チェックメイトの味
きょうじゅ
本文
突然だが、俺はチェス・ボクシングの世界チャンピオンだ。……もう一度言うが、チェス・ボクシングの、だ。そう言っても
「チェス・ボクシングって何?」
という人が大半だろうと思われるから、説明するが、簡単にいえば『チェスとボクシングを交互にやって、どっちかで負けた方が負け」という、シンプルなのか複雑なのかよく分からない、非常にニッチな競技のことだ。
今から5年前、19歳のとき、俺はその世界大会でチャンピオンの座を獲得した。準決勝では対戦相手をKOし、決勝戦ではチェスの場面でチェックメイトに持っていった。基本的に冗談半分の競技とはいえ世界大会にはそこそこに真面目な参加規程があり、チェスはまったくできないがボクシングでは強い、あるいはその逆、みたいな人間はそもそもお呼びではない。どっちもちゃんとできないといけない。
それから五年間、俺は世界王座に君臨し続けた。なぜ五年も王座を保持できたかというと理由はあまりにもシンプルで、こんなマイナー競技の国際大会なんぞ滅多に開かれることがないからだ。
だが今回、五年ぶりに開催の運びとなり、とうぜん前回王者である俺にもお呼びがかかった。だが、参加は危ぶまれた。
なぜかって体重が規定をオーバーしていたからだ。俺はただのボクシングの方でもプロライセンスを持っているが、いま階級がミドル。チェス・ボクシングはいちおうボクシング競技のはしくれなので、ウェイトの規定があり、プロボクシングでミドル級の選手はそもそも参加できない。
俺は悩んだ。正直言って悩んだ。だが、ボクシングは愛しているし、チェスだって真面目に好きだ。出もしないで世界チャンピオンの名を捨てるのは、プライドが許さなかった。
それで、減量を始めた。ボクサーやってるから分かるが、かなり無理のある減量だった。ボクシングの方のコーチには「そんな馬鹿な真似はやめろ」と止められた。だが俺は、それを完遂した。ボクシングの減量というのがどのようなものであるかは話が長くなりすぎるから詳しく説明はしないが、一言でいえば地獄の二ヶ月間だった。ミドル級プロボクサーとしてのキャリアを犠牲にしてまで、俺はそれをやり遂げた。そして。
いま、決勝戦に臨んでいる。対戦相手は前回は出場していなかった奴だ。ボクシングではそいつもプロだが、チェスのレート(実力を測る指標のようなもの)では俺の方が上だった。負ける気はしなかった。コンディションさえ万全なら。
「チェック」
三度目のチェックだった。俺が詰められている。敗勢濃厚だった。考える。『長考してボクシングの勝負に持ち込む』というつまらない方法論を封じるために、思考のための持ち時間は非常に短く設定されている。五秒以内で次の手を打たないと、その時点で決着がつく。結局、俺は盤面を睨んだまま。五秒の時間が無情に経過した。
「投了します」
俺は敗北を認めた。史上初となる(そりゃ、そうなのだが)大会二連覇は成し得なかった。会場はデパートの屋上だったので(そんな気の利いた場所でやるような大会ではない)、俺は会場を後にし、その足で喫茶店に入った。足元はふらふらだった。
「メロンソーダを」
俺が注文して、店員の若い女が、バニラ・アイスの乗った色つきのサイダーを運んでくる。添えられているチェリーをしゃぶる。ああ、あの減量の間中、この瞬間をどれほど待ち望んだことだろう? だが、その味はあまりにも苦い。
「負けたのか。俺は……」
俺はロングスプーンをバニラアイスに突っ込み、口に運ぶ。甘い、バニラの香りがした。これが、敗北というものの味か。
チェックメイトの味 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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