第2話 オムライス

「失礼いたしました。わたし、十六夜いざよいと申します。この辺りで、人生にお迷いの方の手助けをする代わりに、ほんのちょっぴり、血を分けていただいております」


 彼女――十六夜は俺の向かい側に座り直して、しゅんとしていた。


「血を……?」


 俺は噛まれた首筋に手をやりながら、戦慄した。血はすぐに止まって痛みもなく、蚊に食われたみたいなむずがゆい感触が残っているが。

 血を吸う化け物と言えば、アレじゃないか。


「お察しの通り、わたし、人とは少し違う存在といいますか……。あなたたちにわかりやすいように言うと、吸血鬼、というものでございます」


 やっぱり!


「お、俺のこと、殺すの……?」


 俺は逃げることもできず、がたがたと震える。しかし、十六夜はにっこりと微笑んだ。


「あら、わたしはそのようなことはいたしません。どうかご安心くださいな。一度きり血を吸って殺してしまうなど、愚の骨頂。もったいないではありませんか。最近は人の子の間でも、えすでぃーじーず? でしたっけ? 持続可能な社会の実現に取り組んでいるのでしょう?」

「あー、うん。まあ……そうっすね」


 何か違う気がするけど、どうツッコんだらいいのかわからない。


「でも、血を吸うことに変わりはないんですよね……?」

「ですから、どうかご心配なく。たまーに、ほんの少―しだけ、嗜む程度にいただければ大丈夫ですので」


 嗜む程度って何だ。


「……で、ここで人間をかどわかして、血を吸ってると……」

「まあ、かどわかすだなんて、人聞きの悪い。この辺りは、観光名所であると同時に、自殺スポットとしても有名になってしまったでしょう? 地元の観光協会や自治会の方が困ってらして。わたしは昔からここに住んでいたのですが、それで、そういう目的でここにいらした方に、何とかして思い止まっていただくように説得してくれと、頼まれてしまいまして。ここでそういう素振りを見せる方がいたら、話をして思い止まらせてほしいと。各機関と連携して、支援制度の紹介などもやらせていただいております」


 そう言って、さっきも見せてもらった色々な資料を指差す。何だか、一気に俗っぽくなった。っていうか。


「え? 地元の人と知り合いなの?」


 ひっそりと人助けをしながら暮らす、人外の存在。ファンタジーみたいだ。


「ええ。わたしの正体まで知るのは、極々一部の方のみですが。人間と争っている妖ばかりではないのですよ。わたしは人との共存を望み、人知れずひっそりと……あるいはその地の人々と手を取り合いながら、今日まで生きてきました。その見返りとして、ほんの少しだけ……血を分けていただいております。……たまの楽しみでしたのに、あんなクソ不味い血を飲んでしまうなんて……」


 最後の方は小声で言ったけど、ばっちり聞こえてるからな。こいつ、丁寧に取り繕ってるけど、口が悪そうだ。

 彼女は口直しとばかりに、紅茶を新しく淹れてきて、がぶがぶ飲んでいる。俺はその様子を他人事のように眺めていたが、あることに気付いた。


「そうだ。俺、血を吸われたってことは、吸血鬼になっちゃうわけ!?」


 今は特に違和感はないが、もしかしてとっくに吸血鬼になっているとか。そうなったら、自殺を思い止まっても、元の生活に戻れるんだろうか。


「ああ、それも心配ご無用です。ちょっと血をいただいただけでは、わたしたちの仲間になることはありません。あれには、もっと複雑な手順と儀式が必要ですので。それに、合意もなしにそのようなこと、いたしませんとも」


 まあ、何となく事情はわかった。よくわかんないけど、わかった。そういうことにしよう、うん。


「えっと、じゃあ俺はとりあえず死ぬ気はなくなったんで……。帰ってもいいってこと?」

「それはちょっと、お待ちになって。久々に血を飲めると思ったのに、あんな不味……いえ、あんな血液の状態では、あなたの健康が心配です。健康診断はきちんと受けていますか? 普段はどんなものを食べてらっしゃいましたか?」


 十六夜はテーブルに身を乗り出して、ずずいっと俺に顔を寄せる。おれはたじたじになりながら答えた。


「えー……まあ、確かに最近ろくなもん食ってなかったけど。カップ麺とかコンビニ弁当とか……。睡眠も足りてないだろうし」

「なるほど、それはいけません。わたしが何か精の付くものを作って差し上げましょう」


 料理をする吸血鬼なんて、聞いたこともない。食えるものが出てくるのか。もしかして、レバーとかホルモンとか出てくるんじゃないだろうか。俺、そういうの苦手なんだけど。


「いえ、大丈夫なんで。俺、もう帰ります。ありがとうございました」


 そそくさと席を立ったが、部屋の扉にさっと黒い影が覆い被さった。


「まあ、遠慮なさらないで」


 しゅるりと動いた影に背中を押され、俺はソファに戻されてしまった。


「いいですか、食事は生活の基本です。お腹を膨らませるだけでなく、心も満たされないといけないのです。食事をおろそかにすると、身体も心も弱るんですよ。……とにかく、少し待っていてくださいな」


 そう言って、十六夜はリビングを出て行った。


「……どうしよ」


 逃げるのは無理っぽい。俺は手持無沙汰になりながら、十六夜が戻って来るのを待つしかなかった。

 静かだ。やることがないと、眠くなってしまう。うとうとしかけていると、ドアが開いて十六夜が戻ってきた。なんだかいい匂いがする。


「どうぞ。召し上がれ!」


 目の前にでんと置かれた皿には、黄色い卵に赤いトマトソースがかかったオムライスが載っていた。玉ねぎや人参が入ったコンソメスープも添えられている。

 想像していたより普通のものが出てきたことに拍子抜けした。そしてほかほかと立つ湯気に、俺は思わず、ごくりと喉を鳴らした。


「……いただきます」


 卵とチキンライスとソースを一緒にスプーンですくって、口に運ぶ。そして、俺は目を見開いた。


美味うまっ……!」


 俺は夢中でスプーンを動かした。ふわとろ半熟の卵と、香ばしいチキンライス、それからトマトソースの酸味が混然一体となって、絶妙なハーモニーを生み出している。コンソメスープも、シンプルながら旨味に満ちていて、身体に染みていくようだった。


「すごく美味しかったです。ごちそうさまでした」


 あっという間に食べ終えて、手を合わせた。久々にまともな飯を食った気がする。


「良い食べっぷりでしたね」


 十六夜はふふ、と微笑み、俺の隣に移動してきた。


「では、今度こそ私の番ですね。いただきまーす」


 俺の肩を掴み、再び首筋に顔を寄せる。


「いやちょっ、待って……!」


 止める間もなく、かぷりと噛みつかれる。さっきと同じ、痛みとくすぐったさが襲う。しかし、彼女はすぐに形のいい眉を歪めて、顔を上げた。


「不味……美味しくありませんね……」

「そりゃあそうでしょうよ! こんなに早く効果出ないでしょ! それに、こんなに血を取られたら倒れるよ!」


 俺は彼女から離れて叫んだ。しかし、十六夜は可愛らしく首を傾げる。


「ご心配には及びません。人間の血液は、体重のおよそ十三分の一。体重六〇㎏の方なら、四.六ℓほどでしょうか。大怪我で血が止まらず、長時間に渡って血液が減っていく時は、全体の血液の三分の一以上を失うと死に至ります。短時間に大量の出血を起こした時は、五分の一の失血で命が危うくなります。それぞれ一.五から〇.九ℓほどですね。献血で提供するのはそれ以下、わたしがいただくのはもっと少ない、本当に一口ですから、体調に影響することはないはずです」


 なんでそんなに詳しいんだ。

 ぺらぺらと解説しながら、彼女はゆっくりと俺に近付き、顔を寄せる。


「確かに、美味しそうなにおいはするのに、どうしたことでしょう……。あなたのポテンシャルを確かめずに帰すのは、少々もったいないですね。仕方がないので、美味しい血ができるまで、わたしがここで食事を提供して差し上げます。どうぞ、心ゆくまで召し上がって下さいね?」


 妖艶に微笑む彼女から、俺は目を逸らすことができなかった。

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