第13話
翌日…。
外は、朝から雨が降っている。
私は、何もすることがなく、ただ部屋の中からぼんやりと庭を眺めて過ごしていた。
「風がどんどん強くなって参りましたね…。」
お夢さんの言葉を聞いて、庭にある桜の木に目を移すと、葉っぱがザワザワとうねっている。
「本当…。」
「もう戸を、お閉めしましょう。」
彼女は部屋に雨が入らないように障子を閉めた。
「季節が変わると、嵐も多くなりますね。
それが過ぎれば越後は雪で覆われます。
そうなれば、姫さまも、なかなか外に出られなくなりますね…。」
「………。」
冬か…私はいつまで此処に居るんだろう。
先の見えない不安が押し寄せる。
これから先、謙信さまと、どんな顔をして会えばいいのか…。
私は未だにその【答え】を出せずにいた。
『伊勢姫さま、景虎さまがお呼びです。
本殿の方にお越し下さい。』
………!?
部屋の外から侍女が声を掛けた。
「景虎さまが私を?」
お夢さんと顔を見合わせると、彼女は静かに頷いた。
「…すぐに準備します。」
外に座している侍女にそう答えると、私は身支度を済ませ、謙信さまの待つ本殿へと足を進めた。
長い廊下の先。
そこは以前、謙信さまが居合抜きをしていた場所。
その場に足を踏み入れた途端に、以前のようにピリピリとした空気が漂っていた。
屋敷内の一番奥の部屋まで来ると、案内役の侍女は頭を下げて下がって行った。
「…伊勢でございます。
お呼びでしょうか。」
謙信さまは、奥に奉られている毘沙門天の像の前に座り、目を閉じている。
「…そなたに聞きたい事がある。こちらに座れ。」
「…はい。」
私が座ったのを確認すると、謙信さまは私の目を見て言葉を続けた。
「ここは、神のいる神聖な場所…。
これから私が問う事に嘘偽りなく答えよ。」
「…?…はい。」
いつもと違う謙信さまの行動に、胸がざわめく。
「お主は…何者だ。」
「…あの、それはどういう意味でしょうか。」
「解らぬか?
…お主は本当に【伊勢姫】かと、聞いている。」
――!!
謙信さまの問いに全身が震えた。
「昨夜、ある者から、お主は伊勢姫ではなく、身代わりの者だという話を聞いた…。」
謙信さまの声が遠くに聞こえる……。
「…その話は真なのか、お主自身から聞きたい。」
「………。」
私は俯いたまま何も言えない。
ただ震える拳を強く握り締めていた。
「どうした?!…答えよ!!」
「…お主は、本当に…伊勢ではないのか…?
…私を謀ったのか…。」
「…私は。」
「間違いなら間違いだと言え!!
私はお前の言葉を…信じる。」
謙信さまの声が震えた。
「…………。」
私は何も答えられない。
「何も…言わんのか…。」
私の反応に、謙信さまはすべてを悟った様だった。
彼は立ち上がり、踵を返すと、私に背を向け、そのまま部屋を出ようとした。
「―景虎さまっ!!」
彼を引き止めようと、景虎さまの肩に触れようとしたその時―
「私に触れるな!!」
怒りに歪む顔―。
威圧するような目―。
怒りと悲しみを身に纏ったような青い炎が、
謙信から滲み出ていた。
まるで、龍が怒るように、激しい雨が地面に叩きつける。
「…信じていた。
…お前を…。
初めて、人を…信じられると思った…。
…なのに…お前は……。
ずっと偽っていたのか…。」
「景虎さま…。」
今にも泣き出しそうな顔―。
謙信さまは私の手を振り払うと雨が吹き込む薄暗い廊下を振り返ることなく歩いていった。
私はそれ以上、身体が動かない。
まるで金縛りにでもあったかのように
呼吸さえ止まってしまったかのように
ただ涙を流し、その場に立ちすくんでいた。
すべて知られてしまった…
これからどうすればいいのだろう…。
伊勢姫にも…
殿にも迷惑が掛かってしまうかもしれない…。
伊勢姫のお腹には、赤ちゃんがいるのに…。
ううん。それよりも…謙信さまを傷付けてしまった。
私の手を振り払った時のあの表情―。
怒りの篭った瞳が…頭から離れない。
私を、信じてくれていたのに…。
助けてくれていたのに。
私はこんな最悪な形で彼の心を裏切ってしまった。
どうすれば、いいのか…
償い方さえ解らない。
私には涙を流す資格もないのに…
涙が止まらない。
地面を打ち付ける激しい雨のように
やがて私の心も壊れていった。
「姫―どうなさったのですか!?」
私は部屋に戻ると直ぐにお夢さんに抱きついた。
「…知られてしまいました。
私が伊勢姫でない事を。」
お夢さんは酷く驚いた様子だった。
「知られた?」
私は彼女の問いかけに、ただ頷いた。
「……ごめんなさい。」
「…姫。」
「お夢さんにも、迷惑をかけてしまうかもしれません。」
「…いいんですよ。
覚悟はとうの昔に出来ていましたから…。」
お夢さんは私の肩に手を置いた。
「…それにしても、一体誰が。」
「…解りません。
私…景虎さまを傷付けてしまいました。
もう…どうしたらいいのか…。」
「姫さま…。」
お夢さんは、私が落ち着くまで
いつまでも背中をさすってくれていた。
黄昏の彼方に泳ぐ龍 @pino-memo
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