天使レヴィエルの話
白い綿をどこまでも敷き詰めたような、天国の雲の原の一隅に、一本の美しい木蓮の木がありました。盛りの季節には、薄紫の明かりの灯った、美しい花を枝いっぱいに咲かせ、それは雲の原を照らす、大きな明るい篝火のようにも見えたのです。
その木蓮の木の明かりの下に、小さな銀の机をおいて、天使レヴィエルが何かを書いていました。真珠をのめしたような光る白い紙に、青い星光のインクペンで、小さな手紙を書いていたのです。それは子供たちの魂に送る、美しい愛の手紙でした。レヴィエルは子供たちにもわかるやさしい言葉で、人間の美しい未来の夢を、書いていました。どんなに苦しいことがあっても、必ず愛に帰って来るんだよと、レヴィエルは子供たちのために、手紙を書くのです。それは人間たちの未来を正しい方向に導く、レヴィエルの使命でした。
今、地球の人間たちは、いろいろな間違ったことをして、地球を汚していました。その苦しい現実を何とかするために、レヴィエルは子供たちに手紙を書くのです。子供たちこそが、人間の未来だからです。
美しい愛の言葉を珠玉のように並べて、手紙を書き終えると、レヴィエルはそれを小さく折りたたみ、魔法の呪文を吹き込みました。すると手紙は、小さな白い小鳥に変わって、はたはたと空を飛び始めました。小鳥は、一息天国の雲の原の上を飛び回ると、やがて地球に向かって飛んでいくのです。渡り鳥のように、遠い地球に向かって何万里もの空を飛んでいき、眠っている子供たちの夢に飛び込んで、レヴィエルの美しい愛の言葉を、子供たちの魂にささやいていくのでした。
その愛の言葉は、子供たちの魂に溶け込み、子供たちの人生を少しずつ愛に導いていくはずでした。子供たちは、目を覚ましたら夢のことなど忘れているけれど、何か暖かなものが自分の血の中に流れている気がして、みんなのために何かいいことをしたいような、幸せな気持ちになりました。そうやってレヴィエルは、少しでも人間の未来を美しくするために、毎日いくつもの愛の手紙を書いているのです。
さてある日のことです。いつものように手紙を書いていたレヴィエルのところに、遠くから天魚の声が聞こえてきました。それは天使たちに、天魚の講堂に集まってくるようにという声でした。何事だろうと、レヴィエルはふと手紙を書くのをやめ、背中から薄紫色の翼を出して、声を追って天魚のところに飛んで行きました。
それはまたすばらしい天魚でした。山よりも大きく、真珠色の美しい鱗が星のように並んで輝き、瞳は深い海の色をしていました。そして薄衣のような長いひれを翼のように細やかに動かして、雲の原の上を泳いでいました。周りにはたくさんの天使が集まり、次々と天魚の口に入っていきました。何か大変なお知らせがあるらしいと、近くを通った天使が言いました。レヴィエルは胸に少し不安を感じながら、自分も天魚の口の中に入っていったのです。
天魚の中の講堂には、オリーブ色の美しい草原があり、大勢の天使たちが草原の上に敷物も敷かずに座っていました。さわさわとさわめく天使たちの声を聞きながら、レヴィエルも草原の一隅に座りました。見ると、草原の中央には、深紅の翼をした大きな天使が立っていて、真珠色の貝をあしらった美しい琴を持っていました。レヴィエルは息を飲みました。その琴は、めったなことでは外に出ない、神の宝だったからです。
何かの予感を感じて、レヴィエルは翼を震わせました。
やがて天魚の講堂に、来るべきものがすべて来た時、深紅の翼の天使が琴を顎にあて、一息の旋律を奏でました。すると天使たちは一斉に黙りこみ、深紅の翼の天使を見つめました。深紅の翼の天使は、悲しげな目で天使たちを見まわし、ほう、とささやくように言いました。
「神が、重大な御決意をなされました。地球に、災いの見えない星をぶつけるとおっしゃるのです」
レヴィエルはびっくりしました。天使たちが一斉にざわめきました。
「ご承知の通り、人間は今間違ったことばかりをして、地球を汚し続けている。その罪が、もう看過できないほどに大きくなりすぎているのです。ゆえに神はそれを清めるために、地球に災いの星を降らせることになさったのです」
レヴィエルは呆然としました。災いの見えない星、それは最も厳しい神の愛なのです。
見えない星は、人間には見ることはできません。ですが天使には見ることができました。深紅の翼の天使は、また琴を一息奏で、魔法を行って、その見えない星の幻を、みんなに見せました。それは雪のようにまっしろな浄化の星でした。全体に小さな刺がいくつも生えていて、まるで大きな白いいがぐりのようにも見えました。何ということでしょう。これが地球に降ると、人類に災いが起こるのです。恐ろしい疫病が流行り、人類は大きく数を減らしてしまうのです。
しかしそれも神の愛なのでした。長い無知の闇をさまよう人間の罪を清めるために、神は人間に大きな試練を課すのです。
レヴィエルは震えました。この星が地球にぶつかれば、多くの人間が死んでしまうことでしょう。レヴィエルがいつくしんできた子供たちも多くが死んでしまう。それが神の愛だとわかっていても、レヴィエルは苦しくてなりませんでした。どうにかできないのかと、レヴィエルは思わず深紅の翼の天使に訴えました。深紅の翼の天使は、黙ってかぶりを振りました。神の御決意には、誰も逆らうことはできないのです。
天魚の講堂でのお話が終わり、レヴィエルは木蓮の木の下の仕事場に戻りました。書きかけの手紙を前にして、レヴィエルは思わず泣いていました。どうにもならないのだ、神がお決めになったことだから。こうして子供たちのために愛の手紙を書いてきたことも、一切無駄になってしまうのかと思うと、絶望が心を覆い、レヴィエルは嗚咽を抑えることができませんでした。
そんなレヴィエルを、木蓮の花が慰めました。レヴィエルはやさしい木蓮の心を感じながら、どうにかして人間たちを救いたいと願いました。だがどうすればいいでしょう。どうすればいいでしょう。神のなさることは、厳しくも、人間への深い愛なのです。それに逆らうことなど、できるはずがないのです。
やがて月日が過ぎました。神が見えない星を地球にぶつける日が来たのです。その星は、まるで彗星のように、彼方から飛んできました。しかし人間は誰も気づいていません。人間にはその星を見ることも感じることもできないのです。天使たちは地球の周りに集まり、その星を見ていました。真っ白な浄化の星、それは神の愛のしるしでした。しかしそれは、これからすべての人間が味わわなければならない、惨い試練の道を導く、不吉の星でもあったのです。
星は一直線に地球に向かっていました。近くから見るとそれは一個の不思議な光る岩に見えました。天使たちはみな悲しみに濡れていました。これから人間たちが味わう苦しみを思うと、みな耐えられぬほど苦しかったのです。
しかし、その星が、地球の大気圏にぶつかるその寸前のことでした。
星の前に、ひとりの天使が現れ、大きく翼を広げて、全身でその星を受け止めてしまったのです。
それはレヴィエルでした。
天使たちが息を飲みました。そして一斉にレヴィエルのもとに集まりました。レヴィエルは翼を大きくはためかせ、渾身の力で、災いの星を、跳ね返してしまいました。
神さま、神さま!
レヴィエルは叫びました。そして、星を受け止めた衝撃で傷ついた胸を抑えながら、ふうと言い、最後の力をふりしぼって神に訴えたのです。
神さま、わたしは人間を愛しています、そして信じています。だから今少し待ってください。
そしてレヴィエルは疲れ果て、そのまま気が遠くなり、意識を失ってしまいました。
気が付いた時、レヴィエルは天国の原の木蓮の木の下で横たわっていました。仲間の天使が、心配そうにレヴィエルの顔を覗き込んでいました。レヴィエルは半身を起こして、周りを見回しました。たくさんの天使がそこにいて、自分を見つめていました。ああ、馬鹿なことをしてしまったと、レヴィエルはささやくように言ってうつむきました。しかし近くにいた仲間の天使が言いました。
天使がひとり、最後まで信じると言ったので、神がご方針をお変えなさったと。
地球上に、疫病の試練は起こりましたが、それは破滅的な試練にはなりませんでした。神が、人類の苦しみを、少し軽くしてくださったのです。
それを聞いたレヴィエルは驚きました。思わず胸に手を組み、泣きながら神に感謝しました。そしてまだ痛む胸のあたりをおさえながら、涙が枯れるまで、泣き続けました。
そしてレヴィエルは、傷が癒えると、また手紙を書き始めました。子供たちの夢に届ける、美しい愛の手紙を。どんなに迷っていても、必ず、必ず愛に帰ってくるようにと願う、清らかな手紙を。
子供たちこそが、人間の美しい未来なのだ。人間を愛の時代に導く、新しい夢なのだと。
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