【5】
永井さんから言われている締め切りは近づいている。清水さんの言う通り、それほど大きなスペースをとるわけでもないのだし、さっさと提出すべきだということもわかっている。なんとなく先送りにしている居心地の悪さを抱えたまま会社を出て、いつも通りスーパーまるやまに寄る。
いつの時代も変わらないのは 家族を思う気持ち
新しいポスターのキャッチコピーがこれだった。子供を連れた夫婦らしき男女が、一緒に食材を選んでいる写真。少なくとも、私にとってはこちらの方がスーパーマーケットという場に求められているものを伝えてくれているような気がする。清水さんに言ったらひどく馬鹿にされるか怒鳴られるかだろう。清水さんよりずっと若い私は、清水さんより頭が古いのだろうか。
「あれ?喜多村さん?」
不意に呼びかけられて振り返ると、半そで短パン姿の中溝さんが買い物かごを手に提げて立っていた。
「そっかあ、このポスターもマチカド通信さんが作ってたんでしたっけねえ」
プライベートだからか、中溝さんの口調は教室で話したときよりもゆったりとして自然体だった。アクセントも完全な関西弁になっている。
「中溝さんのお住まいってこの近くなんですか?」
「ええ、向こうの信号の先のマンションです。まるやまのポスター、前より今の方が僕は好きですねえ」
「そうなんですか?」
ちょっと意外だった。中溝さんも頭の良い人だから、清水さんが作るような、今の時代に合った広告を評価するのだろうという気がしていたからだ。
「今の時代だと、こっちの方が攻めてるでしょ。家族の形も色々あって、時代に合わせて変わっていくものだっていうのが常識になってるじゃないですか。それでも、時代や社会がどう変わっても、変わらないものがあるんだって言ってる。今の時代だと、ステレオタイプな家族像を押し付けるなって炎上するリスクもある。そういうリスクを取ってでも、いつでも、どこでも、誰にとっても変わらないもんがあるはずだって言ってくれるのは、気分が良いですね」
「…いつまで経っても、変わらないものってあると思いますか?」
普段だったら、怖くて誰にも聞けないことを聞いてしまったのは、今の中溝さんが仕事モードでなかったからかもしれない。本当は、ずっと誰かに聞きたかったのだ。世の中に正解なんかない、という。いつでも、どこでも、誰にとっても正しい真理なんか存在しない、と。私はそのことが怖くてたまらない。正解がないなら、私のような頭の悪い人間は何を信じて、何を頼って生きていけばいいのだろう。私にはそれがわからないから、清水さんに縋っている。清水さんは怖いときもあるけど、私に正解を教えてくれる気がするから。
「永遠って、どういう意味だか知ってます?」
「永遠?」
「そう、永遠」
「無限っていうことじゃないんですか?」
「まあ、そうなんですけど、永遠っていうのは、時間的・空間的に始まりと終わりがないことを言うんですね」
「はあ…」
中溝さんが何を言いたいのかいまいちわからないまま相槌を打つ。
「時間的・空間的に始まりも終わりもない何かっていうものを、人間のアタマでは感じ取れません。そういう意味では、永遠なんて存在しない。でも、人間はどういうわけか、永遠について考えることができるし、感じることがある。僕は子どもを始めて抱っこしたとき、永遠を感じましたよ」
「お子さんがいらっしゃるんですね」
「ええ。そりゃあもう可愛くてね。俺は嫁とこの子を一生かけて守るんだ、この気持ちは永遠だって、そのとき思いました」
日も暮れて、スーパーの客も少なくなり始めている。
「嫁とはしょっちゅう喧嘩するし、子どもも実際育ててみたら可愛いばかりじゃありません。苛々させられる時間の方がよっぽど長いかもしれない。引っぱたいてやりたいと思ったことも、一度や二度じゃありません。だとしても、あの時、一生かけて家族を守るんだと思ったことが嘘になるわけじゃないと思うんですよ。少なくとも、それを嘘にしないために僕は頑張ってる。変わらないものがあるか無いかはわからんけど、あると信じて頑張ることには、意味があると思う」
中溝さんの語り口調はおおらかで、教室で話したときよりもずっと、この人やまなびのいえの本当の姿が見えてくるような気がした。
「教育にも、変わらないものはありますか?」
考えるよりも先に訊ねていた。
「あるでしょうねえ。ちょっと、うまく言葉にできるかわかりませんけど」
「今度、それを聞かせていただきたいです。もう一度、お時間をいただくことはできませんか?」
まなびのいえが、他の競合とどう違うのかは前に聞いた。ただ、それはこの先5年10年をどう戦うかの話であって、何十年単位で地域に根を張る学校になるためには、これからの世の中がどう変わっても変えない何かについて語ってもらう必要があるような気がする。AIという流行語の賞味期限は短いはずだ。それだけでは広告として弱い。
「もちろんです。また教室の方に連絡ください」
そう言うと中溝さんは、軽く会釈してレジに向かった。
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