それでも世界は傷んでいる ~不死身の少女と嘆きの龍~

すっごい性癖

起点

0話


世界は広い。広い、広すぎるとさえ言ってもいいだろう。


私たちの見える範囲なんて極めて狭く、世界の欠片にすら届いていない。にも拘わらず、私たち人間は今見ている範囲だけでも広いモノと認知し、故に、自身の少しだけの悪逆は見つからないとタカをくくっている。


こんなにも世界は広いのだから、少し店の商品を拝借しても見つかりっこない。


こんなにも世界は広いのだから、ちょっとくらい暴力をふるったって怒られないだろう。


こんなにも世界は広いのだから、国の一つくらい自分のモノにしたって大した問題じゃないんじゃなかろうか。


それは、酷い酷い勘違い。


世界が広すぎるせいで、人間は勘違いしてしまっているのだ。自身の悪行が広すぎる世界という白いカーペットの染みとして、自身の存在を主張しないのだとそう内心、無意識に考えてしまっている。


要領は子供の悪知恵と同じだ。バレなければ、怒られない。怒られないなら、やってもいい。


でも違うのは、それを叱る存在がいないこと。だって、叱る大人の方が世界は広くその懐もまた広い、と勘違いしているのだから。


だから、間違えた。決定的な間違いを生んでしまった。


人間、いや、生物が際限なく世界に極微小の染みを残していかないために存在する『死』という機構。それに抗おうとしたのだ。


そして、その企みは無限の悪逆の積み重ねで成った。成ってしまった。


繰り返された狂気。甘ったるい嬌声の坩堝。近親者の肉の味。度重なる実験で崩壊した一つの国。


生物の生が世界に極微小の染みを積み重ねていくものとすると、その成功は終わりのない汚染と何ら変わらない。


どんなに小さい染みでも、それを無限に刻み込めばいつかはどんなに広い布だって染め上げられる。


人は間違えた。決定的に間違えた。


生物として超えてはならぬラインを越えてしまったのだ。叱る存在の不在による最高級の悪逆で。


許せるだろうか、許せるだろうか、許せるだろうか!


それを決める存在は幾らかいるだろう。


勝手に穢された世界も、巻き込まれた人以外の存在も、犠牲となったモノたちは当然、裁定の権利を握っている。


彼らが人という存在を許さぬというのならば、滅びを受け入れるべきでさえあろう。それも道理だ。


しかしてもう一つだけ、裁定者としての権利を有する存在があった。


それこそ生み出された問題、それ自身たる、人が『死』を拒絶した結果たる存在。


あらゆる侮辱と冒涜を過去に受け、現に受け、先に受けることが確約されているモノにも、当然、怨嗟の声を上げる権利を有しているはずなのだから。








ギュッと、強く身に纏う外套を両手で握る。轟々と吹き荒ぶ風に飛ばされぬよう、ある程度の注意を割いて。ここは外套はおろか、気を抜けば自分さえ吹き飛ばすほどの暴風を絶えず吹かせているのだから。


そこは世界の果て。この星の始まりにして終端。


球状の星でありながら果てと呼ぶのは違和感しかないが。ボールのどこに特定の点を打てるのか、と私は疑問なのだが。しかし確かに果てである、……らしい。


識者である先生がそう言ったのだから、きっとそうなのだ。


この来るものを拒む風も、身に纏わりつく絶対零度の冷気も、標準値をはるかに超える放射線量も通常の何十倍もの重力も全てが私を追い返そうとしてくる。同じ星の中にある環境とはとても信じられない。


いや、正確には私を、ではない。この場所は私という一個人を弾くような環境ではない。正しくは、人を、否、生物を拒絶すると呼ぶのがふさわしい。


このような環境に適応できる存在なぞ、私は知らない。そんなことをこの場で考えている自身の存在こそが最大の矛盾ではあるのだけど。


まあ、今は特例中の特例だ。今の私は先生の下さったこの外套のおかげで死なずに済んでいる。コレを脱いだらたちまち、私という存在が所有していた肉体は崩壊するのであろう。


度々先生はすごいなぁ、と思っていたが、こんなものを作るとか尊敬の念が尽きない。このような死地を、私みたいなザコが歩めるようにしてくれるなんて。


しかし……、


「こんな場所に、本当に居るのかな?」


思わず、そんな疑問の言葉が漏れ出てしまう。しかし、それも仕方がないというもの。実際にこの場所に来て感じたが、この場所は正しく、生物の存在を許容しない果ての地。


そんな場所に、今回の旅の目的がどうしても結びつかないのだ。


それこそ、尊敬してやまない先生の指示であっても、この場所に居るなどとは、どうしても思えない。この地に住まう存在がいるだなんて、とても、とても。


先生はまさか私を謀ったか、はたまた、揶揄ったのか。そうとしか思えぬ地なのだ。


だが、だからこそこのような外套を預けてくれた先生の真剣さも感じ入るものとなる。彼の人は、正しくこの地に住まうモノがいて、私はその方と対面する必要があると思ったのだろう、と。


いったいどれほど歩いたか、いったいどれだけ道が続くのか。それを考えるだけで、両足が止まってしまいそうになる。


だが、それでも行かなければならない。


だって、それが……、私の――。


「おっとっと、いけない、いけない。……そろそろ、ですかね?」


そう言えば、と歩みをいったん止める。恐怖から、ではない。思い出したのだ。先ほどの中継地点から歩くこと十数キロほど経過したのだろう、ということを。無我夢中に歩いていたから、失念しかけていた。


「危ない危ない。なんらかの拍子に死んでしまっていたらとんでもないことになるトコでした」


なんて、誰も居ないと言うのに一人呟きながら背負っていた鞄を下ろし、中身を漁る。


飲料、ではない。喉はたいして乾かない。


食料、でもない。食事はあまり、好きではない。


地図、ですらない。この地は確かに厳しいが、道自体は分かりやすい。ゴールに向かうにつれて、厳しさを増していくから。


私の目的は、ただ一つ。無くさないように纏めて入れておいた、小さな小箱の入れ物。


「……あった」


その箱の蓋を開け、中から一つだけ取り出す。布に覆われた、棒状のそれ。


私はそれを軽く確認し、問題がないことを確かめた後、足元に軽く穴を掘り埋め込んだ。


よし、と、心の中で呟く。簡単な作業だが、コレが重要なのだ。これで万が一があったとしても、この場所から再び始められる。


「……残りは、二、いや、三本か」


その数を1減らした箱の中を覗けば、入っているのは先ほど埋めたそれと同じようなものが3本だけ。慎重に使わなければ。補充は基本楽だが、今この状況で行うのは面倒、というより殆ど無理だから。


「行こうか」


残りの距離は分からない。この先、どれだけさらに環境が悪化するかも分からない。そもそも、目的が存在している確証すらない。


だけれども、行くしかない。


だってそれが、私の『  』につながるのだから。



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