26.足元の揺らぎ
破滅の足音がする。
希望の光が差している。
二通りの実感が、矛盾なく俺の中に同居していた。
俺にとっての矢田部カイはそういう存在だ。
反射的に確認したステータスで、間違いなく目の前にいる男が『そう』であることを確かめた。何も反射しない鈍色の鏡の中で、無機質な文字が躍る。
・『カイ・ギルフォード』☆(コモン)
職業:『戦士』 前世の魂:『魔法@#TU海』
魂は恐らく魔法使い/矢田部海。
ごくありふれた『魔法戦士』構成だが、低レアではありえないほどの圧倒的な火力といい、モブキャラとは思えない存在感といい、あまりにも異質だった。
「カイ、お前、どうして」
「言っとくが死んでねえぞ。これはまあ、夢っつーか幽体離脱的なアレだよ。理屈は俺もはっきりわかってないんだが、今は細かい話は後にしろ」
カイは支えていたレナを立たせると、剣を構えて死者の軍勢と向き合った。
油断ならぬ相手だと即座に認識したのだろう。多勢に無勢であるにもかかわらず、軍勢は警戒して動かない。
俺たちも状況を打開するために動くべきだ。
細かい事情は不明だが、強力な援軍であることは間違いない。
ここはカイと協力して包囲を突破するしかないだろう。
振り返って仲間たちに指示を下そうとした時、背後にもうひとり増えていることに気付いた。その人物は腰の袋からアイテムを取り出し、空中に放り投げる。
周囲に散布された回復薬が、個人ではなく集団に対して作用した。
ここまでの戦いで削られていた俺たちの体力や精神力が一気に上限いっぱいまで引き上げられていく。驚きの声と視線を受けながら、道具の使用者が口を開く。
「失礼いたします。皆さま、消耗しておいででしたので、勝手ながら回復薬の散布をさせていただきました」
ホワイトブリムにエプロンドレス《ピナフォア》という典型的なメイドの衣装を身にまとった、楚々とした佇まいの少女が一礼する。
「カイ様の忠実なるしもべ、ロザリーと申します。微力ながら、皆さまにも支援を」
レナの屋敷にもいる、よくいるモブメイドのグラフィック。
恐らく俺やカイと同じ星一つのモブキャラだと思うが、ステータスを見るとレベルがかなり高い。普通のメイドではこんなにレベルが上がることはないので、知識のある者が重点的にレベリングを行ったのだと思われる。
ロザリーという人物は幾つかのキャラクターを強化するための薬瓶を広範囲に散布し、さらにメイドの『奉仕』スキルによって周囲のキャラクターにステータス上昇の
「うお、すげえぞこれ」
ニックたちが驚くほどに劇的な変化だった。
強力な支援スキルと強化アイテムを同時に使用することで、全員のステータスが飛躍的に上昇しているのだ。
商人の代表的なスキル『アイテム強化』はアイテムの効果を色々と拡張することが可能で、最も良く使われるのが一つのアイテムを複数人に使用できるようにする『範囲化』である。するとこのメイドさんは『商人メイド』か。
「皆様、こちらの回復薬をどうぞ」
ロザリーは鞄から次々に大量のアイテムを取り出して皆に配っていく。かなりの量と思われるが、アイテムを潤沢に保有しているらしく、尽きる様子がない。
おそらく器用さと知性で強化される『侍女の整頓術』に固定値増加の『行商人の鞄』によって、ステータス傾向によっては積載量を最大化できるアイテム支援特化構成のキャラクターなのだろう。
アイテムを多く持つには、戦士、盗賊、メイド、商人のいずれかを絡める必要があり、その意味でこのメイドはステータスの依存度が低いアイテムサポートキャラとして完成されている。低レアのまま使うなら理想的な構成だ。
メイドの『奉仕』バフと商人の『アイテム強化』による支援を受け続けることで、低レアでもかなりの戦闘力を発揮することができる。
カイの異常な強さに納得が行った。おそらくそれ以外にも装備などで強化しているのだろうが、可能な限りの強化を重ね掛けすれば低レアでもかなりの火力が出せる。
「おし、全員にかけ終わったな。ロザリー、殿を務めろ。俺が先頭で突っ切る。陣地までバフ切らすなよ」
「承知いたしました、カイ様」
ごく自然に打ち合わせて次の行動を決定しているカイに理由のない反発が湧き上がる。ここはカイに従った方がいいのだが、このメイドとのやり取りに何か無性に腹立たしいものを感じたのだ。倒れそうなレナを支えた直後だったから、だと思う。自己分析すると嫌な結論しか出てこないので、俺は思考を中断した。
「カイ、突っ込むのはいいが、どこに向かうんだ? あとこの人はどういう」
「近くに陣を張って部下を待機させてる。あとそいつは俺の女」
「はぁ?!」
問いに答えることなく走り出すカイ。
つられるように全員が走り出し、俺はリーダーとしての役割を完全に奪われていた。当たり前だ。カイに助けられた瞬間に、この場の主導権はあいつに持って行かれてしまっている。
カイは獅子奮迅の活躍で死霊軍団を撃破し、包囲に穴を開けていく。
ただ魔法が使える戦士、という動きではなかった。
「どこ見てんだザコども!」
速い。爆音と同時に視界から消えて、空中に飛び上がったかと思うと再び爆音。
直後にゾンビの群れを焼き斬りながら爆破と同時に移動している。
炎の魔法による爆破で、剣の加速、踏み込みの強化、空中での方向転換など異常な機動力と火力を両立させているのだ。
ただ大雑把に魔法を使用するだけではできない芸当。
恐るべきセンスか並外れた修練が必要な離れ業。
ゲームでそんなことはできないはずだ。
基本的に攻撃魔法を自分の武器とか足の裏とかに向けて放つようなことはできないし、それによって加速するなんて仕組みは実装されていない。
「ロザリー! バフ配分変更! 脚七腕三!」
「承知いたしました、カイ様」
当然のように下される指示。当意即妙の連携。
できない。そういう細かい支援内容の変更なんて不可能だ。
だが、それは俺がそう思い込んでいただけだったのかもしれない。
この世界は現実でもある。
物理演算というより、本物の物理法則が働いているかもしれない。
あんな風に魔法の使い方を工夫して戦うこともできるのかもしれない。
俺には決して思いつけなかった発想だ。
レナのゲーム的に正解である効率的なプレイングにすら『正しくない』と文句をつけていた俺は、きっとどうあがいてもカイには敵わない。
信頼できる仲間と特異な発想を共有し、完璧な連携を行うということだってあいつは成し遂げている。なら、俺の役割なんてもう。
「今だ! 全員で突っ込め!」
カイの叫びに希望を見出した仲間たちが快哉を上げる。
状況は確実に好転している。
その事実に曇っていく俺自身の狭量さがひどく惨めだ。
包囲を抜けた俺たちは山道を駆け下りていく。その途中で、カイが何かを叫び、ロザリーがどこからともなく取り出した角笛を高らかに吹いた。
最初に風が駆け抜けて、蹄の音が響き渡る。
その次に、耳を劈くような雄叫びが大気を震わせる。
俺たちをすれ違うように、銀の輝きが死者の軍勢に突撃していく。
騎馬だ。装甲に覆われた軍馬と、突撃槍を構えた騎士の軍勢。
山のど真ん中に突如として出現した銀の軍勢が、死者の軍勢と激突していた。
「安心しろ、辺境伯軍の精鋭だ。聖銀装備揃えたから死霊には負けねえよ。ここはあいつらに任せろ。俺たちは麓に向かうぞ」
「いや、待て。どこにあんな数の援軍が」
「だから陣地だよ。編成画面から出撃させた。ほら、俺らも行くぞ」
頼もしいが、流石に困惑が大きい。
軍勢と軍勢の集団戦闘は本来なら中盤以降に解放される要素だ。
ミニゲームとしてはやや規模が大きめで、ある意味では『ドリボ』第二のメインコンテンツと呼べるほどのやり込み要素。
それが地域制圧型のシミュレーションRPGモード。
通常戦闘ほど気合の入ったビジュアルではないし、可愛らしい二頭身のちびキャラたちがぶつかり合う簡易的なものではあるが、育成した多数のキャラをフル活用できるのはこのモードだけだ。
むしろ生存させた『レイ』などの低レアたちが活躍するのはこのモードだった。
もう明らかに序盤の展開ではない。
こちらの疑問を無視して次々に事態が推移する。
カイは俺たちを連れて移動を続け、やや離れた場所に設営されていた天幕へと誘った。その入り口で立ち止まり、こちらを振り返って言う。
「麓の陣地にワープするから戦闘準備しとけ」
「は? ワープ?! できねえだろ?!」
「ワープっつーか、編成画面に退却して再出撃な」
「あ~そっかぁ、その手があったね~。カイくんさすが~」
俺の突っ込みにさらっと答えを返し、のんびりとしたレナの賞賛を受けて満足そうに笑うカイ。後ろで「さすカイでございます」とメイドの声。うぜえ。
きょとんとするニックやアネットに向けてカイが説明する。
「これは『野戦築城』コマンドで構築した陣地でな。自陣営の拠点間に『撤退』した部隊は『編成メニュー』に待機状態となる。そして部隊を再出撃させる場合、自陣営の拠点を自由に選ぶことが可能だ。つまり、ストレスフリーなゲーム的利便性を優先したことによる限定的なワープ移動か可能になっているわけだな」
ニックたちはきょとんとした顔。それはそうだろう。
ゲーム世界でゲーム的な説明をしても、この世界の住人は理解できない。
ふと、小さなひっかかりを覚えて思考が立ち止まる。
何だ?
いやそもそも、そのワープってどういう理屈で成立してるんだ?
「そんな無茶苦茶なことが、っていうかお前それゲームのどの進行段階なんだ?」
「別にどこまで進めばどの要素がアンロックされて、なんて決まりはねえよ」
「え?」
「知らなかったのか? 異界に由来する魂を持つ者は、ゲーム的世界観に基づいてこの世界を攻略できる。『それが可能なシステムだ』って魂が認識してれば、世界はそれに合わせた形に変容するんだ。やればできる、そんだけだ」
やはり違和感がある。カイの物言いに俺はまたしても妙なひっかかりを覚えたが、今はそれを深く掘り下げている時間はなかった。
「急げ。メニュー下段の左下、五番が割り振られた『村の麓』って陣地だ。天幕に入って再出撃する拠点を選べ」
カイの指示に従えば、おそらくかなり時間を短縮できる。
周囲を見ると、希望を示されたことでその目に力が宿っていた。
レナもまた、表情を明るくして俺を見ていた。
「行ってみようよ、レイくん。これなら村のみんなを助けられるかも」
さっきまで『二人で逃げよう』と言っていたくせに。
レナが態度を翻したことに反発を覚えている自分の醜さが嫌だった。
彼女の判断を覆したのはカイの力だ。
それは望ましいことであるはずだ。
だというのに、どこか心にしこりが残っているのは、俺の弱さゆえだろう。
これは正しくない。俺は、このレナを肯定しなくてはならない。
軋む音が聞こえる。聞きなれた音だ。聞こえないふりだってできる。
ただ、すり減った分が戻らないだけだ。
「わかった。行こう。助かったよ、カイ」
「礼なら全部終わってから言えよ」
カイは何も間違ったことはしていない。
正しく、そして強い。
俺が望み、欲しているものをカイは持っている。
視界が暗闇に沈んでいく。
暗転。移動は一瞬だった。
瞬きの間に天幕から出てきた俺たちは、見覚えのある場所に出てきていた。
村から少し離れた開けた茂みの奥だ。
見える位置に村を囲う木の柵があり、奥からは悲鳴や怒号が聞こえてくる。
既に襲撃が始まっているのだ。
「みんな、急ごう!」
家屋から立ち上る黒煙が見える。
衛兵が群がるハウンド級を次々と追い散らすが、数が多すぎて村内部への侵入を許してしまっている。自警団の面々も奮戦しているが、明らかに劣勢だ。
俺たちが戻ってきたことに気付いて、脚を負傷して倒れている自警団の先輩が声をかけてきた。
「お前ら今までどこに、いやいい! それよりデカいのに防衛線を突破されちまった! 団長たちが応戦してるがヤバい! 広場の方だ、急げ!」
「すみません、すぐに向かいます!」
駆け足で村の中心部に向かう。途中で襲われそうになっている村人たちから小型魔獣を引き剥がして始末しながら、ひたすらに走った。
そして、俺たちはそれを見た。
残っていた衛兵のひとりが、地面に叩きつけられて胸を砕かれる瞬間を。
続いて気付く。血の海に沈んで虫の息になっている男に、顔がないことを。
眼球と剥がれた顔面が、俺の足元に転がっていた。
「団長」
自警団の長であり、村でも有数の剣士。
レイの師でもある頼れる男が敗北している。
それだけではない。あちこちで呻き声が響き、腕や足を欠損させた状態で這いずって逃げようとしている者だらけという凄惨な状況だった。
既に動かなくなっている者もいる。
井戸にもたれ掛かって荒く息を吐いているのはレナの兄。
離れた場所で司祭や修道女たちが祈り続けて戦士たちの治療を行っているが、明らかに間に合っていない。
そのうち、司祭に治療されていた壮年男性がよろめきながら立ち上がる。
まだ万全の態勢ではなく、片腕と片目を潰されているが剣を手に強敵に立ち向かおうとしていた。村を守らなければならないという使命感が彼を死に向かわせていた。
「あ」
レナが小さく声を上げた。
このままではレナの父親が死ぬ。
彼女がセンシスをどう思っているのか、はっきりとはわからない。
だが、止めなければならなかった。
「行くぞ。ここで奴を倒す」
今度こそ、俺が決意し、俺が踏み出さなければならない。
あれは俺の敵だ。
小型魔獣とは明らかに存在の威圧感が異なる。
サイズとしては人と同等かやや上くらいまでのサイズ感であるはずだが、立ち上がったその姿はゆうに3メートルを超えており、体感としてはそれ以上に思えた。
分厚い毛皮。ずんぐりとしたフォルム。屈強な四肢。強靭な顎と爪。
あれが中型魔獣。正しい運命における、『レイ』の死。
「やだ、私、あれ怖い」
レナの怯えた声。
無理もなかった。ゲームで戦うのと生々しいそれと対面するのでは恐怖の質感が違う。なによりも、俺たちはその恐怖を『別世界の出来事』だと思えない。
ウィルスや突っ込んでくる車と同じくらいには、それはリアルな死だった。
俺とレナは、小学生の時にそれを生で見たことがある。
楽しい家族旅行での、予想外の遭遇。
その時はなんとか事なきを得たが、それ以来というものレナは関連したニュースにひどく怯えるようになってしまった。それらの事件がひどく凄惨であったことも影響していただろう。俺だって恐怖を感じていたし、八王子や奥多摩が安全圏ではないという事実は死の接近を嫌でも突きつけてくる。
あれからレナは、その動物を『可愛い』とは言わなくなった。
唸り声。
のしり、と動いたそれがこちらを見た。
小型魔獣をハウンド級と呼ぶように、中型魔獣にも別名がある。
ベアー級。
人喰いの熊が、血まみれの牙を剥き出しにして笑った。
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