夢幻飴

mafork(真安 一)

短編


 僕は、舌で飴玉を転がした。

 嘘臭いほどの甘さと、ほのかなサイダーの刺激、そして桃の香りが広がる。懐かしい味だ。生まれた街に帰ってきたんだと改めて思う。

 駄菓子屋の窓に、中学生になった僕が映っていた。

 うだるような暑さに、蝉の声。開け放たれた扉から、壁高くに据えられた扇風機の風が届き、ラジオの音も聞こえた。中継は高校野球らしかったが、おぼろげに声援が聞こえるばかりで、あいにく内容までは分からない。

 前に来た時は、街を引っ越す前だから、一年と少し前。まだ小学六年生だった。

 店に一歩入って、駄菓子の棚を眺める。ジーンズの右ポケットに手を伸ばし、財布の冷たい感触を確かめた。左ポケットには、飴玉のビニールが捨てられずに残り、カサリと不快な音を立てる。

 店主のおじいさんが、奥からこちらに気づいた。


「いらっしゃい。また夢幻飴を買いに来たのかい」


 僕は肯いて、カウンターに近寄る。低い棚にプラスチックケースが並び、飴玉がぎっしり詰まっていた。

 赤、黄色、青、虹色――色とりどりの飴玉が、記憶を思い出させる。



     ◆



 最初に夢幻飴を買いに来たのは、小学六年生の五月頃。

 僕が、またしても家から閉め出された時のことだ。

 別に誰が悪いというわけではなくて、むしろ僕が一番悪い。家鍵を持って学校までいかなければいけないところ、忘れてしまったのだ。

 家は、父さんと僕の二人暮らし。昼間、父さんが会社にいっていると、開けてくれる人はいない。

 そんな時、僕はランドセルを中庭に放り出す。代わりに誰も『ただいま』をいってくれない寂しさを抱えて、学校への道を引き返した。

 まだ携帯を持っていなかったから、友達に会えず一人で過ごすことも多くなる。暗くなるまで公園にいると、時間が無限になったような気がした。

 公園の時計を見上げても、針がまったく進んでいないように感じる。

 やがて僕は耐えきれなくなり、公園も出て住宅街へと迷い込んだ。曲がったことのない角を曲がり、下りたことのない階段を下る。

 『えいえん堂』に気づいたのは、そんな時だった。

 入り口にはアイスケースと、駄菓子が吊されたポール。そんな名の駄菓子屋があるなんて、初めて知った。

 中に入ると、ノイズ混じりのラジオが鳴っている。まだ春なのに、扇風機は出しっぱなしになっていた。


「初めてのお客様ですか」


 奥からおじいさんが顔を出した。

 ナマズのような白ヒゲを横に伸ばしている。まるで昔話にでてくる仙人だ。


「……待ちぼうけをくらっているようですね」


 僕はポケットをまさぐりながら、肯いた。

 ちゃりん、ちゃりん、と硬貨の冷たい音色。おじいさんが台を示すので、僕は持っていた小銭を散らす。

 おじいさんは、枝のように節くれだった手で、五円玉を一枚つまんだ。


「せっかくのご縁に」


 かか、と笑った声が駄菓子屋に響く。


「丁度必要な時に、五円が入っている。これこそご縁でしょう。こちらをどうぞ? 三つだけね」


 おじいさんが、低い棚に置かれた、透明のプラスチックケースを開く。中身は飴玉で、蓋のラベルには『夢幻飴』と書かれていた。

 色とりどりの飴玉が、入り口からの明かりを照り返す。


「……なんて読むの?」

「むげんあめ」


 おじいさんは、指で漢字を示す。


「無限の時間を、慰めてくれる飴ですよ」


 ラジオがノイズを吐く。僕の名前が呼ばれた気がした。


「無限には、実質の無限と、観念の無限があります。宇宙のように永遠に続き、終わりがないこともあれば、こんな街のどこかで時間を無限と思うこともある」


 最近夢を見る。父が、帰ってこなくなる夢だ。ある日お母さんが病院へいったまま帰ってこなかったように、お父さんもそうなるような気がしていた。

 親がいつ帰ってくるかわからないまま外で耐える時間は、恐ろしいものだった。


「寂しさに負けそうになったら、これを舐めてみなさい。無限を、夢幻で慰めましょう」


 ラジオが叫んだ。


 ――岩城くん?


 はっと目を開ける。

 僕は公園のベンチに座り、担任の先生が僕を見付けていた。


「どうしたの?」


 今思うと、学校で親の帰りを待つという方法もあったのかもしれない。

 でも、みんなが僕を見ているような気がして、放課後に残る気はしなかった。


「いえ……ちょっと友だちを待っていたんです」


 僕は、逃げるようにベンチを立った。別の、少しだけ家に近い公園へ向かう。待っているのは、また無限大に感じるような待ち時間。

 僕は夢幻飴を口に含んだ。

 甘みが口に広がって、意識がふっと遠ざかる。

 公園にあった遊具はぐにゃりと歪んで形を変え、ジャングルジムは本物のジャングルのように木が生い茂った。青色の回転遊具は、理科の教科書で見た地球そっくりの星になりぐるぐると回る。乗り手のいないシーソーは金具から解き放たれ、空中でうねり形を変えると、二頭の犬になった。

 犬は宙を駆け、こちらやってくる。そして僕を背中に乗せると、空に連れ去り、元回転遊具の地球に飛び込んだ。

 空を飛び、海を渡る。ちっぽけな公園にいたのが信じられない。無限に広がる海と雲の世界を、僕は飛び回っていた。下に見える地面が、ものすごい速さで後ろに流れていく。

 ビルも電車も車も人も、一瞬で過ぎってわからない。でも僕はある街の地面に、父さんがいることに気づいた。

 かり、と口内に違和感。

 飴の中心部は、少し固くなっているらしい。

 もう少し舐めていたい。ずっと遊んでいたい。でも、僕はそろそろ帰らないといけないのだった。

 飴を噛み潰すと、大きな犬も、星も空も、ふっと消えた。

 僕は薄暗くなった公園のベンチに一人で座っていた。スピーカーから、六時のチャイムが間延びして聞こえてくる。

 家路につくと、丁度、父さんが帰ってくるところだった。

 夢幻飴は本物だ、と僕は思った。そしてポケットに残る二つの飴を、ぎゅっと握りしめたんだ。



     ◆



 次に悩んだのは、どこで残りを使うべきか。

 あと二つ。

 校長先生の話が長すぎたり、きらいな授業だったり、ちょっとした候補は思いつく。でも学校で使うべきでないのは、さすがにわかった。なにせ、一回使うと一、二時間はあっという間に過ぎてしまうようだから。

 そもそも、軽々しく使うべきではない。不思議な、得体のしれない力だから。

 結局、次に使ったのは――一週間ほど後だと思う。

 僕は数少ない友だちと大げんかをしてしまった。

 三か月前から、家に母さんがいない。そのことを、死別ではなくて離婚だといわれ、からかわれた。

 庇ってくれた子もいたけれど、そんな形で触れてもらいたくない。

 僕は、いつもと違う、うんと離れた公園に向かう。夢幻飴を口に含んだ。

 飴は嘘くさいほど甘くて、かすかに桃の香りがする。

 今度は、僕は原っぱに立っていた。だだっ広い平原に、青々とした草がそよいでいる。辺りには何もなく、マンションも、車も、電柱も、影さえ見えなかった。

 わぁ、と声があがる。

 僕と同じくらいの子供達が、けらけら笑って駆けてきた。


「あらら、今日はずいぶん元気がないのね」


 話したのは、短い髪の女の子だ。

 後ろから二人の男の子も追いついてくる。彼らは、なぜか白い犬のお面を被っていた。


「なにも思い描けないほど疲れているのね。可哀相に、想像は無限のはずなのに」


 僕はその子達と、いっぱい走って遊んだ。体を動かしていると、少し気持ちが楽になる。


「……また会いたいよ。飴をなめたら、また会えるの?」


 僕は三人に問い掛ける。犬のお面を被った二人は、この間、僕を乗せて空をかけた白犬にどこか似ていた。

 口に含んだ飴が、硬くなる。真ん中まで舐めきったのだ。


「もうやめておいた方がいいわ。住む世界が違うもの」


 ラジオのノイズが聞こえた。

 そんなもの、どこにもないはずなのに。


「迎えがきたようよ? さぁ、噛んで」


 ――裕樹!


 公園のベンチで、僕は肩を掴まれ跳ね起きる。目の前に父さんの顔があって、驚いた。

 口に、ほんの少しだけ桃の香りが残る。


「――父さん?」

「こんな時間までどうしたんだ!?」


 辺りはもう暗い。僕は捜索願が出される一歩手前で、父さんが公園を見て回っていたらしい。

 本当に心配げな表情だ。

 僕は胸が痛くなる。

 二人で夜道を帰った。


「……父さんな、少し時間に余裕ができる部署に移ろうと思うんだ」

「え……」

「少しでも早く帰ってきた方がいいだろう?」


 今の東京から、親戚の多い静岡に引っ越す相談はあった。でも父さんが、仕事を変えてまで僕のことを考えてくれているとは、思わなかった。


「……母さんほど、うまくはできないかもしれないけど」


 僕と父さんは、その日、ゆっくりと家まで歩いて帰った。



     ◆



 あれから一年後、僕と父さんは東京を離れ、静岡に引っ越した。中学生になった今、僕は新しい街で父さんとばあちゃん達と一緒に暮らしている。

 夏休み、僕はふらりと一人になる。

 持ち出したリュックの中には、あの時の夢幻飴が一つだけ残っていた。どこかで放り込んで、そのまま忘れていたのだろう。

 懐かしさを覚えて、最後の一つをなめた。

 そうして気づくと、あの駄菓子屋の前に立っていたのだ。

 店主のおじいさんは言う。ラジオのノイズに負けず、この人の声はよく通った。


「――もう、夢幻飴は必要ないようですね」

「あなたは、なんなの?」

「大昔は、子供を護る神様だったのですよ。今では子供も少なく、社もなくなってしまいましたが」


 店主は、ナマズのようなヒゲを揺らした。


「おいきなさい。無限は、あなたのここにも宿っているのです」


 店主の節くれだった手が、僕の胸をさした。

 そしてラジオがノイズを吐き、駄菓子屋『えいえん堂』は永遠に目の前から消える。

 木陰のベンチに座る僕を、海風がなでていった。

 携帯電話に、メッセージが入っている。父さんからだ。


 ――今日はいつ帰る?


 『すぐだよ』と返信し、僕は家路についた。

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