魔法少女のパパになろう!

夜詠 月

1 魔法少女リヴァイアサン☆ラストサパー


 私は全ての驕り高ぶるものを見下ろし、全ての誇り高きものに君臨する王である。

 私に並ぶものはなく、如何なるものも私を慄かせることはない。

 私の言葉は炎、その心臓は石。

 如何なる鉄も合金も、藁と朽木に等しい。

 私は如何なる兵器を以てしても、追いやられることはない。

 私は、私の足跡を燃やし、沸騰させ、私の轍には、ただ光の跡だけが残される。

 そして、私は如何なる支配をも打ち砕く。


 私は獣。私は王国。私は普遍的価値。



 怪物、だとか。魔物、だとか。怪人、だとか。呼び方はどうでもいいけれど。

 そんな存在がこの世界に現れ出したのは、およそ二十年前であるという。

 それは、人々の歪んだ欲望の化身であるらしい。らしい、というのは、そんなことを言い出したのが、怪しいオカルト雑誌の編集者だったからで、信頼出来るかは分からない。分からないけれど、実際問題、そのオカルト的な存在が実在しているのは事実だったので、人々は分からないなりに、何とか納得することにした。


 一般に、それはモネーレと呼ばれる。モンスターの語源、モンストゥルム。そのまた語源であるという。どうして、そんな気取った名前が付いているのかと言えば、それはまた、オカルト雑誌の編集者が言い出したことだからだ。オカルト信奉者というのは、何でもあれ、無駄に凝った名前を付けがちで、そしてそれが自分達の陳腐さを醸し出しているのだと気付かない生き物である。そんなモネーレは、人々の歪んだ欲望の化身らしい振る舞いをして、日々、街を闊歩し、悪行の限りを尽くしていた。まあ。なんというか。歪んだ欲望、というか、割とストレートな欲望なのではないかと思うことの方が多いのだが。そこは、惨めな人類の惨めな見栄という奴なのだろう。自分は違う。そんな欲望を隠してはいないと。そう思いたいのだ。


 さて、しかし、そんなモネーレの悪行も、それほど長くは続かなかった。勿論、それは別に、人類の良識と善意が欲望を打ち破っただとか、そんな日曜朝にやっているアニメや古典的寓話的勝利などではない。モネーレが本当に人々の歪んだ欲望の化身であるかどうかはともかく。もしそうであるのなら。必ずしも、それが悪の化身として現れるとは限らないのは、道理だろう。


 敵を打ち砕く。その善悪はともかく。それは普遍的な欲望である。武力の行使。もっというのであれば、権力の行使そのものが、悪と見なされがちな現代においては尚のこと。人は、自らと異なる価値観を破壊し、その残骸で自らの輪郭を補強していく生き物である。正義と闘争。どれだけ惨めな虚飾を用いても、その本質を覆い隠すことは出来ない。


 であるからして。その存在は、あらゆる悪を打ち砕く、正義の化身として顕現した。もっとも、それは人類の惨めな逃避が故に。つまり、血と硝煙、粉塵、転がる死体、有り体に言えば、戦争や死、傷や病、飢えなどといった、残酷で、悲惨な現実、そしてそれらに付随する全ての責任からの逃避が故に。やはり惨めな表象に貶められていたけれど。


 *


 魔法少女なのだという。何故かと言えば、彼女たちが戦っている様を見たインターネットの野次馬が、そのように呼称したからである。インターネットにあるものは。軽薄さ。傲慢さ。無責任さ。無教養、そして、下劣、下品、猥褻、そんなものである。だから、その呼称はある意味で必然的ではあったのだ。命を懸けて戦う少女たち。そんな彼女を呼称するには、あまりにも、軽々しく、薄っぺらなその呼称は。


 とはいっても。その呼称される側の少女たち。彼女たちが本当に少女であるのかについては、一旦横に置いておくとしても。その少女たちからすると、魔法少女という呼び名はそれなりに、気に入ったらしい。彼女たちは好き好きに、それらしい名前を名乗り始めた。


 魔法少女マジカル★ディストーション、だとか。

 魔法少女エターナル★ピリオド、だとか。

 魔法少女サウザンド★デス、だとか。


 なんだか、あんまり可愛い単語選びじゃないな、とか。その★は絶対に必要なのかね、とか。まあ、色々と疑問はあったけれど。可愛らしい少女たちの外見に欺瞞され、人々がそんなことを気にしたのはごく僅かな時間だった。


 魔法少女は魔法を使うのか。勿論。

 魔法とは何か。知らん。


 そもそも、説明が付く魔法は魔法ではないのではないかという向きもある。神秘とは、常にそれそのものが原理でなくてはならない。その意味では、確かに、彼女たちは魔法少女と呼ぶのに相応しいのかもしれなかった。人間とは違い、彼女たちは、個人そのものとして生まれる。誰の子でもなく。何の理由もなく。それは、とても羨ましいことだと思う。母の軽薄の故でなく。父の傲慢の故でもなく。ただ、彼女たちは、真の意味で、清らかに生まれるのだ。如何なる罪をも宿すことなく。己の存在、そのイデアだけを由として。生まれ出でぬものだけが、真実清らかな世界で、彼女たちだけが、そのルールに縛られることがない。親の罪に穢されることがない。


 羨ましいことだ。

 母の愚かの故に、その罪の証として生まれ、その罪故に捨てられ、無意味な生を送り続けている、俺としては。悲しいほどに、羨ましい。


 *

 

 リヴァイアサンなのだという。魔法少女、リヴァイアサン☆ラストサパー。星は黒ではなくて白。世間では、最強の魔法少女であると噂されている。噂されているというか、まあ、そうだろうと誰もが思っている。自分もそう思う。魔法少女たちは、通常、モネーレの討伐だけに執着しているけれど、彼女は違う。彼女の敵は、モネーレだけではない。彼女の敵は、社会秩序を乱す全てなのだ。彼女は今世紀最大の虐殺者。何故って、社会秩序の敵ではない人類が、今時何処にいるだろう? 今時、誰もが、誰かの敵なのだ。誰もが悪意を悪意で隠して、仮面を被っている。道徳と善は、自らの軽薄さと悍ましさを隠す為の道具に成り下がった。弱者が弱者である理由を知っているだろうか? 咎人が咎人である所以を? なんであれ。現代にあっては、誰もがパブリックエネミーなのだ。人は、自らの手では負えない善を掲げ、安いプライドの為にそれを取り下げることも出来ず、善人を欺瞞している。全ての欺瞞は、此の世で最も重い罪であるというのに。


 故に、彼女は虐殺者である。社会秩序を乱すものを鏖殺する無敵の魔法少女。

 

 そして、そんな彼女が。何故か。ある日、唐突に、俺の家の風呂に入っていた。暑い、アスファルトが焼け、陽炎が立ち上る夏の日のことだ。壊れたエアコンとぼろい扇風機に耐えられなくなった俺が、水風呂にでも入ろうと、これまたぼろい風呂場に向かうと、そこには裸身の、幼い少女が立っていた。少女は俺の姿を見ても、慌てるでも、恥ずかしがるでもなく、ただ淡々と、風呂桶で浴槽の水を汲んで自分の身体を流していた。意味が分からず、起伏の少ない白の身体を流れ落ちていく水を呆然と眺めていると、少女はふとこちらを見て、俺に手招きをした。


 そして、俺はどうしたのか。逆に訊きたい。何が出来るというのか。不法侵入だとでも騒げば良かったのか。それとも馬鹿なふりをして、とぼけた顔で、服を着ろと説教でもすればよかったのか。素手で山脈を平らに出来る存在に対して? 無理だ。正直なことを言えば、その時の俺は、死ぬほど恐怖していた。何せ、俺は、彼女が素手でモネーレを撲殺し、彼女に報復をする為に某国が飛ばした戦闘機を地面に落ちていた石を投げて墜落させ、挙句他の魔法少女さえ易々と縊り殺した様を、実際に見ているのだ。警戒した猫のような足取りで近付く俺を、少女は無表情な顔でじっと見詰めていた。そして、彼女はこう言った。


「今日から貴方が私のパパよ」と。


 パパってあれか。ギリシャ語か。だが俺は、教皇でも総主教でもない。なんて現実逃避を口にしてみても、少女は真顔で首を振る。


「いいえ、貴方が私のパパよ。だって、貴方だけが、私を抱き締められるから」


 *


 そういうわけで、俺は少女と共に暮らしている。リヴァイアサン、というのはあまりにも呼びにくいので、俺は彼女をレヴィと呼ぶことにした。幸いなことに、彼女もそれを受け入れた。まあ、共に暮らすと言っても、俺はともかく、彼女は別に常に家に居るわけではなかった。朝に家を出て、夜に帰る。帰らない時もある。二日三日、あるいは、一週間。心配? するわけがない。何を心配するというのか。いや。厳密に言えば、彼女が一週間家を空ける時に限っては、心配する。何故なら、その場合、大体において、街が一つくらい消えている。


「パパ、私を抱き締めて」


 夜に帰ると、彼女は必ず、抱擁を求める。それにどんな意味があるのかは、俺には分からない。何か超常的意味があるのか。単に、彼女の孤独を埋める為なのか。だが、それがどんな理由で、どんな意味を持っているにしても、それを拒絶するだけの胆力は俺にはなかった。それに、半年が経った辺りで、俺も彼女に僅かな親近感が湧いていて、最初に彼女に抱いていた恐怖と不信感は薄れていた。それには、よくよく考えてみれば、別段、命を惜しむ理由などないと気付いてしまった、という悲しい現実も含まれていたが。このまま、何の意味も、価値もなく、ただ老いて、孤独に、何れ訪れる病と苦痛を待ち続けることに比べたら。たとえ、彼女がある日、突然、とち狂って、俺のはらわたをぶちまけたとして。それを恐れる理由があるだろうか。


 彼女の話では、彼女たち魔法少女は、やはり世間での定説通り、人々の願いから生まれたのだと言う。その意味で、彼女の母というのは、彼女の存在、その本質たる願いを抱く全ての人々ということになるのだろう。では、彼女の言うパパとは、どういう意味なのか。母と父。その違いとは何か。何故、俺だけが、彼女の言う、パパなのか。俺がそれを問うと、彼女はくすくすと少女らしい笑い声をひとしきり上げた後、愉しそうに身体を揺らしながら答えた。


「それはね、パパ。パパだけが……世界に対して、何の願いも抱いていないから」


 酷い言い草だ。別にそんなことはない。と、俺は反論したけれど。その指摘をされるのは実は二度目だった。


「だからね、パパ。私を叱ってね。私、悪い子なの。悪い子なのよ」


 レヴィは縋るような声色で、俺にそう言った。

 レヴィのいう悪いというのが、どういうものなのか、正直、俺には分からない。世界最大のテロ組織を皆殺しにしたことは悪い事だろうか。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。あるいは、とある独裁国家を地図から消し去ったことか。まあ、一般には悪い事かもしれない。だが、そもそも、善悪は社会の後にあるもので、前にあるものではない。獣の群れの中に優劣が存在し、病や怪我をした個体が切り捨てられる。そんな光景があるとして。それは別に悪ではない。あるいは、一部の強大な獣が他の獣を食い尽くし絶滅させたとして。それもやはり悪ではない。自然状態においては、あらゆる約束、契約は存在しないからだ。善悪は、社会を成立させるための契約であって、原理ではない。人でなく、その社会に依存もしていない彼女に善悪を問うことは、獣に善悪を問うことに似ている。社会に保護されていない存在に、善悪を問うことは出来ないし、当然の倫理観に由ってするべきではない。人が社会の契約に従わなければならないのは、別に世界に善悪という原理が存在しているからではない。人が社会に依存しているが故に、そうせざるを得ないというだけに過ぎない。だから、社会そのものの化身であり、社会そのものである彼女に善悪を問う権利は誰も持ちえない。


「レヴィは悪い子なのか」


 だから俺は、当たり障りなく、そんなことを言うことしか出来ない。


「ええ、そうよ。私、悪い子なの」


「どうして?」


「みんなが私にそう言っているの。そうでしょう? パパも聞いたことがあるでしょう? みんな、私を悪者だというのよ。生活が苦しいのは、幸せになれないのは、私のせいだって。労働が苦しいのも、未来に希望が見えないのも。差別も貧困も。何もかも、私のせいだって、みんながそう言うのよ。ね、だから、私、悪い子なのよ」


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