私は忙しなく動かしていたシャーペンを置き、アイスに手を伸ばす――だが、その手を姉の左手が組み合うように握り行く手を阻んだ。

 姉はアイスの棒を口から抜くように離し、

「あんたは宿題を終わらせてからね。だからこれは、お・あ・ず・け」

 底意地の悪そうな笑顔を浮かべ放った一言に、私は少し諦めかけた。

 姉との仲は悪くないが、たまに私を試すような悪戯っぽいことをしてくる。たぶんアイスについてもそういう事だろう。ただ姉は約束事は必ず守る性格なので、私の宿題にも監視役として最後まで付き合う気だったかもしれない。

 なら妹としてやるべきことはただ一つ――さっさと宿題を終わらせて久しぶりのアイスを口にするだけだ。

 

 ***

 

 あれからどれくらい集中していたか私には分からない。だけど思った以上に宿題を早く片付けたみたいで、ふいに視界に入った掛け時計の時刻は正午を少し越えたくらいになっていた。

「やっと終わった〜〜」

 私はテーブルに突っ伏し高揚するとともに安堵した。ずっと横にいた姉もソファーにもたれ知らないうちに寝息を立てている。

 薄目で姉の寝姿を見ているうちに、私は重大なことを思い出し、顔を上げた。

 もう一つの目的――アイスを食べることをしなければ。

 また意識が高ぶった私はアイスがある皿を一瞥すると、

「あ、れ……」

 咄嗟に一抹の不安を抱いた。確かにアイスはまだ袋に入ったまま皿の上に存在している。ただ袋の形状は厚みがなく、薄っぺらくなっていた。

 私は嫌な確信を持ったままアイスが入った袋を摘まむように持ち上げた。

「……そっか」

 自らを納得させるように独り言ちると、袋を開け中を見る。そこには乳白色の液体、そして細長い木の棒が漂っていた。

 ――溶けた袋入りアイスほど虚しいものはない。

 これが今日私が得た教訓だった、けれどそのまま捨てるのも勿体なく感じ、木の棒を取り出してバニラとおぼしき液体を飲んだ。すっかり生ぬるくなっていたが、味はバニラそのものだった。

 失望感にとらわれながら、私はアイスの袋等のゴミを片付けることにした。そして何気なく溶けたアイスの棒を見て、少し戸惑った。そこには『当たり』の焼き印が私に訴えかけるように印されていた。

 大抵の中学生ならそれで軽くでも喜ぶだろう。ただ我が家から最寄りの店といえば自転車で片道五十分のコンビニだけしかない、おそらく叔母さんもそのコンビニで沢山のアイスを購入したと思う。

 だが今の私にはそこのコンビニまで行く気力はない……とにかく宿題を終えたことだけでも良しとしよう。

 未だ傍らで眠りこける姉をみて私は僅かばかりの感謝の念を抱いた。

 

 

 

 

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