第七章 秋——脱穀機の嘘

 秋は、機械が鳴る。乾いた風が田を渡り、稲束(いなたば)の匂いに、油と鉄の匂いが混ざる。購買組合の柱には新聞の見出しが挟まれていた。

 《共同購入 新式脱穀機 導入へ》

 正午の“寄り聴き”は、砂の音の向こうでこう言う。

 《……農機具の共同化、利用計画と見張り役の整備が肝要……》

 澄んだ空の下、清蓮寺の裏庭に、発動機(はつどうき)と新しい脱穀機が据えられた。共同購入の試運転や。紐、ベルト、蝶ネジ。ひとつひとつの金具が秋の光を返す。


 弥一兄ちゃんが茶を配り、稔(みのる)兄ちゃんが発動機の回転を上げる。細い煙がひと筋たち、ベルトがプーリー(滑車)に乗って唸り始めた。

 「いくで」

 惣介(そうすけ)兄ちゃんが稲束を入れた、その瞬間——。

 ガタン。脱穀機が吐(は)き戻し、ベルトが外れて地面にへたり込んだ。稲束が半ば生き物みたいに跳ね、女衆の小さな悲鳴が重なる。

 「危ない!」

 南(みなみ)の巡査がすぐに手を上げ、動力を切らせる。輪の端にいた大野与平(よへえ)が、ひとつ鼻を鳴らした。

 「人手でええ。機械は人を抜くだけや」


 稔兄ちゃんは膝をつき、外れたベルトの裏を指でなでた。

 「……松脂(まつやに)」

 指に白っぽい粉がつく。稔兄ちゃんは次にプーリーの溝を見た。木粉が片側に筋を作って詰まっている。

 「こっちは木粉。大工道具の粉や。片側だけ当たりが強い」

 春江(はるえ)姉ちゃんは安全覆いの蝶ネジをつまんで、軽く息を吐いた。

 「一度外して、きつ過ぎるほど締め直してあるわ。手癖のある締めや」

 澄江(すみえ)姉ちゃんは、添付の取扱説明の紙に目を落として首を傾(かし)げる。

 「ふりがなの“そくどう”の書き癖が、寺の掲示の字と違うね。……それに、ガリ版(謄写)の匂い」

 紙の端を指でこすると、油とインクの甘い匂いが立った。


 稲の音がしん、と止まった輪の真ん中で、志乃(しの)さんが静かに言う。

 「人を守りたい心と、嘘は別や。——正面で言お」

 しばしの沈黙ののち、与平が一歩前へ出た。

「……わしや。孫の手間が要らんようになる言うて、皆が喜んどる。せやさかい、最初に怖がらせといたら、話は止まる思て……松脂塗(ぬ)って滑らせて、裏掛けにもした。取説も書(こ)しらえた」

 住職は目を細める。

 「気持ちは分かる。せやけど、嘘は長持ちせん。手は嘘つかん。粉も、締めも、字も、与平さんの手や」


 千代(ちよ)姉ちゃんが帳面を膝に据え、声を整えた。

 「透明にしよ。使う日、担い手、見張り、停止合図。責任の分け方も、紙に出す。“寄り聴き”で読み上げる。怖さは隠さんで、段取りで減らす」

 南が短くうなずく。「被害なし。記録は残す」

 与平は深く頭を下げた。

 「すまなんだ。人手が要らんなると思うたら、腹が先に動いた」

 住職が言う。

 「謝る者が一歩、許す者が一歩。二歩でええ。——正面で進も」


 午後、稔兄ちゃんは松脂を拭い、プーリーの溝を掃除して芯を合わせた。ベルトは表で正しく掛け直し、張りを均(なら)す。春江姉ちゃんは安全覆いの締めを皆の前で手順どおり見せてから留(と)めた。

 「止(と)めは深いけど、解(ほど)ける余地は残すんやで」

 志乃さんは見張り札を作って紐に通す。「見張り役は白、停止の合図札は赤」

 澄江は利用予定表と注意書きをガリ版できれいに抜き、止めを深く入れて掲示板に貼った。

 啓太は拍子木を持って停止合図を練習し、惣介は稲束の入れ方を若い衆に教える。弥一は水屋で番茶を用意し、千代は帳面に小さく書き添えた。

 《脱穀機 共同利用/操作者・見張り・停止合図・点検/名を記す》


 夕方、二度目の試運転。発動機の拍(はく)は一定、ベルトはまっすぐに走る。唐箕(とうみ)の風が籾殻(もみがら)を飛ばし、稲粒が腹に響く音で落ちてくる。

 「止め!」

 啓太の拍子木がカンと鳴り、稔兄ちゃんがすっと動力を抜く。機械は波紋みたいに静けさへ戻った。輪から、小さなため息と笑いが同時に漏れる。

 南は手帳を閉じた。「良し。記録完了」

 与平は、もう一度頭を下げる。

 「目の前で止まるん見たら、怖さがひとつ減った。手間も残る。押(お)す手と止める手の居場所が、分かった気ぃする」

 志乃さんは笑って言った。

「機械に人を合わせるやない。人の段取りに機械を合わせるんや」


 夜の“寄り聴き”では、利用予定表と見張り当番が読み上げられた。読む人と聴く人がひとつの体になって、紙の上に安全の形ができていく。

 わたし——明里は、掲示の止めを人差し指でそっと確かめた。深い。風ではめくれない。

 富山の薬売り・弥兵衛さんが、帰りがけに肩で箱を直しながら言う。

 「なーん、松脂の匂い、今はもうせんちゃ。明里ちゃん、よう見とる子やちゃ」

 「うん」

 わたしはうなずいた。秋の夜風に、唐箕の残り風がすこし混じる。

 光は誰でも出せる。どこへ向けるかは、人の心や。嘘で止めるんやなく、段取りで進める道が、今、目の前に敷かれた。

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