『与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか?』

ぽんぽん丸

捏造執筆

腰にレーザーガン。筋肉質な肉体を強調するスペーススーツ。そこに不釣り合いなウエスタンハット。もっさりあごヒゲ。おじさんはいつもかっこよい。


「またいくの?」

「ああ、今度はアメリカ南部に行く。おみやげはサボテンのフィギアでいいか?」


私はぜんぜんいらないのだけど、おじさんがくれるならなんでもよかった。スペース航行船で一度軌道に出て、世界中に降りていく。まるでインディージョーンズの冒険譚みたいに本を探して帰ってくる。


「あきこ、今度こそ見つかるといいね」

「幸運を祈っていてくれよ」


おじさんはアレクサンドリア図書館を作ろうとしている。デジタルデータベースに人類有史以来の本を全部集めることがおじさんの目標。未だに皆が知らないアナログでしか残っていない紙のレア本を探している。今は西暦2000年頃の情報に名前だけが登場する『与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか?』を探して世界中を飛び回っている。


おじさんはいつも私に行き先を伝えて住処兼スペース航行船で飛び立っていく。流線形にシルバーの船体が次元ブースターで浮き上がる。おんぼろ船だとおじさんは言う。それに大人になった今思えば1ヶ月も働けば中古で買えそうなのだけど、あの船は今でも私の憧れ。



おじさんとこんな話をしたことがある。私が10歳になったころ。


「本がぜんぶ集まったらどうするの?」

「満足するさ。あとはコピーを売ってもいいかもな」


私は妙な気がした。


「集めた本を読まないの?」

「読みたい本は読んでるさ。でもすっごいたくさんあるから全部読めるわけじゃないからな。死ぬまでずっと読んでも間に合わない。それにせっかくだから他の人にも読んでほしいし、お金もあった方がいいしな」


狭いワンルームだけの船内に私を招くために置かれた拾ってきた革ソファーに、横並びに座って私はココア、おじさんはコーヒーを飲みながらそんな話をした。イギリスみやげのマグカップは黄色でSUBMARINEと書かれていたことを覚えている。



おじさんが帰らなかったのは珍しく地球を離れて近宇宙の放棄されたコロニーに行くと私に告げた時だった。


「宇宙時代初期のコロニーで廃棄されたのもずっと昔だから、古い本が残されているかもしれない。本当は立ち入れない場所だけど、所有権を持つ会社に直談判してやった。これまでの活動が認められて特別な許可がとれたんだ。今回は収穫があるだろうな」


おじさんは上機嫌にそう説明する。珍しくタバコを吸っていた。おじさんがタバコを吸うのは大きな山の前なのだけど、同時にプレッシャーを感じている時だ。


「古いおもちゃがいい」

「ああ、何か拾ってくるよ」


私はおじさんの船が飛び立つ姿を見送った。おじさんはそれきり帰ってこなかった。私は知っている。おじさんはいつも大げさに冒険物語を聞かせてくれていた。地球には怪物はいないし、古代の遺物で暴走した防衛マシーンもいない。


もしかしたら本当にそういうものに出会ったのかもしれない。古いコロニーで普通の中年は何かの冒険譚に巻き込まれてしまったのかも。幼い心はそんな寂しさを抱えたままで、しばらくは毎日のように、いつもおじさんの船が止まっていた場所を眺めていた。


おじさんは本当のおじさんではない。ただの近所に住んでる人だった。宇宙船がそのままおじさんの家だったから、船ごといなくなって私の世界からすっかりいなくなってしまったということだった。私が14歳の時。



大学の図書館にはあらゆる本のデータベース化されている。私がおじさんのことを思い出したのは、講義を終えて恋人と調べ物をしにきた時のことだった。


『みだれ髪/与謝野晶子』

私はデータパッドの目録に懐かしい文字列を発見する。私は迷わず内容を確認する。


「ちょっと、エントロピー運動力学の本探すんじゃないの?」

あきれた彼女の声も私には届かなかった。彼女はあきらめて本命の調べものをしてくれているから私はみだれ髪を読んでみる。


著作に目を通すとどう考えても、プロレスラーを殺すような人ではない。それどころか両者は生まれたタイミングもズレがあって交流を持つことでさえ疑わしい。『与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか?』は一体どういう経緯で生まれた本なのだろうか。私の好奇心は刺激された。


私はしばらく図書館に入り浸った。エントロピー運動力学の単位はとれそうにない。与謝野晶子の著書や関連する本、力道山に関する本も読み漁った。一番の収穫は900年前の本なんてほとんど誰も読んでいなかったこと。どの本もここ20年で6人くらいしか読んでない。そこで気付いた。全部読んでいるのは私のほかにただ1人。私はこうしておじさんと呼んでいた人の名前をはじめて知ったのだった。


そこからは案外簡単に進む。ニュースログでおじさんの名前を検索する。本を集めるコレクター冒険家としてマニア向けのニュースサイトの取材を受けている。有名人、とまではいかないけれど案外すごい人だった。変わらず「集めきったら売りに出す。ほしい人は今から連絡をくれ」とはっきり書かれていて私は笑ってしまう。


日付けが最も新しい記事は淡々としている。

【A-12コロニーで死亡事故。放棄されたコロニーを調査する考古学調査の一団が崩落に巻き込まれる。3名死亡】


その記事にはまるで目次のように無味なおじさんの名前が書かれている。



私は家に帰るとクローゼットの奥にしまったおもちゃ箱を取り出した。


サボテンのフィギア、黄色でSUBMARINEのマグカップ、長靴の貯金箱、サングラスをかけた白熊のぬいぐるみ。その他のたくさんどれもぜんぜんいらなかったのだけど私は机に並べて一晩眺めて、そのまま生活することにした。



「ねえ~今度は何してるの?」

「本を書いてるんだよ」

「本?似合わないよ」

「普段はね。でも今は似合っているよ」


彼女は私のパッドを覗き込む。


「『与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか?』…ってなに?」

彼女は思わず噴き出した。


「おもしろくていいだろ」

「これ書くために単位も落として、私とデートもせずに調べてたの?」

「いいじゃん」

「私はよくないんだけど」


彼女は膨れて不機嫌にレポート作業の続きをはじめる。


-ここまで論じてきたように、なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか?時代、金銭的実態、社会的関係、さまざま影響しているが結局はこの一言に尽きるだろう。『君死にたまふことなかれ』。当時隆盛を誇った両者の激突は、年長である与謝野晶子に軍配があがったことは疑いの余地がない。しかし人想う彼女が命を奪う選択をしなかったことは明白である。またもし力道山が勝っていたとしても結果は同様だったと推察できる。時代の地平の果てにも届く不変の原理の尊さを彼女らは認識していたからである。私はそう信じる。


ついに一冊の本を書き上げると、図書館のデータベースに未発見の古書として登録申請をする。もう今は誰も読んでいない本を読み漁り、文筆家とレスラー、異質の両者に最も詳しいだろう私の捏造であることは、結局すぐに見抜かれるかもしれない。しかしほんの一瞬であれ古書界隈の伝説として実しやかに囁かれた一冊が今日、データベース上に現れたのである。


その本はすべて理解する私にはジョークでしかないのだが、『君死にたまうことなかれ』その一句については900年の時を経て、私は自分の言葉として、新たに読みなおすことができたかもと密かに手ごたえを感じている。


私はそうしておじさんの供養を済ますのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか?』 ぽんぽん丸 @mukuponpon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ