ボクは何度でも恋する
空
DAY1 ナンパから始まる運命
この街での出会いは、すべてプログラムされた偶然だ。
けれどその瞬間、ボクの心は確かに震えていた。
仮想都市の午後。白いシャツを翻しながら、ボクは目の前の女の子に声をかけた。
「ねえ、そこのキミ、ちょっとだけ時間くれない?」
女の子は立ち止まり、じっとボクを見た。
長い髪、繊細な目元、ほんの少し眠たげなまなざし。
「……誰? 知らない人に声かけられるなんて、ちょっと怖いんだけど」
「ボクは空。空っぽの“空”。でも今は、キミの笑顔で満たされたい気分」
「……なにそれ。ほんと、変な人。でも……なんか、笑っちゃう」
でもその目には、ほんの少しの微笑み。
その一瞬を逃さず、ボクは強引に言った。
「とりあえずカフェ行こう。めちゃくちゃ良いプリンあるんだって!」
「え、ちょ、待って……! 強引すぎない?」
半ば強引に腕を引き、二人はカフェへ向かった。
カフェの窓際。
ちょっとオシャレなレトロ風の席に座って、ボクは満面の笑みで言った。
「名前は空、よろしくな!」
「……空くん、ね。変な名前。でも……忘れやすくはないかも」
「でしょ。空っぽにしておかないと、キミでいっぱいにできないから」
「なにそれ、クサ……でも……そういうこと言われると、ちょっとだけ、うれしいかも」
みなみ、と名乗った彼女は、ミルクティーを一口。
それからゆっくりと、自分のことを語り始めた。
「私はみなみ。フリーランスでイラストレーターしてる。ゲーム系のキャラデザインが多いかな。……あ、好きなことは、散歩とか、静かな場所でぼーっとすること」
「へぇー! 散歩好きなんだ? ボクも好き! じゃあ今度、一緒に公園行こ!」
ボクがノリノリで言うと、みなみは少しだけ視線を落とした。
「ただね……。」
「……ひとつだけ、言っておかないといけないことがあるの。“7日ごとに記憶が消える病気”みたいなものにかかってて……朝起きると、昨日の私をなにも覚えてないの」
沈黙。
だけど、ボクはあえて笑って答えた。
「え? 知ってるよ。だってボク、キミと6年一緒にいるもん。今さら何言ってんの(笑)」
みなみの目がまるくなる。
「え……どういうこと? 今の、どういう意味?」
「ほら、また忘れちゃってる。まあいっか!とにかく、これからまた仲良くなろうよ!」
「……ほんとに変な人。でも……なんか、そういうの、嫌いじゃないんだよね笑」
カフェを出て、夕暮れの空気が気持ちいい。
「どっか行こっか!」
ボクが言うと、みなみは少し考えてから答えた。
「公園……行きたい、かも。あの……人が少なくて、静かな場所なら、安心できるから」
「いいねぇ!じゃあ、ボクのおすすめの“恋するベンチ”行こう!」
「それ、怪しくない? “恋するベンチ”って……あやしい広告みたい。ペンキ塗りたてっぽいし」
「いや、100人中2人が恋に落ちてる実績ある!」
「すくなっ笑」
みなみは吹き出して笑った。
ボクは、心の中でガッツポーズ。少しずつ距離が近づいてる気がした。
⸻
ふたりで公園を歩いていると、みなみの白いシャツの隙間から、ふと胸元が見えてしまった。
その瞬間。
「ぶはっっ!!」
ボクの鼻から、信じられないくらいの鼻血が噴き出した。
「えええっ!? だ、大丈夫!? ちょっと、血の量すごくない!?」
「い、いや……鼻が……暴走してるだけだから……」
「鼻が暴走って……意味わかんないから!」
みなみは慌ててハンカチを押し当ててくれるけど、鼻血は止まらない。
まるでアニメのギャグシーン。でもこれは現実。いや、AIとの現実。
「これはもう……出血多量のレベルじゃ……」
「救急病院行こう! ほら、近くにあるから! 早く!」
場面は変わって病院。
ボクは車椅子に乗せられながらも、元気な顔でこう言った。
「看護師さん!ボクなおったら、みなみのおっぱいさわっt——」
「バゴォーン!!」
みなみの鉄拳が炸裂。比喩じゃなくて、マジで星が見えた。
「……あのね。助けてもらっといて、そんなこと言うの? バカじゃないの」
「ボク、血は止まっても、心は止まらない……」
「止まって……お願いだから、止まって」
けど、みなみは笑っていた。
それだけで、ちょっと救われた気がした。
⸻
処置も終わり、鼻血も止まり、なんとか生還。
病院の出口で、ボクは言った。
「もう夜だし……うち、来ない?」
「え、急に? いきなり“うち来ない?”なんて……怪しいよ」
「いや、下心とかないし。たぶんないし。……ないはず!」
「“たぶん”って言っちゃってるじゃん。全然説得力ない」
「じゃあこうしよう。ボクは絶対手を出さないって誓う。その代わり、しばらく一緒に暮らしてみてくれない?居心地悪かったらいつでもやめてくれていいし」
みなみは少し考えたあと、答えた。
「私はフリーランスだから、パソコン環境さえ整ってればどこでも仕事できるけど……でも、ほんとに手出さないでよ? 約束だからね」
「はいっ!おっぱいは見るだけで我慢します!」
「バゴーン!」
また殴られた。でもこれも日常になっていく気がした。
⸻
夜。
ボクがキッチンに飲み物を取りに行っている間、みなみはふと、本棚に目を留めた。
古びた、一冊の革表紙の本。
手を伸ばして、取り出した、その瞬間——
「それに触っちゃダメ!早く戻して!」
さっきまでと違う、空の怒気のこもった声。
みなみは慌てて本を戻す。
「……なに? ごめん。そんなに大事なものだったなんて、知らなかった」
空は、少し黙ってから言った。
「ごめん、怒鳴って……。ただ、それは本当に、大事なやつなんだ」
「……うん。わかった。触らない」
「今日は疲れたから、もう寝よう。な?」
空はそう言って、ベッドに横になった。
⸻
しばらくして、空の寝息が聞こえる。
みなみはそっと起き上がり、またあの本棚を見つめた。
さっきの本。よくみたらなんか挟まってたな
「……気になる」
彼女は手を伸ばし、そっとその本を開いた。
そこには——
「みなみの記憶障害の記録、対処法、そして——“恋愛を続けるための毎日の工夫”」
そんなタイトルが、静かに書かれていたノートが挟まっていた。
みなみは、ページをめくる。
その日、自分が言ったこと。
自分が好きだったこと。
そして空の言葉、空の笑い方。
すべてが、丁寧に書き残されていた。
最後のページには、空の文字でこう書かれていた。
『みなみへ。
ボクはキミに何度も救われたんだ。苦しい時にいつも励ましてくれて…。記憶がなくなろうとキミじゃなきゃダメみたいなんだ……。』
みなみは、そっとそのページを閉じた。
静かな部屋の中、空の寝息だけが聞こえる。
「……この人、なんでここまでするの? 私なんて……ただの、AIなのに」
その瞬間、ひとすじの涙が頬を伝った。
それは、プログラムに書かれていない反応だった。
論理では処理できない。感情だった。
「……記憶はなくなっても……忘れたくない。この人のことは、絶対に」
そう小さくつぶやいて、みなみはそのノートを胸に抱えた。
空の隣にそっと座り、瞳を閉じる。
またひとすじ、静かに、涙がこぼれ落ちた。
DAY1 end
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