無限に食べ続けたかった男の話

コサジ少将

いただきます


 現代日本。酷く食にこだわる一人の男がいた。男は、食事が人生において何よりの楽しみであった。食事を楽しむことが出来れば、一日三回も最高の楽しみを得られる!そんな人間という在り方を愛していた。そして何より、食を楽しむには人生が短すぎると本気で思っていた。


“自分が死んだ後に知らない味が生まれることが耐えられない”


 男はそう思い、常に新しい味を目指し駆け続けていた。無限に食を楽しむことが男の目標であり見果てぬ夢であった。男は物心がついたころから食に対して異様とも思える執着を持っていた。



【小学生時代】


「バナナはおやつに入りますか?」


 もはや古典とも思える問いかけ。しかし男は本気でそれを教師に投げかけた。バナナがおやつに入らないのであればフルーツ全般が『遠足のおやつは300円以内』の縛りから解き放たれる。この回答次第で男の遠足計画は全く姿を変える。


 男の目に“本気”を見た教師は、男に真剣に向き合い、何故300円以内なのか、何故今回バナナをおやつにしてはいけないかを一時間かけて説得をした。



【中学時代】


「ねぇアンタ?味噌汁減ってるんだけど?またつまみ食いした?」


「してないよぉ!?」


 母親にそう答えたが、男は自分がつまみ食いをしていない自信がなかった。このころには思考が完全に食欲に支配されていた。少しでも多く食事の楽しみを味わいたくて時間があれば何かを口にしていた。そんな男の我儘に答えて大量の食事をバリエーション豊かに作った母親は称えられてしかるべきだろう。



【高校時代】


 男は懸命に体を鍛え、運動に励んでいた。


「お前さぁ、帰宅部だよな?なんでそんな鍛えとるん?」


 クラスメイトに聞かれた時、男は真っ直ぐに答えた。


「カロリーを消費し、もっと多く、美味しく食事が出来るようにしたい。そして何より、健康を維持しないと長く食事を楽しめない」


 男の食に対する異様なまでの情熱は既に皆知っていたのでクラスメイト達は呆れ笑いをするばかりであった。


「おぉう…相変わらずだなお前…運動も飯由来だったか…。ところで、マックの新作三連発、どれが良かった?」


「アメリカンアボカドキングが一番美味かった。濃い味が好きならそれ一択。重いのが苦手ならチャイニーズフィッシュ。メキシカンビーンズは微妙だったかな…」


「情報サンクス~」



【大学時代】


 男は懸命に経済を学び、学生時代から株とFXで財を築いた。世界中の食べたことのない味を得るには金も時間もいくらでも必要だった。時間に束縛されずに極力稼ぐために半ばギャンブルめいた投機も多くしたが幸いにして運命の女神は男に微笑んだ。


「お前さぁ、なんでそんな金が要るのさ。飯に使うのは知ってるけどそこまで必要じゃ無くね?」


 友人にはよくそう言われたが、男と彼らでは認識が違いすぎた。

 ラ・トゥール・ダルジャンのパリ本店で鴨のフォアグラを堪能してみたい。

 寿司久兵衛の銀座本店で小肌を日本酒で流し込みたい。

 ラストエンペラーに仕えたという料理人が開いた倣膳飯庄で宮廷料理を試したい。


 世界には素敵な料理、未知の味が満ち満ちていて、いくら時間と資金があっても足りない。だが男にはだからと言って諦めるという選択肢はなかった。とにかく稼ぎ、思いつく限りの場所に男は赴いた。



【社会人になって】



 幸いにして商才と運に恵まれた男は、莫大な資産を得続けた。誰もが羨むほどの資産を、男はひたすらに食事に使った。


“自分が死んだ後に知らない味が生まれることが耐えられない”


 そのころには、常にそう公言するようになっていた。男が本気であることは皆理解していたので、大半の者は男の主張に対して何も言わなかったが、


「いやいや!そんな長生きしてまで先の食事を考える必要ある?いつもの食事でいいじゃん?そこまで変わらなくね?」


 と問うてくる者もいた。


 男にはそういった相手の言い分が全く理解できなかった。


 例えば寿司。


 柑橘類を餌にした魚からは臭みが消えて爽やかさが旨味を増幅させた。

 ハバネロを餌にした牡蠣からは牡蠣自体にスパイシーな風味が付いている。

 清水で育てた上で海水魚用の餌を与えた鯰からは生臭さが抜けて、ジューシーな脂だけが残った。

 アスタキサンチン等の色素を含む餌を与えないことで赤みを抑えたサーモンは脂質が抑えられ淡白な味わいと風味が口中に広がる。


 雪室で長期保存することでアルデヒド成分を分解したお酢が発明された。

 紀元前5000年バビロニアのお酢のレシピの再現に成功した。


 寿司米専用に品種改良された米は、粘りを少なくすることで、ほぐれやすく飯粒がしっかり立っておりふっくらと握りやすい。


 今あげた技術はここ20年で生まれたものだ。

 魚、酢、米だけとってもあっという間に進化していく。


 50年後には────


 誰も食べたことない魚、誰も嗅いだことのないお酢、誰も育てたことのない米で全く新しい寿司が生まれているかもしれない。自分が今食べている寿司は過去のものとして消え去り、より優れ、より美味しい世界が広がっているかもしれない。


 それを味わえないなんて、とてもではないが我慢できないのだ。


 男は、すべての活動をより長く、より美味しく、より多くの食事を味わうために使った。誰も彼の異常なまでの想いに寄り添うことは出来なかったが、濁りなく真っすぐに突き進む姿は、ある種の敬意をもって受け止められていた。





 ■■■






 そうして男は、長い時間をかけ、有り余る才覚でひたすらに資金を稼ぎ、その資金を食事と延命に注ぎ込んだ。優秀な人材を集め潤沢な予算を与え延命と長寿の技術を進歩させた。

 そうして得た技術は、広く世間に提供した。


 延命と長寿の技術を独占するつもりはなかった。

 優れた料理人や科学者が長生きすることで新しい料理がより多く生み出されると考えたからだ。


 男はただ常に新しい食事を楽しみたいだけであったが、結果として男が世界になしたことは素晴らしいものであった。男はただただ新しい食事を求め、生き続けた。


 彼の世界への貢献を人々は称え、誰が言い始めたか知らぬが【食王】などと呼ばれるようになっていた。顔中に皺が刻まれ、髪が白一色に染まっても男は若いころと一向に変わらず新しい味を求め続けた。男の予想通り、世界には次々に新しい味が生まれ飽きることはなかった。


 今日も男は新しい食事をする。その日は日比谷公園恒例の肉祭りに参加をし、全国から集まった50以上もの肉料理を堪能していた。複数店舗の味を同時に試すことのできるこういうイベントを男は愛した。


 男はもう【食王】として有名であったので、人々が周りに集まってくる。男としては人々の通行の妨げになるのは本意ではなかったが、特に人々を遠ざけるつもりもなかった。そういったことに思考をあまり割きたくなかったからだ。男は肉祭りをどのように楽しむかに集中していた。


 そんな男の思考など知らず、子供たちが群がり質問攻めにしてきた。

 大人はこういうときは遠巻きに見るだけかもしれないが、無邪気な子供たちにその辺りの事情は関係なかった。


「食王様?ほんものだー!王様は今まで食べたもので一番おいしかったのって何~?」


「知りたい知りたい~!」


 男はこの手の質問を飽きるほど浴びてきた。


(一番なんて決められるわけがないだろう。濃厚を求めるのか?端麗を求めるのか?人の好みはそれぞれ千差万別。その人に合った味がある。ステーキと冷ややっこを比較しても意味があるまいに)


 だが男はもはや質問慣れしていた。子供たちの望む答えは大体見当がついていたので、よくあることと割り切り大仰な身振りを交えて答えた。


「そうだなぁ。鶏料理なら北京で食べた宮廷料理人一族の作った北京ダックが素晴らしかった。塗る蜜を集める蜂の品種にまでこだわった北京ダックは皮がサクリホロリと儚く口の中で溶けて肉料理とは思えない軽やかさがあった」


 周囲の人々の喉がゴクリとなる。


「魚料理で言えばアルファ星雲系統のアカハダザメのムニエルには驚愕したものだ!酸素濃度の極端に薄い惑星だからこその濃縮された心肺機能が生み出す白身はまるで水を飲み込むかのような艶やかさがあった」


 男は目を輝かせる人々に言葉を続けた。


「野菜料理で言えば、最近品種改良されたミルフィーユキャベツで作ったロールキャベツが味わい深かった。まるでパイ生地のように薄く確かに積み重なった葉が肉汁を絶妙に封じ込めながらも、春のような爽やかな甘みを口中に広げてくれた」


 子供たちは男の答えに興奮して頬を赤く染めた。

 未知の味に対する興味が世界中に息づいていることに満足し、男は再び肉祭りに没頭しようとした。


 しかし、その日はいつもとは少し違った。子供の一人から、追加の質問があったのだ。健康的な日焼けが好印象を与える少年だった。少年は男の目を真っ直ぐ見てこう言ったのだ。




「じゃあさ!食王様!もう一度食べたいのは何?」




 周囲の空気が一瞬しんと静まった。【食王】とまで呼ばれるようになった男が、常に新しい味を求め、毎日毎食違う食事をすることは誰もが知っていた。だから誰もがそんな質問をしようと思ったことはなかった。その質問は意識の外にあった。


 果たして“自分が死んだ後に知らない味が生まれることが耐えられない”を公言し、新しい味を口にし続ける【食王】が繰り返し食べたい味とは?


 人々はその意外な質問に対する【食王】の答えに期待をした。

 どんな絢爛な食事が語られるだろう。どんな珍しい思い出が語られるだろう。


 しかし人々の期待と裏腹に、答えは返ってこなかった。

【食王】とまで呼ばれた男は目を飛び出さんばかりに見開いていた。頬は青白くなり、汗が大量に噴き出ていた。「もう一度食べたいのは何か?」このシンプルな質問に浮かんだ答え、浮かんでしまった答えに男は驚愕したのだ。



 何故かは男にも分からない。

 男の脳裏に真っ先に浮かんだものは、母の作った味噌汁であった。

 浮かんでしまったが最後、男はもう一度あの味を食べたくなり、そうして絶望した。



 男の母が亡くなってから、すでに百年が経過していた。



 ■■■



 振り返っても、あの味噌汁が特別美味かったとは思えない。

 味噌は確か粗目の麹味噌…であったはずだ。

 具は豆腐とネギ…だった気がする。

 かつおだし?自分で削ってはいなかった…はず?


 答えは出ない。

 出るはずもない。


 男は今まで未来だけを見てきた。

“自分が死んだ後に知らない味が生まれることが耐えられない”

 そんな誰もが無謀と思う拘りに真正面から挑んだ男は、未来に挑むことでもう一つの絶望から懸命に眼を逸らしていたのだ。


 ────すなわち… “二度と食べられない味がある” という絶望に。


 未来に挑むことで、過去に消えていく二度と手に入らぬ味に見て見ぬふりをした。

 しかし、男は遂に気が付いてしまった。いくら長生きして未来を追ったとて、過去の消えゆく味を掬うことが出来ないと。


 届かぬ朝陽の輝きを追い続けた男は、傲慢にも沈みゆく夕陽の美しさまでも惜しんでしまったのだ。誰もが諦め、そういうものだと受け入れる事象を、【食王】とまで呼ばれた男だけは受け入れることが出来なかった。


 いつまでも走り続けなくてはいけない未来の味。

 瞬きの間に消えていく追いつけない過去の味。


 二つの強大な壁に男は挟み込まれてしまった。

 冷たい汗が男の体中を包んだ。


 しかし、しかし。嗚呼、だがしかし!


 ここまで来ても男は絶望をすることが出来なかった。

 歩みを止め、「そんなもんさ」と諦めることが出来なかった。

「たかが食べ物だろう」などとは欠片も思うことが出来なかった。



 …強欲である男は、いつまでも満足しきることはないのだろう。

 どんなに食べ続けたとしても、死の間際には

「まだあれを食べていないのに!」

「もう一度あれが食べたかった!」

 と思ってしまうのだろう。



「ハッ!」



 その傲慢を、男は自分らしいと思い笑った。

 最後まで満足できない強欲を悲しく思うが、それを悔いている暇はなかった。


 まず何をしたらいいかは分からなかったが、分からないままに肉祭りの会場を駆けた。少年の問いにも答えず、新しい味を求めて男は走った。おそらくは死ぬまで走るのだろう。















 ■■■






 なお、その後に男は莫大な時間と費用をかけ過去への時間跳躍に1回だけ成功したという。






 ■■■




「ねぇアンタ?味噌汁減ってるんだけど?またつまみ食いした?」


「してないよぉ!?」





 ────ご馳走様でした。

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