スピリアロジスト
忘(わすれ)
かっこいい魔法
01
「クレールさーん! おはようございます! 書類のお届けにまいりましたー!」
コンコンコン、と三度扉を叩かれて、外から男性の軽快な声が届いた。
家の壁越しでもよく通るその声は、もうずいぶんと耳慣れたもののように思える。この辺りの地区で集配を担当している、配達員の声だろう。
重たいまぶたを持ち上げる。続けて、より重たい上半身を重力にあらがうように起こす。
たったそれだけの動作があまりに億劫で、もし自分が小柄な人間であったのなら、多少はこの気だるさが緩和されるものなのだろうか……と、時折そんなことを考えたりもする。
――いや、寝起きの気だるさに、体型も重量も関係ないか。
「クレールさーん! おはようございまーす!」
配達員の声が再び響いた。
まだ眠い。昨晩は遅くまで作業を続けていたから、その影響もあるかもしれない。
しかし、眠気にまとわりつかれているからといって、来訪者を無視するわけにもいかない。まどろみに沈み込んでしまいたい気持ちを抑え、渋々ベッドから起き上がり、間接照明に手を触れて明かりをつけた。
もとより切長のクレールの目が、寝ぼけ眼でいっそう細められる。
ぐらりと頭が傾いた拍子に、濃いグレイッシュブラウンの緩やかな癖毛が、つる性植物のように視界に垂れ下がってくる。
やる気のない手つきでそれを掻き上げてから、クレールは寝起きのふらついた足取りのまま、玄関へ向かった。
玄関の扉を開くと、先ほどの声音に負けず劣らずの快活な表情をした男が立っていた。
男はひさしの付いた濃紺の制帽をかぶり、同色の制服を身にまとっている。
制帽の中心部と制服の胸元、それぞれの布地の上には、【輸送局】のメタリックなエンブレムが光っている。
「おはようございます! 眠そうですね!」
「おはようございます。眠いです」
昨日ぶりに発した声はいつもより低く、やや掠れていた。まだ体は完全に目を覚ましていない。
配達員の頭越しに空を見やると、深い群青の下方をなぞるように、うっすらと淡い光が滲み出しているところだった。
目が覚めるような陽の光はそこになく、薄緑色のクレールの瞳は、夜間のみ灯りがともる玄関のポーチライトの光しか反射させていない。
クレールは思わず眉根を寄せた。配達員の顔に目線を戻す。
「はいどうぞ! こちら、王立魔法商からのお届け物です」
差し出されたのは、大ぶりの薄い封筒だった。表側の片隅に、王国が指定する王立魔法商専用の印が押されている。
クレールはそれを受け取りつつ、半ばあきれながら渋い顔を向けた。
「ちょっと……。配達員さん。まだ日も昇りかけじゃないですか」
「はい! 私もだいぶ早起きしてまいりました」
対する配達員はというと、普段日中に訪れたときに見せるそれと変わりのないスマイルである。
しかしほどなく困ったように眉尻を下げて、帽子のひさしの位置を正す動作をすると、申し訳なさそうに口を開いた。
「急ぎの依頼だから朝一にうかがえと、送り主様から時間外対応の割増料金をいただいておりまして……。クレールさんのお宅は都市内とはいえ、このとおり町外れにありますから、朝一となるとどうしてもこの時間帯に」
薄暗がりの中、配達員はちらりと家の周辺に目をやった。
舗装される予定もない土道。道沿いに古びた街灯がぽつぽつと立っているものの、それ以外にあるものは青々と生い茂った草木たちと、湖だけだ。家屋はクレールの家の他にひとつもない。
町外れという彼の表現はまだ遠慮があるほうで、言葉を選ばずに言ってしまえば森。森の奥に孤立する家、と呼ばれたほうが適切かもしれない。そのうえ決して低いとは言えない頻度で、集配の機会があるときた。
いくらそれが仕事であるといっても、輸送局からしてみれば、この家がしち面倒な訪問先であることには違いないだろう。
配達員は「どうかご理解ください」とにこやかに笑った。
「もー……」唇を歪めると、つい不満を孕んだ声が漏れてしまう。
しかしクレールは諦めたように小さく息を吐いてから、すぐに口元を正した。緩く口端を持ち上げて、玄関のすぐ傍らにある棚の上からペンを取る。
「なんて、配達員さんに不満を漏らすのは筋違いでしたね。朝早くからお仕事お疲れ様です。サイン書をください」
渡された紙に手早く受け取りのサインを記して、配達員のもとへ返す。
このようなことで、いちいち気を乱していてはきりがない。突飛な時間帯の来訪など、今に始まったことではない。
何より、ここに住むと決めたのは自分自身の選択なのだ。
「クレールさんも、いつも魔法製作のお仕事お疲れ様です。早朝からご応対いただきありがとうございました! それではまた!」
明るい声を見送って扉を閉めると、クレールはそのまま自身の背をもたせかけた。
さっそく配達物の封を切る。
中には仕事の依頼関連の書類が数枚と、グリーティングカード程度の大きさをした洋封筒が入っていた。
取り出したそれらを交互に見やり、くるりと洋封筒を裏返す。
「魔法の製作依頼書と……これは、手紙?」
裏面の右下部分に、見慣れた筆跡で送り主の名が書きつけられている。王立魔法商の
手紙を開封し、紙面に書きつづられた文へ目を落とす。
“拝啓、クレール様――”
「……。城下町にある孤児院の、青年……」
達筆の文字列を追っていく。
『城下町の孤児院で生活しているある青年が、“自分専用の魔法が欲しい”と私のもとへ相談に来た。どうやら道を選びあぐねているようだ。魔法技師であるきみに、話を聞いてやってもらいたい』
手紙の内容は、要約するとそのような主旨だった。末尾には孤児院の名称と所在地、そして簡単な地図が書き記されている。あいも変わらず無駄のない、さっぱりとした文だ。
こうして時々届く館主からの手紙は、いつだって簡潔な文面で要件のみが記されていて、分かりやすい。
だがその反面、情報量が少ない。少ないというより、ほとんど無いに等しい。
今回の場合、“ある青年”が自分専用の魔法を求めている理由やそのいきさつはおろか、青年の名すら記されていない。
ここまで簡潔だと、手紙を書くのが面倒で手を抜いているのではないかとすら思えてくる。
――いや、魔法技師の最初の仕事は、“依頼主からの詳細な聞き取り”だ。
魔法技師である自分に的外れな先入観を抱かせないよう、あえて前情報を与えないという、館主なりの配慮かもしれない。
かもしれない、ではなく、そのように思いたいところである。
(自分専用の魔法が欲しいというのは、一端の魔法士であれば一度は考えることかもしれないけれど……)
それにしても、“道を選びあぐねている”とはどういうことなのだろう。何かの比喩表現にも思えるが、いかんせん情報がないので、想像にも及ばない。
クレールは寝室に戻らずに、依頼書と手紙を片手に作業部屋へ向かった。
作業部屋の壁際に配置した木製デスクの上には、魔法の構成に関するメモや、試作の魔法式を乱雑に書き込んだ紙が散らばったままだった。
それらを適当にまとめて隅に寄せ、手にしていた書類と便箋を置いて椅子に腰掛ける。
「依頼書のほうは……“一般魔法”のオーダーか」
魔法のオーダー。それはすなわち【魔法書】の製作依頼である。
人が魔法を使うためには、まず書を読み、魔法の構造を知る必要がある。魔法書がなければ、人は基本的に魔法を習得することができない。
クレールは、その魔法書を作ることができる。
依頼書に細かく記載された“オーダー内容”を視線でなぞっていく。そうして視界に入り込んできた納品日の日付に、クレールは目を見開いた。
「納品希望日……明日!?」
思わず大きな声が出てしまった。
たとえ基礎的な魔法であろうと、魔法書の製作には最短でも二〜三日ほど時間をもらうというのが相場だ。当然、魔法商に携わる人間がそれを知らないはずはない。
なるほど、それで“朝一の配達”ということか。――できれば腑に落ちたくなかった。なかなかの無茶を言ってくれる。
クレールはげんなりとして、長めの吐息をついた。
(一日中文字を書き続けるのって、結構しんどいんだよなぁ……)
心の中でぼやきつつも、仕方なしに、デスクの奥側に並べ立てられている本たちへ手を伸ばした。
指先は迷うことなく一冊の本に触れ、それを抜き取る。魔法理論の参考書だ。
この世における魔法とは、大きく分類するとふたつに分けられる。
ひとつは【一般魔法】。
理論が比較的単調で、かつ構造が確立されている魔法が、そのように呼ばれている。簡単にいえば、
つまり量産も可能で、ベースが確立している分、魔法書の作り手の腕によっては、多少のアレンジを加えて派生魔法を作ったりすることもできる。
たとえば、“
理論がシンプルであるため扱いやすいものが多いが、その代わり、使用者が誰であっても魔法の出力に大差が出ない。ビギナーの魔法士が使おうが熟練の魔法士が使おうが、精度は違えど強さは大きく変わらない。
もうひとつは、【創作魔法】と呼ばれる。
これは使用者である魔法士に合わせて製作される、いわば一点物の魔法だ。
その魔法書は、使用者の技量、身体の特性、普段の魔法の使い方――すべてを考慮し、その人だけの“最適解”を導き出すことを目指して作られる。
一般魔法とは異なり理論も構造も複雑になるため、制作に時間を要することが多いうえに、完成する魔法のクオリティには作り手の技量も大きく影響する。
創作魔法を作ることができる者。またはそれを生業としている者。
クレールを含めたその技術者たちこそが、【魔法技師】と呼ばれている。
魔法士個々人の性質にどれだけマッチした魔法が作れるかどうかは、魔法技師の能力にかかっているといっても過言ではない。
(たぶん、館主の依頼のメインは“そっち”だな)
そう、きっと、創作魔法の依頼。孤児院の青年のための――。
会ったこともない青年の姿影を、頭の中で思い描いた。
その青年は、どんな人間なのか。どのような経緯があって、自分だけの魔法を望むに至ったのか。
しばし青年について思考を巡らせてから、クレールは区切りをつけるように鼻で息をついて、手元の参考書を開いた。
まずは目の前の仕事を片付けるのが急務だ。なんせ納品スケジュールが無茶すぎる。
引き出しの中から真っ新な白紙を取り出して、卓上に放置されていたペンを手に取る。
ようやく地平線から顔を出し切った太陽の光が窓から差し込み、クレールの背中を照らしていた。
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