色のない世界にいる彼と、すべてのものから守りたい二人の話。


今回のお話は、綴視点。時間軸は過去のものになります。


―――――――――――――――――――――――



 その日もいつもと変わらない任務だと、思っていた――。

 

 数日前に、匿名で通報があったらしい児童養護施設への潜入任務。

 その内容は、不審な人物が出入りをしている所を目撃したというもので、その案件に駆り出されたのが俺と調だった。


 表向きは、学校のボランティア活動の一環としての訪問。

 

 白なら、特に問題なし。

 黒なら、上に調査結果を報告しその後、施設を壊滅させる。


 仮に白だとしても、俺たちが訪問したことを疎むような閉鎖的な所であれば、そこにいる子供たちのためにも環境を変えねばならない。


「……ここか」

 外観はごく普通の児童養護施設。塀に囲まれた敷地は少し不気味で、施設の門をくぐった先はまるで異世界のようだった。

 

 花壇の花は手入れされていないのか萎れていて、子どもたちが作ったであろう色の褪せた風車が、カラカラと空虚な音を響かせていた。

 

「……ねぇ調、ここ静かすぎない?」

 俺の問いに、静かに頷いた調の袖を掴む。


 庭には遊具もありブランコや滑り台、砂場なんかもあるのだが、そこに子供の姿は一人もなく、小さな靴が片方だけ転がっていた。


 ――ピンポーン。


「……おかしいな、誰もいないはずはないんだが」

「……人の気配がしないね」

 玄関口まで来てインターホンを鳴らすが、誰も出てこない。調が試しに引き戸を引いてみれば、そこは驚くほど簡単に開いた。


「……え」

「……っ、調……」

 閉じ込められていた空気が一気に吐き出されたその瞬間、鉄錆のような匂いが鼻をついて、胸の奥の嫌な予感が確信へと変わる。

 恐る恐る息を詰めながら中へ足を踏み入れると、昼間なのにも関わらず、薄暗い廊下の奥には、赤黒い液体。

 

 俺は咄嗟に、口元を手で覆う。

 

 乾ききらない血痕はよく見ると床だけでなく、壁や天井にも散らばっていて、辺りには鼻にこびりつきそうなほど血の匂いが充満していた。

 

 込み上げてくる吐き気を必死に抑えながら、歩を進める。

 途中、折り重なるようにして倒れている小さな体を見つけた。


 ――この子たちは、逃げようとしたのだろうか。


 だが追いつかれてしまったのか、出口へと続く廊下で事切れていた。その姿を見て、過去の自分たちの事が頭を過る。


 ――あの日。何かが違えば、俺と調もこうなっていたかもしれない。


 そう思うと心臓の音は大きくなってきて、体が勝手に震えだしてしまう。


「……綴、大丈夫か?」

 その時――。


 調の落ち着いた声と温かい手が背中へと触れて、大きく脈打っていた心臓の音がゆっくりと小さくなっていく。

 

「……大丈夫……ありがとう、調……うん、おかげで少し落ち着いた」

「そうか……安心しろ。お前の事は必ず俺が守ってやる」

 

 ――調の存在はなんでこんなにも、俺を安心させてくれるのだろうか。

 その言葉にいつも俺は救われて、少しだけ強くなれる。調がいてくれるなら、絶対に大丈夫だと思える。


 それに、ここで引き返すわけにはいかない――。


 俺たちは奥を目指し、暗い廊下を進む。足音だけがやけに大きく響いて、自分の少し荒くなった息づかいが耳について仕方がない。

 

 そして辿り着いた施設の最深部。そこに広がっていた酷い光景に、俺たちは言葉を失ってしまう。


 目にしたものは正しく地獄で、あまりの凄惨さに戦慄した。


 夥しいほどの死体の山。その殆どが頭部を奪われたものばかりで、どれも形を留めていない。

 それらは子供ではないようで、恐らく実験を担っていた大人たち。

 血が床を覆いつくし、靴底がぬるぬると滑ってしまうほど。

 

 少し先には散らばった書類やデータ端末が落ちていて、至るところにケーブルは垂れ下がり、モニターには未送信の報告文が残ったままだった。

 

 慌てて逃げようとしたであろう、痕跡の数々。


 俺たちが今日ここへ来るという情報が、どこからか漏れてしまったのだろうか。

 到着した時点でこの施設は既に、放棄されていたというのか。

 だが施設の外に血痕はなく、誰一人として玄関扉の向こうには辿り着けなかったのだろう。


 そんな、悪夢のような光景。そしてその真ん中に、あおいは呆然と座り込んでいた。

 幼い子がただ虚ろな瞳で宙を見上げていて、その姿が状況の異様さを物語っている。


 俺と調が息を呑んだ時、彼は徐に口を開いた。


「ねぇ、僕のこと殺してくれるの?」

 淡々とした、感情の欠片もない声。まるでそれが、当然の願いなのだとでもいうように。

 

 そんな言葉を、こんな小さな男の子から聞くことになるとは思わなくて、心臓が嫌な音を立て始める。

 葵は全てを諦めてしまったような、そんな表情をしていた。

 

 胸は締め付けられて、こちらの方が苦しくなってしまう。

 自ら死を望む言葉に、どう返せばいいのか。どんな言葉を投げかければ、彼をこの地獄から救い出せるのか。

 頭の中で迷いが、渦巻く。

 

「これは、君がやったのか?」

 沈黙を破ったのは調だった。静かで冷静に、それでいて逃げ場を与えるようなそんな声。


 葵は目を伏せたまま答える。


「……そうだ。って言ったら殺してくれる?」

 

「殺さない」

 調は一切迷わず、断言した。

 

「俺たちは君を保護するために来た。だから殺さない」


「……保護?」

 葵は小さく笑った。乾いた声で。

 

「僕なんかを保護したって無駄だよ。だって、僕は出来損ないだから」


「なんで、君はそう思うの……?」

 俺は思わず、一歩前に出て聞いてしまった。調の答えに対して僕は出来損ないだなんて、自分の事を卑下するのを見ていられなかった。


「なんで? 母さんが言ってたから。僕が生まれたから、僕のせいで人生が壊れたんだって」


 言葉が、見つからなかった。その告白はあまりにも淡々としていて……なのに、凄く残酷で。

 慰めの言葉も、否定の言葉も全てが薄っぺらく思えてしまう。

 

「俺は、綴。ねぇ、君の名前聞いてもいいかな?」

 葵は怪訝そうな表情をしつつも、攻撃してくるような素振りは見せない。

 

「名前……葵」

「葵か! 綺麗な名前だね」

 俺は少しずつ、距離を縮めるように他愛もない質問を投げかけてみる。

 

「葵は何が好き? 夢はあったりしないの?」

 警戒心を解くための会話、意味なんてなくてもいい。俺の声が届いてくれれば、それでいい。


 葵は、少し考えるような素振りを見せてから小さく答えた。

 

「……好きな物なんてないし、夢なんか描いたこともない」

「そっか、じゃあこれからいっぱい好きな物を探そう! これからは夢もたくさん描けるよ!」

 そっと手を差し伸べながら、俺は真っすぐに目を見た。


「だからね、俺たちと一緒に来てくれないかな? 俺、葵と友達になりたい」

 少しでも安心してもらいたくて、へらりと笑ってみせる。


 葵は僅かに目を見開いた。

 

「友達……? そう言って、僕の能力を利用したいの?」

「うーん……俺は葵が協力してくれるなら嬉しいけど、それを無理強いする気はないかなぁ」

 苦笑して、肩をすくめる。


「じゃあ……なんで? なんで、僕なんかに構うの?」

「葵のことをもっと知りたくなったから?」

 思わず疑問形になってしまい、自分でも可笑しくなる。

 

「なんで疑問形なの……変な人だね」

 呆れたような雰囲気ではあったが、葵は俺の手を取ってくれた。その冷たい手を俺は、優しく包み込む。


「信じてくれて、ありがとう。葵が信じてくれたなら、変な人でもいいかなぁ。そうだ、怪我はしてない?」

 目立った外傷はなさそうだが、血の匂いに晒され続けていたせいか肌は青ざめ、指先は冷えてしまっている。

 

「どこも問題ない……」

「そっか、そっか、俺はねリヒトって所にいるの。葵にはね、俺たちのアジトで一緒に暮らして欲しいんだ。だからね、まず体に問題がないかの検査を受けて欲しいんだけどいいかな?」

 俺の言葉に葵は暫し黙り込み、長い睫毛の影を落とす。

 

「……痛いこと、されないなら」

 それは、小さな声だった。怯えというよりは、ただ疲れ切って拒絶する余力も残っていないような……そんな雰囲気だった。

 

「それは、大丈夫。あっ! でも……血液検査は痛いかな?」

 軽い調子でわざと笑って見せた瞬間、額に鋭い衝撃――。

 

「っぁで!」

「いらんこと言わなくていいんだよ、綴。ごめんね、葵。こいつが不安にさせるようなこと言って」

「しらべ……痛いよぉ……」

 調からおでこにデコピンをくらった俺は、そこそこの痛みに攻撃を受けた所を押さえ顔を顰める。


「……別に、大丈夫」

「そっか、よかったよ」

 調は、柔らかく微笑む。

 

「だから安心してね。絶対に嫌なことはしないし、俺たちは葵を危ないことから守りたいだけなんだ」

 俺もにへらと笑ってから、改めて葵に向き直った。


 そして俺と調は同時に、葵へと手を差し伸べる。

 

「葵、行こぉー」

「ほら、葵」

 葵は、俺たちの手をしばらく見つめていた。


「……僕なんか、本当はいらないのに」

 小さく呟いた声は諦めにも似ていてたけれど、そこに拒絶の色は混じっていなかった。

 葵の指先は僅かに揺れて、伸ばすでも引っ込めるわけでもなく、宙で迷ったまま。


 その逡巡を、俺たちは待つことしか出来ない。


 やがてゆっくりと、葵は俺たちの手を取ってくれた。

 

 その手を繋いでいないと、今にも消えてなくなってしまいそうで。


 守ってあげたいと、そう、思ってしまった。


 同時に俺たちは葵の手を、優しく包み込む。


「行こう、葵。まずここから出よう」

 そう告げた声は自然と強く、決意を帯びていた――。

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