(1)戦後の町工場

「織田宣長くんと斎藤胡蝶さんのご結婚を祝し、乾杯!」

「カンパ~イ!」 グラスを合わせる音が会場に響く。

披露宴は学生時代の友人たちも招かれて賑やかに開催されていた。

二人は名古屋大学で知り合った。

新郎の織田宣長は工学部金属工学科、愛知県清須市にある『織田金属加工(株)』の

跡取りである。

新婦の胡蝶は文学部英文科、隣県岐阜の『土岐セメント(株)』斎藤社長の一人娘で

あった。胡蝶の父・斎藤道山は大層な風流人で、「胡蝶」という名は能の演目に由来する。

道山は血気盛んな宣長のことを大層気に入っていたが、胡蝶の兄・道龍はこの結婚を快く思っていなかった。と言うのも、織田の本家が愛知で『大和セメント(株)』を

営んでおり、土岐セメントとは日常的に競合関係にあったためである。

来賓はそのような事情を知る由もなく、披露宴は滞りなくお開きとなった。


宣長が結婚したのは昭和35年(1960)、大学を卒業して四年後の26歳の時である。

前年には皇太子明仁親王がご成婚、日本は敗戦を乗り越えて復興への道を逞しく歩み出していた。

街頭テレビでは力道山が外人レスラーと戦っている。シャープ兄弟の反則攻撃で追い詰められながらも、最後は伝家の宝刀・空手チョップで敵を薙ぎ倒す。テレビの前に集まった群衆は敗戦の鬱憤を晴らすかのように歓声を上げた。

通りを歩けば、左右に立ち並ぶ商店のラジオから美空ひばりの明るくて力強い歌声が聞こえてくる。国民全体が将来に希望の光を見出していた時代であった。


高度経済成長期に入って五年、一般家庭にも電化製品や自転車などが普及し始める。

「松平さんから注文がぎょうさん入っとるがね」

伝票を整理していた従業員が嬉しい悲鳴を上げた。

浜松の『松平発動機(株)』はバイクやモーターボートを製作している中小企業で、

昔から金属部品を発注してくれているお得意様である。

「今日も忙しなるで、みんな頑張ってや」

小さな町工場だった織田金属加工も、今では株式会社となって急成長を遂げていた。


その二年後のこと、社長の織田宣秀が急な病で倒れた。心筋梗塞である。

「まだ五十を過ぎたばかりだというに・・・」

「働きすぎだったのよ、ねぇ」

葬儀に参列している人たちが涙している。

「宣長はどうした」

「今、工場の方に戻っておられます」

「いくら仕事が忙しいからと言って、今日は父親の葬儀ではないか」

伯父の織田大和が顔をしかめる。

社長が亡くなったからといって注文の方は待ってはくれない。約束の期日に仕上げ

るべく、工場は日夜休まず稼働を続けていた。


宣秀の後継を巡って騒動が勃発する。

「柴田君、次の社長はもう決まっているのかね」

柴田勝利に織田大和から電話が入った。大和セメントの社長である。織田の本家で

あり、金属加工はその分家筋であった。

「急なことで詳しいことは分かりませんが、ご長男の宣長専務が継がれるのでは

ないですか」

「宣長? あれはいかん。あんな “うつけ” が跡を継いだら会社は潰れてしまうぞ。

宣行がおるではないか。君は宣行の親友だろう。儂も力になってやる」

柴田勝利は宣長の弟・宣行常務の幼友達であり、その縁で織田金属加工に入社して

いた。


「常務は大和の支援を受けられるおつもりなんですか」

柴田が宣行を問い詰めている。

「親父が亡くなってしまってはな・・・」

宣行が目をそらした。

「宣長専務がおられるではないですか」

「君も知ってのとおり、兄はあのような性分なので本家と折合いが良くないのだ」

言い訳が苦しそう。

「私は大和社長のことは好きにはなれません。亡くなった宣秀社長も、大和社長の

ことを嫌っておられたではないですか」

「そこまで言わんでくれ。私にとっては優しくて良い伯父さんなのだ」

子供がいない織田大和は、いずれ従順な宣行を養子にしようと考えていた。ここで

宣行が金属加工の後を継げば、大和は一挙に宣行と会社の両方を手にできる。


「昨日、大和社長から電話がありまして、次の社長には弟の宣行常務を推せと」

柴田勝利が宣長に耳打ちした。

「何だと。宣行もその気になっているのか」

「お諫めしようとしたのですが、大和セメントから資金が提供されるようなことを

言っておられました」

宣長の顔が怒りで険しく歪む。

「そうか。で、宣行と仲の良いお前が何故それを私に・・・」

「私はこの会社が大和なんぞに乗っ取られるのは我慢ならんのです。宣行常務には

心から感謝しておりますが、今は社長の座に目が眩んで私の言葉に耳を貸しては下

さいません」

柴田の眼に涙が滲んでいる。

「ありがとう、良く知らせてくれた。柴田君、これからは私の片腕となって会社の

ために働いてくれ」

宣長は柴田勝利の右手を両の手で強く握った。


宣長はその足で義父の斎藤道山を訪ねた。

「ほぅ、大和が裏で動いておると・・・。宣長君、儂に任せておきなさい」

岐阜の土岐セメントと愛知の大和セメント、近隣に位置する両社は顧客獲得を巡って日頃から激しく競い合っていた。

ここで、土岐の道山社長が大和セメントに買収を仕掛ける構えを見せる。

やり手の斎藤道山に比べて織田大和は凡庸である。慌てた大和は防衛のため銀行の間を駆けずり回る。この買収は不調に終わるが、大和としては織田金属加工に手を伸ばす金銭的、更には時間的余裕も無くなってしまった。


「宣行、取締役を辞任しろ。理由は言わずとも分かっているだろう」

宣長は苛烈な性格である。呼び出された宣行は膝がガクガクと震えている。

宣行に辞表を提出させると、すぐさま受話器を手に取った。

「伯父さん、宣行が辞表を出しました」

「何だと、・・・」

いきなり切り出されて、大和が電話口でアタフタしている。

「ついては御社にお世話になりたいようでして、責任を取って頂けますね」

責任という言葉に力を込めた。

日を置かず、宣行は大和セメントへ追放された。

宣長は社長に就任し、以後、柴田勝利は宣長の腹心として忠誠を誓う。

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