君の頭の中

櫻野音

第一章 世界の始まり

第1話 僕らの始まり

 世界は普遍だ。別に孤独でも、つまらない日常でも世界は相変わらずに進んでいく。それも悪くはない。

 僕は始めから世界に期待をしていない。起こりえないことが起こるなんてないのだから。世界はいつも僕の想像通りだ。


 彼女と出会うまでは、そう思っていた。


 ***


 放課後、僕は静まり返った教室に残っていた。黒板に今日の日付と日直「有栖川 透子ありすがわ とうこ」それと僕の名前「稲葉 光洋いなば こうよう」が書かれている。四十個の机と椅子が整えられているこの教室にはチクタクと進む時計の秒針の音と、日誌に走らせるシャープペンシルの音。それと、


「稲葉くんは、妄想ってするかしら?」


 風でなびくカーテンから顔を覗かせる有栖川さんの落ち着いた芯の通る声が響く。

 揺れるカーテンとともに日本離れした美しい顔立ちと光の反射で輝く金色の髪が僕の瞳に映る。


「えっと?妄想?」


 そんな絵画の中から飛び出したような美しさを持つ彼女から妄想なんて単語が聞こえてきたもんだから、思考が止まった。

 しかし、無駄口を叩くぐらいなら日直の仕事をやってほしい。日誌なんて僕が全部書いてる。


「そうよ、妄想。」

「うーん。人並程度にはするんじゃないかな?」


 さて、仕事、仕事だ。残りは今日の出来事欄を埋めるだけ。一日を振り返りながら白紙を埋めていく。

 今日は——。


「今日は怪獣がおいでなさるわ。」

「え?」


 僕の邪魔をするように紙の上に手を広げてきた。


「有栖川さん、その手どいてくれる?」


 優しく諭すような口調で言っても効果はないようで、白く、細長い指が日誌に覆いかぶさったままだ。

 僕は眉をピクリと動かし、ため息が漏れだすのを堪えた。

 しかし、怪獣って、なに?アニメの話?話が見えない。妄想だったり、怪獣だったり。言葉の脈絡がない。


「私も妄想をよくするわ。でもね、聞いて驚きなさい。私の妄想は——。」


 息を大きくすった有栖川さんは、確かに聞いて驚くようなことを言った。


「私の妄想は現実になるの。」


 時間が止まった気がした。正確に言えば僕の思考回路が止まろうとしていた。漏れてしまった言葉は


「虚言癖でもあるの?」


 である。くだらない。そんこと起こるはずもない。妄想が現実化?アニメの見過ぎだ。肩をくすめていると、有栖川さんは少しばかり不機嫌になったようで、眉を潜める。


「あなたって、友達いないでしょ?虚言癖は見過ごせないわね。どちらかと言うと妄想癖だもの。」

「友達いないって……。」


 図星を指され、ほんの僅か心が痛む。確かに僕は高校入学して二か月経ったのに、未だ友達と呼べるほど仲がいい人はいないのだが……。


「それは有栖川さんもでしょ?」

「うんっまあ、言うわね、あなた。さっきの虚言癖といい。……でもそうね。友達いないわ。」


 完全に開き直っている。俺と同じタイプなのかもしれない。何かと一人の方が楽だもんな。


 ──有栖川透子

 一人身の僕でも噂を耳にする。孤高のお嬢さまと。実際にお嬢さまらしい。どこかの社長令嬢だとか、御付きの人がいるとか。高級車で登校しているとか。噂でしかないが、立ち振る舞い、言葉遣いはお嬢さまのように可憐で、上品であった。

 孤高と呼ばれるのは、人を惹きつけない雰囲気からなのか、休みがちでたまにしか学校に来ないからなのか。その真相は分からないが、でも、友人と思わしき人物を見たことがない。時々、学校に来てはつまらなそうに授業を聞き、昼休みはずっと窓の外を見ている。隣に座っている僕が言うのだ。間違いない。


「窓の外を眺めてあなた、いきなり怪獣が空から降ってきて暴れないかしら?といった妄想をするわよね。」


 絹の糸のようなさらさらな髪の毛をくるくると指先に絡め、窓枠に寄りかかる。


「……どちらかというと、教室に不審者が入ってくるほうの妄想を少々。」

「分かるわ‼」


 いきなり距離を詰められ、困惑する。鼻先が触れそうなほどの近さで有栖川さんのシャンプーか、柔軟剤か分からないがせっけんのような爽やかな匂いが鼻をくすぐった。

 彼女はクルリと一回転をし、紺色のスカートの制服がふわりと円を描く。


「私も授業中にそんな妄想をするわ。私たち同志ね。」


 今日一番の笑顔を魅せる。笑顔と言っても、軽く口角をあげるだけだが。それでもいつも真っすぐにひかれている唇に比べたら、彼女の最大限の笑顔だと思う。


「今日の日誌の出来事欄、迷っているなら、書くことがないぐらい退屈な日常だったのなら、これから起こることを書くべきね。」


 その言葉が引き金になったように、教室の外で大きな物音——いや、物音というには少々大きすぎる、建物が崩壊したようなそんな爆発音がガラスを揺らす。

 カーテンは類をみない荒ぶり方で、きれいに整っていた机らが少しずつずれていく。僕はあんぐりと口を開けるしかなかった。

 前髪は上下左右に跳ね、風の流れる方向へと揺れ動く。

 有栖川さんは窓の前で堂々たる態度をとり、バサバサと音をたてるカーテンの中で、静かにどこか愉快げに微笑む。彼女の後ろには、勿論。


 ——怪獣がそびえたっていた。


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