34.信頼




 ケルベロスは俊敏に冥府を駆け抜け、まっすぐに闇の奥へと突撃した。

 鋭い鉤爪による一撃が巨体をよろめかせたかと思うと、三つの口から真っ赤な灼熱の光が膨れ上がる。冥府の力を封じ込めていた炎の吐息だ。


「また悪いことしたから、おしおき!」


「来ないでっ!」


 至近距離で放たれた火炎は、しかし反対側から放たれた閃光と激突して消滅した。

 暗がりの中からレナの姿が浮かび上がる。

 象の如きアネットに引けを取らないサイズだが、生物としての躍動感に満ち溢れたケルベロスの身体とは対照的なほどに様相が異なっていた。


「見られた見られた、嫌なのに嫌なのに、レイくんには見られたくなかったのに!」


 悲痛な慟哭と共に、空洞の眼窩から黒い涙が流れ出す。

 その身を覆うのは腐敗、穢れ、肉を貪る蛆と蠅。

 死者たちの王に相応しい、生気を失った屍の巨体だ。

 ぼろぼろの肉体は至る所に穴が空いており、電撃はそこから放たれていた。

 かつて使用していた司祭の雷撃術とは比較にならないほどの威力。手や脚など体の各部位から球形の光が浮かび上がる。どうやらあの光る球体こそが雷撃の発生源となっているようだ。

 合計で八つ。ただでさえ強力な雷撃術がより強化されている。光球はレナの周囲を浮遊しながら、近づこうとするアネットに間断なく雷光を浴びせ続けていた。


『レイにいは先に邪魔なそいつをやっつけて』

『任せろ。終わったら魂アタックからの再説得だ』


 短くチャットで打ち合わせて、俺たちはそれぞれの相手と向かい合う。

 地獄を焼き尽くす熱の余波に慄いている余裕はなかった。

 既にもうひとつの熱が俺に向けられているのだから。

 カイが来る。

 轟音が聞こえた直後、刃が迫る。

 爆風で加速した踏み込みの威力をまともに受けるのは愚策だ。盾はあるが、可能な限りまともに受けることは避けるべき。

 冷静にステップで回避し、更なる追撃も転がるようにして回避。


「作戦なんざ通さねえよ。やろうぜレイ。きっちり決着つけてやる」


「邪魔だ。つーかお前は何なんだよマジで!」


 間合いを確保しつつ、盾を構えながらピッチフォークで一撃だけ突いて即座に後退。安全を最優先にした立ち回りを意識。相手の火力が高いため、素早く片付ける必要があった。かといって慎重さを欠けば負ける。

 レベルもステータスも、そしておそらくプレイヤーとしてのスキルも、カイは何もかもが俺の上を行っている。ただ漫然と戦っていては勝ち目などない。

 だから道具を使った搦め手も選ぶし、成功率が低くても動揺を誘うための挑発や、情報を得るために探りを入れたりしていく。


「何がしたくてこんな場所にいるんだ! 暇なのか?! 殴るぞマジで!」


「必要かその質問? 女で揉めてる時によお! 殺すぞくらい言えよ腑抜けが!」


 脅しでやれもしないことは言わない。じゃれ合いでもなければ大仰な『殺す』だなんて言葉はただ間抜けなだけだ。俺はカイが憎たらしいが憎いわけではない。

 鼻の骨くらいへし折ってやりたいと思っていることと、殺したいかどうかは違う。


「女って、何だよその理由っ」


 目の前で爆発。盗賊の魂が可能とする機動力で全力で回避。

 カイの攻撃は剣によるものだけではない。魔法使いのスキルで火の玉や燃える刃などを生み出し、投射することで間合いを潰してくる。

 はっきり言って、俺の盾と槍という武装はいかにも頼りなかった。


「ざけんな。勝手に死んで勝ち逃げしやがって。こっちは二連敗してる気分なんだよクソが。お前とは正面からやり合って白黒つけなきゃおさまらねえ」


 上空からの強襲、と思えば至近距離での爆炎、側面に回って薙ぎ払い。

 次々と繰り出される攻撃が俺の鼻先を掠め、衝撃が鼓膜を揺さぶる。

 防戦一方になっているのは俺だが、カイの表情にはなぜか余裕がない。

 というか、さっきからおかしなことばかり言っているような気がする。

 決着にこだわったりするのも妙だし、二連敗というのもわけがわからない。


「何だよそれ、レナと一年付き合うって賭けのことか? あれは結局、お前の中で負けカウントになってんのか? つーか二敗って何だよ知らねえって」


「てめえ、マジでふざけんなよ」


 カイの動きが止まる。爆発による絶え間ない高速移動が強みであるはずなのに、どうしてか完全に停止してしまっていた。

 こちらを凝視する目にあるのは、怒りだ。


「こっちはよ。女寝取られてんのにへらへら受け流せるほどクソマゾ野郎じゃねえんだわ。てめえと違ってな」


「はあ?」


 理解不能だ。

 いや、俺に対する暴言はまあわかる。レナのことを言っているのだろう。

 だがカイの方がキレているのはわけがわからなかった。

 吐くほどキレたいのはこっちだよ。そんなみっともないとこ見せないけど。

 槍を構えてこちらから仕掛けるが、爆風に乗って跳躍したカイは大きく距離をとってこちらが近付けない距離を保っている。何かを狙っているようだ。


「上等だ。マジでやろうぜレイ。全力でぶっ壊してやるよ」


 カイの纏っている気配ががらりと変わった。

 燃えるような戦意から、どす黒い殺意へ。

 この冥府に相応しい、暗く陰湿な情念がその目に宿っている。


(カイらしくないな。いや、違う。俺がこいつを知らないだけか)


 俺はどこまでも相手の理解が足りていない。

 しかし言葉を交わすには時間が足りないし、状況もそれどころではない。拳で分かり合うなんて世界に生きているわけでもない。

 なら、情報を得るために必要な手段は何か。

 この世界だからこそ可能なこと。

 アネットに教えてもらった方法を、俺は既に手にしていた。


「フルスクリーンモードからウィンドウモードに切り替え。NVIDIAコントロールパネルからFPS制限をオフ。切り替えの時間だ、覚悟しておけよ」


 カイの胸のあたりが発光する。魂の輝きだとすぐにわかった。

 その輝きは奇妙な言葉が大気を震わせると同時に拡散し、時空を振動させる。

 カイの姿が歪み、ぶれて、解像度が低下していった。

 現代の基準から考えると、やや古ぼけて見える姿だ。

 このゲーム世界とはどこかズレているのに、何故か『同じ』だとも感じる。


「いまの俺が視ている世界は『DB』のリメイク前の旧作バージョンだ」


「は? 何いって、いや、何だそりゃ?!」


 『異世界の魂なら世界をゲームとして認識できる』みたいなことを言っていたが、だからってそんなのありなのか?

 さすがに旧作の『ドリボ』についての詳しい知識はない。せいぜいが配信者のプレイ動画を少しだけ覗いてみたことがあるくらいだ。

 なぜゲーマーでもないカイがそんなものを知っているのか。

 その答えはすぐにわかった。


「古いハードまで手に入れるのは少しめんどくさかったけどな。おかげでレナを家に呼ぶ口実ができた。マジでほっとくとずっとゲームしようとすんのはビビったけど」


「下心じゃねえかふざけやがって」


 キレ気味に突っ込んで槍をぶち込んだが、即座に後悔することになる。

 安い挑発に乗ってしまった。

 カイの狙い通りに動いた俺の槍を、待ち構えていた剣が切り払う。

 ピッチフォークの穂先に刃が食い込み、バターのように両断。

 槍はあまりにもあっさりと砕け散った。

 耐久度限界だ。


「な」


 ありえない。

 超高火力による連続攻撃を食らい続けでもしない限り、こんな現象は起きないはず。続けざまに、爆風で加速した剣が俺を襲う。盾を構えてガード。一撃で腕が吹っ飛ばされ、直後に盾が粉々になってしまった。


(やばい、これは死ぬ)

 

 即座に装備を交換して両手に円形盾を出現させる。

 盗賊戦士がたまにやる『盾二刀流』で防御を固めつつ全力で後退。

 幸い、カイは剣を構えた状態のまま追撃してこなかった。

 いや、できなかったのだ。

 あちらの剣も、耐久度の限界を迎えて砕け散ってしまったから。


「それ、ロールシャッハを倒した時の技だよな。どうやってんだ?」


「不具合。パッチ当ててないんだよ。あえてな」


 嘘だろ、この時代にそんなことあるのか?

 いや、旧作の『ドリボ』の話だから少し前の時代かもしれないが、それにしても信じられない話だった。こんなデタラメな火力が出てしまう不具合なんてテストプレイの時点で気付かないか、普通?

 親切なカイは俺の疑念に答えてくれた。単なる自慢かもしれないが。


「修正前だと武器攻撃がヒットしたフレームごとにダメージ判定があるから、FPSが高ければ高いほど多段ヒットする」


 言いながら剣を振る。俺が牽制に投げた石が滑らかな断面を見せて両断された。

 冗談のような光景だ。普通なら石のような耐久値の高いオブジェクトは攻撃しても弾かれてしまうだけなのに。


「100fpsオーバーにするだけで火力は跳ね上がるわけだ。その代わり、武器の耐久値もゴリゴリ削られていくけどな」


「フレームごとにダメージ判定? 触れただけで秒間数十発ヒットってことかよ」


 武器が使い捨てになるとはいえ、アホすぎるバグだ。

 カイは既に武器を交換している。十分な『弾』を用意しているわけだ。


「で、それ前提に戦うとこうなる」


 カイは手持ちの武器を真正面に突き刺すと、腰の袋に手を突っ込んだ。

 勢いよく手を振り上げ、宙に無数の煌めきをばらまいた。

 次々と刃が地面に突き刺さり、辺り一面はまるで刃の群生地。

 消耗品のように使い捨てるための、剥き出しの武器ストックで戦場が埋めつくされていた。交換用の装備枠ですら足りないということなのか。

 爆発の負荷とバグ利用で剣を酷使するカイにとっての、これが最適解。

 とはいえ、あまりにも見た目に全振りし過ぎている。

 つーかこいつの悪乗りだろ絶対。


「足利義輝かよっ」


「何だそれ知らねえ。乙骨の領域じゃねえの?」


 案の定だったカイのバカさに苛立ちながら俺はアイテムを取り出して投擲を繰り返す。パイプオルガンを持ってきたせいで容量がギリギリだが、かろうじて『爆発玉』とか『粘着玉』あたりは準備してあった。

 爆発に爆発で対抗するが、カイの斬撃までは防げない。

 次々と迫る高火力多段ヒット攻撃に、俺の盾が砕け、村で新調したばかりの長剣がへし折られる。たった一合で終わり。もしも身体に触れたらもっと最悪だ。

 わずかでも刃が身体を掠めただけで、俺の命は超高速で削られてしまうだろう。

 だが、次々と武器を使い捨てるカイにもさほど余裕はなさそうだった。


「俺の脳と目が焼き切れるのが先か、お前のHPを削り切るのが先か」

 

 相手にも時間制限がある。それは見ただけでわかった。

 赤熱する瞳、真っ赤な顔、荒く吐いた息が白煙となって立ち上る。

 カイの肉体が負荷に堪えかねて悲鳴を上げているのだ。


「戦うつもりならガチれよ、レイ。俺は最初からそのつもりだったぞ。お前を潰して奪う。欲しいものがあるなら全てを切り捨ててでもやり遂げるべきだ」


 行動と言葉。その裏を、嫌でも読んでしまう。

 格上のはずのこいつが、あえてリスキーな『全力』で戦うことにこだわる理由。

 激しい消耗ゆえに、俺が逃げに徹することが最適解になってしまう状況。

 あからさまにばら撒かれた無数の武器。


「カイ、お前」


 こいつが言葉通りに俺の『手段を選ばない本気』が見たいと思っており。

 こいつがレナの味方でいられなかった後悔からここにいるのだとすれば。

 地面に突き刺さった無数の剣は、誘惑だ。

 『盗んでみせろ』という誘い。

 正しさという名の『甘さ』を捨ててレナに対する本気を見せろという挑発。

 目的のために罪を犯せば、レナやカイのいる『向こう』に行ける。

 それを俺が自ら選ぶように仕向ける、これはカイからのメッセージだ。


「俺は」


 スリこそが盗賊の核心となるスキルだ。スリデートの時に、レナの圧に負けて結局受け入れてしまった俺の弱さの象徴。それでも殺人の一線だけは譲らなかったあの夜の戦い。俺はどこまでも中途半端で、どちらを選ぶかで揺れ続けている。

 ならば、戦いの中で相手を殺すために必要な窃盗は?

 それが、レナのために必要だったなら?

 どんな過程を辿っても、選択は必要だ。


(俺は正しいことをしてレナと一緒にいたい。けど、レナは俺と悪いことをしたがってる。あいつの所に行くために、俺が選ぶべき道はどっちだ?)


 迷いは一瞬。

 手を伸ばし、そして掴み取る。

 俺が盗んだのは。


「レイ、お前っ」


 怒りの声を無視してスキルを発動する。

 俺が手を伸ばしたのは剣ではなかった。

 カイの胸の中心。

 魂に向かって指先を伸ばし、カイの心を掬い取ろうと試みる。


「教えろ、カイ」


 この世界には魂が実在する。

 衝撃で吐き出してしまえるし、心に触れれば感情が伝わる。

 敵を倒せば肉体から素材が落ちて、皮や爪だけでなく魂も手に入ることがある。

 アイテムとして所持できるし、強化素材としても使える。

 ゆえに、持ち主から盗むことだって可能なのだ。


『お前の心を』


 アネットに教わったように、魂の一部を込めて触れる。

 魂と魂が接触し、感情が、記憶が、ぐるぐると混ざり、激しくぶつかり合う。

 盗めるかどうかは賭け。

 だが、スキルが発動してしまえば接触の試行はほぼ確実に可能だ。

 世界が反転する。全ての色彩がモノクロに変化し、時間が緩慢に流れていく。

 感じるのは輝く光。


『大きな感情が、二つ』


 これは何だろう。

 粘つき湿った黒い炎。

 自らを責め苛む針と棘。

 後者はわかる。強い責任感。自責の念。後悔。悲しみ。


『なあ。無理心中ってよ、相手を殺すより、その後で自分で死ぬ方が明らかにハードル高いって思わないか? 実際、そのつもりだったけど失敗する奴もいるらしい』


 いつのまにか、カイの魂は落ち着いた様子でこちらに語り掛けてきていた。

 この瞬間にはただ感情の交錯だけがある。

 戦いのことを忘れて、俺たちは言葉を交わした。


『俺の、俺たちの死因のことか?』


『お前が目の前で死んでいって、たぶんレナは絶望したはずだ。でもな、後を追ったってことはだ。あいつにはもう、生きていく望みが無くなってたってことなんだよ。あいつには、自殺するだけの理由があった』


 レナが隠した真実。その核心がわずかに見えた。

 だがそれは、目を覆いたくなるような悲劇の一部始終を知ることでもある。

 おぼろげだが、俺は真相を思い出しつつあった。

 

『悪い。俺は最初、お前を疑った。濡れ衣だったけどな。反射的にキレてあいつに当たって、いや、これも言い訳か。俺も最初に思ってたよりレナに深入りし過ぎてたんだろうな。結局は、俺も動揺して逃げたんだ』


 カイの感情が苦痛によって揺れる。

 何をするべきだったのか。何が正解だったのか。

 俺に比べれば完璧に見えていたこの男だって、取り返しのつかない後悔を抱えてずっと悩み続けている。俺はこいつのことをわかっていなかった。

 カイは、多分このためにこんな異世界までやってきたんだ。


『お前たちが死んだのは、俺のせいでもある。悪かった』


『カイ』


 心を震わせる友達に、何かを言ってやりたかった。

 俺たちのために無茶をして異世界に来てくれた男に、何か報いるべきだと思った。

 そして、もうひとつ。


『おまえこの、俺に対するじめっとした嫉妬なに? なんで? 俺にそんな羨ましい部分なんてあるか?』


『お前マジでふざけんなよレイ。しれっと真壁に手ぇ出してんじゃねえよ! 俺、海に行った時にやめろって言ったよな?!』


『うん? ああ、お前って真壁綾のこと好きだったの? 両想いじゃん』


 言った瞬間、目の前の魂が爆発しそうなほど飛び跳ねて沸騰したような湯気を出し始めたが、俺は俺で妙な苛立ちでそれどころではない。

 というかこいつ、感情から伝わってくるこの感覚はもしや。


『おい、カイ。お前さ。真壁にも好意あるし、レナにもまあまあ好意あるよな? は? ふざけんなよ。何なんだよお前は。何が嫉妬だよ真壁が本当に好きなのは明らかにお前だっただろ。キレたいのはこっちだよ』


 どっちかっていうと嫉妬でのたうち回る側は俺だ。

 カイがモテすぎて頭おかしくなりそう。

 ところがカイはカイで理不尽に俺にキレてきた。

 何なんだこいつ、わけわからん。

 

『何が『本当に好き』だクソボケ! ヒナの刷り込みで恋愛してんじゃねえんだぞ! お前もレナもそういう前提で潔癖症な恋愛してっからこじれんだろうが、小学生かよ! 誰と付き合ったとか別れたくらいでガタガタ嫉妬してんじゃねえ! 俺に黙って真壁に触んなクソがあいつをそういう目で見んじゃねーよ!!』


『一瞬で矛盾すんな殺すぞ!!』


 激情と激情が反発し合い、重なる心が引き裂かれた。

 時間が正常な流れを取り戻し、精神感応の世界が途絶する。

 俺は伸ばした指先をグーに変えて、握りこぶしでカイの胸の中心を思い切りぶん殴った。痛みで呻くカイ。スカッとする。


「終わりだ、カイ!」


 魂に対する盗みは失敗。

 だが魂に接触することには成功したし、そのショックで相手の裏技チートは維持できなくなっている。カイのグラフィックが元に戻っていた。

 その隙を逃さず、取り出した短剣で渾身の一撃を叩きつける。


「頑固だよな、お前」


 受け止められた。

 突き刺さっていた剣を引き抜いて、今度は真っ当に鍔迫り合いを行う。


「ならそのままやってみろよ」


 カイの口調から滲む感情は、失望が半分、感心が半分。

 ひねくれた理屈で『相手の物を盗む』という道を拒否して、窃盗を対話のためのツールに転用した俺のやり方はきっと正しいわけではない。

 これは、俺の納得を優先させただけだ。

 この世界で生きている俺は、もうゲーム感覚だけで戦うわけにはいかない。


「俺も、俺のやり方で勝つ。全部使ってな」


 だが、カイはどこまでもゲームのプレイヤーであることを貫こうとしていた。

 ぱちん、と目の前の敵が指を弾く。


「何だ、それ」


 一瞬の出来事だった。

 カイの姿が変化している。ディティールの多い甲冑、派手なマント、高級そうな剣。印象としてはレナの父センシスが近いが、それよりも更に貴族然としている。

 カイが用意していた手札はバグ技だけではない。

 純粋なゲーム攻略者としての強さ。

 正攻法でやっても強いのがこの男の厄介さだった。

 カイ・ギルフォードはもう戦士じゃない。

 クラスチェンジを果たしている。


「そういや、東方伯の後継者とか名代って言ってたな。せこせこイベントこなしてフラグ立て頑張ったわけか」


「ああ。大変だったぜ。俺の存在を強引に設定に割り込ませたりもした。条件は満たしてたんだよ。もったいぶってたのは、お前に不意打ちかますためだ」


 職業、君主。

 騎士の上級職だが、各地の有力貴族に関連したイベントをこなすなどの特殊な条件を満たせば他の職業から転職することも可能な職業。

 一瞬にして強力な職業スキルを獲得し、各種ステータスが大幅に上昇したカイは、俺の攻撃を受けてもまるで堪えた様子がない。

 ダメージは確実に与えている。

 それなのに、その被害がどこかに移動しているかのような奇妙な手応えがあった。


「教えてやる。もう俺だけを攻撃しても無意味だってことをな」


「まさか」


 驚いてみせながら、密かにチャットでアネットに合図を送る。

 激しい戦闘を繰り広げながら、派手に遠吠えをするアネット。

 炎と雷撃が飛び交う戦場ゆえに、その行動も激戦の一部として聞き流されている。


(あと少し。カイの伏せてる札がここまでなら)


 深呼吸しながら、相手の出方を見る。

 俺もゲーム知識があるから予想はできていた。

 カイの目の前に空から光が差す。

 その中から現れたのは、君主の固有スキルで召喚された『英霊騎士』だ。

 すかさず攻撃を試みるが、全身甲冑によってに弾き返されてしまう。


「硬すぎだろ」


「背後致命にさえ気を付けていれば、一撃が軽いお前では手も足も出ない。そしてこいつの背後は常に俺が守る。お前の負けだ、レイ」


 得意げに言うカイは己の勝利を確信しているようだった。

 『英霊騎士』は貴族が己の血脈に眠る魂の力を解き放ち、先祖伝来の鎧を操って護衛の騎士として召喚するスキルだ。

 君主は騎士を従え、騎士は君主に仕える。

 この構図を忠実に再現して、召喚された英霊騎士は主君に与えられたダメージを全て肩代わりする特殊能力を有している。

 つまり、この召喚ユニットを倒さなければカイを倒せない。

 だが俺の攻撃力では防御力の高い英霊騎士を倒すことはできない。

 このままでは詰みだ。予想通りに。

 カイなら、俺の『盗賊戦士』という構成を見てこういう対策を打ってくると思っていた。だから俺には防御を貫くための背後致命バクスタ以外の方法が必要だった。


「援軍を呼んだなら、俺のこれをアンフェアとは言わないよな」


「何?」


 ケルベロスの咆哮に応えるように、別の咆哮が聞こえてくる。

 俺たちが下りてきた方向とは別。カイの背後にある、横道から。

 それは魔獣の王の特権だった。

 全てのハウンド級を支配し、自由に操作できるという。

 勢い良く飛び込んできた小型魔獣はあっけなくカイによって倒されたが、続けて現れた男たちはそう簡単に倒せる相手ではなかった。

 彼らは俺と同じモブキャラだ。それでも、これまで厳しい特訓を重ね、死闘を乗り越えてきたこの世界の戦士たちでもある。


「援軍呼んどいてこれか? 肩透かしだな! 場違いなんだよ!」


 カイの恫喝にもひるまず、戦士たちはそれぞれ武器を構えた。

 続々と集い、俺に加勢してくれたのは自警団の仲間たちだ。

 ニック、カマス、ムーダ、ヨハン、ハンス。

 アネットだけじゃない。俺には仲間がいる。

 だから俺は、『そっち』には行かない。

 ここだって、ちゃんと俺の世界だからだ。

 

「俺の名はニック・カーヴェイ! 村一番の戦士レイの大親友様だ!」

 

 高らかに名乗りを上げた男が一番槍として突撃を開始する。

 カイは英霊騎士を前に出して攻撃を阻止しようとした。


「そういやいたな、序盤に死んでた雑ネームモブ。肉壁だっけか? 今さらテンプレかばう戦士なんかじゃ何の役にも」


 相手を侮っていたカイの言葉が途切れる。

 ニックに起きた異変に気付いたのだろう。

 山賊スタイルの巨漢は、元から見上げるようだった体躯を更に膨張させている。

 全身は毛深く、手指の先は鋭い。

 獰猛に唸る口が、人を食らう牙を剥き出しにした。


「おいおい、なんだよレイ、やればできるじゃねえか。ダチで人体実験やれんなら盗みくらい屁でもねえだろ。あれもブラフかよ」


「見くびるなよ貴族野郎! こいつは俺の覚悟だ! 親友と一緒に戦うためのな!」


 ニックが吠え、熊と化した全身で戦意を主張する。

 山のヌシが落とした魂と肉体を使って、彼は中型魔獣との錬金合成を果たしていた。アネットに勝るとも劣らぬ不退転の決意。

 世界の危機と友の個人的な戦いを、他人事にはしないと踏み込んだ結果。

 これはニックの意思だ。

 運命の都合で肉壁として散っていくモブキャラとしてではない。

 仲間と共に戦う、人間としての意思。

 ニック・カーヴェイなんてただの名前だ。

 俺はあいつにこう助言をした。


『攻撃こそが最大の防御になる。レベル上げの際は火力を重視しておけ』


 最も体格に優れ、筋力があるニックに防御だけさせておくのはもったいない。

 あいつのパワーは最大限に活かすべきだ。

 そのことを、ゲーム知識に縛られたカイは知らないはずだ。

 

「おおおおおっ!!」


 カマスが『みやぶる』を使って英霊騎士の弱点を見極め、ムーダが『標的』を付与して弓で援護、ヨハンが『俊足』からの『シールドバッシュ』で妨害し、ハンスが『料理』した熊の好物、魚料理によって能力が上昇。

 全ての力を合わせ、中型魔獣の攻撃が英霊騎士に叩きつけられた。

 

「行け、ニック!!」


 祈るように叫ぶ。俺はカイと刃を交えながら、ただ友を信じた。

 火力が足りるかどうかは賭けだった。

 この戦いは最初からずっとこんな綱渡りばかりだ。

 それでも、俺たちはできることをして、あとは信じることしかできない。

 ちっぽけな力でも、協力すれば大きな力になると思いたかった。


『頼む、届いてくれ!』


 胸の中で熱が弾ける。口から吐き出すのでも、指先から伸ばすのでもなく、ただ魂が激しく燃えるような感覚があった。

 それがどんな結果をもたらしたのかはよくわからない。

 ただ俺は一瞬だけ、心で仲間たちに声援を届けた気がする。

 それは気のせいだったのかもしれないし、感傷だったのかもしれない。

 だが。


「嘘、だろ」


 カイが愕然と目を見開き、その身体を守る英霊騎士の加護が消える。

 隙を見逃さずに短剣を閃かせ、俺は素早くカイにダメージを与えた。

 横目で友の勝利を確認し、心の中で拳を握った。

 最後の一押しとなったのは絆の力。すなわち、熊化で基礎値が上昇した攻撃力を更に割合強化する、俺とニックの信頼度ボーナスである。

 戦闘時のメニューを確認してすぐにわかった。

 ニックとの間にある信頼度が、200まで上昇していた。

 それは即ち、150上限を突破しているということでもある。

 ニックに固有イベントはない。

 だから村を救って生存させたとしても、会話イベントは『絆が深まった』という汎用テキストで済まされてしまう。


「なあカイ。証明になるかわかんないけどな。俺はレナとも同じようにやってみせる。だから信じてくれ。俺になら、必ずできるって」


 イベント内のやりとりはプレイヤーの想像に委ねられている。

 この世界における信頼度上限の解放イベントとはなにか。

 それは俺とニックが積み重ねた時間と言葉、そして行動の全てがそうなのだと思う。システムとしての信頼度は、心によって幾らでも変化する。

 今度こそ確信を得た。

 俺は、きっとマイナスになったレナとの信頼度も変えられると。




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