哀しみの行方

村田真奈美

プロローグ

 窓から見える桜並木が、春に向って背伸びしている。

 固く結んだ蕾を、少しでも太陽に近づけようとするように、こずえの先を青空に押し上げている。桜は春を、待っている。咲いてしまえば、あっという間に散ってしまうのに、桜は春を恋しがる。



「あぁ~あ、もう一年過ぎちゃうのかぁ……」

 大げさにうなだれて、晴山が頭を抱える。

「何イマサラなこと、今、気づいたみたいに言ってんの?」

 前の席に座っていたはるかが、くるりと振り返る。

「そっか、もう折り返し地点だもんなぁ。楽しい学生気分も、もう終わりかぁ」

 遥の隣で頬杖をついていた来栖くるすが、もの憂げな表情で晴山の言葉に同意する。

「ちょっと、もう一年じゃなくて、まだ一年あるんだからね! 明日にも終わっちゃいそうな言い方しないでよ!」


 国際ビジネス学科一年の校舎は、午後の気だるげな陽光に包まれていた。

 三月を間近にひかえ、陽射しは春のきざしを含んで明るい。外の空気は未だ氷雪ひょうせつを匂わせてキンと冷たいけれど、陽だまりだけのその場所は、ふわふわと暖かい。


「だいたいねぇ、来栖は大学からこっち来たんだから、ずっと学生気分だったくせに、な~にが「もう終わりかぁ」よ!」

 言いながら、来栖の椅子をコツンと蹴る。

「あっ、なんか疎外感そがいかん。遥ちゃん、冷たい」

 わざとらしく涙声をつくる来栖を無視して、遥は晴山の隣に座る有希ゆきに声をかける。

「有希も「もう終わりだなぁ」なんて、思ってるの?」

 ぼんやりと窓の外を眺めていた有希は、突然話をふられて「えっ?」と瞬いてしまう。問いかけた遥をきょとんと見返す有希の隣で、晴山がクスリと笑う。

「何? また夢見てた?」

 ぽんと頭に手を置かれて、有希が小さく舌を出す。

「うん、なんか乗り移ってた」

 こくんと幼い仕草で頷く有希に、「もう、いつも上の空なんだから」と脱力気味に言った後、遥が表情を引き締める。

「でも、冗談抜きで二年なんてホント、あっという間だね。四月になったら就職先、本気で考えなきゃね」

「四月でいいんだ?」

「充分でしょ」

 来栖の意地悪な念押しに、遥は余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった感じで胸を張る。



 みんなの会話が、有希の頭の中をふらふらと横切っていく。

 英語が好き。それだけの理由で選んだ専門学校で、有希は目的のない毎日を無為に過ごしていた。与えられる課題を機械的にこなしながら、試験だと言われればそれなりに勉強して、空っぽの毎日を埋めていた。

 このままじゃいけない。そうは思っても、そんなに簡単に目標を見つけられるわけもなく、ただ流されるままに、もう一年が過ぎようとしていた。


 初日の授業中、近場の席で適当に組まされたグループで、有希たち四人は波長が合ったのか、グループ研修が終った後も、何かと理由をつけては遊び歩いていた。


 パッと目を惹く華やかさをもった遥は、授業が始まると肩口で揺れるくせのない綺麗な髪を無造作に束ねて、男の子みたいにぶっきらぼうに話した。艶を含んだ派手な外見は、遊び好きそうな奔放ほんぽうな印象がある。けれど、その第一印象とは裏腹な、熱心な授業態度と成績の良さで、今では学校の期待を背負った優等生だった。


 そして眼鏡がトレードマークの来栖は、その真面目くさった風貌ふうぼうと特待生という看板に、最初は三人ともが軽い緊張感を持っていた。けれど、話してみると全然違っていた。四角四面の言葉を予想させる薄い唇からは、予想外の冗談ばかりが飛び出して、研修は遅々として進まない。他愛ない出来事を面白おかしく話したがる来栖に、遥が鋭い突っ込みをするようになってからは、緊張感なんてどこにもなくなっていた。


 そんな来栖と遥の、ポンポンとテンポ良く交わされる会話は、毒舌も多かったけれど、悪気ない軽さがあってまわりの空気を明るくする。

 シンと静まり返った授業中。よく透る遥の声は、ぽつりと呟いた言葉でさえ教室中の視線を集める。その呟きに、来栖がふざけて何かを付け足したり、誇張こちょうしたりして、教室は笑いに包まれる。講師を巻き込んでのジョークは、堅苦しいはずの授業まで楽しい時間に変えてしまう。

 サクサクと物事を進めたがるふたりに、晴山と有希はただ笑って頷く場面が多かった。それは授業のことでも、遊びの提案であっても同じだった。来栖と遥が思いつく計画には、いつだって少なくない楽しみがあった。


 そうして、ただ過ぎていくだけの毎日。踏み込みすぎない、程よい距離に保たれた仲間達と一緒に居るのは居心地がよく、有希は自分の想いに蓋をし、笑っていられた。ひとりになれば思い出さずにいられない感傷を、みんなといると忘れていられた。

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