僕らの影、輝いて
よるキ
第一部 第一巻 花は散り
第1話
まるで夢の中にいるように、少年は果てしない虚空に漂っていた。
周囲は闇に包まれていたが、その奥で微かな光がきらめいていた。まるで砕けた金粉のように、宇宙の深淵に散りばめられている。
少年は頭を仰ぎ、夜空のような光の海を見上げた。
唇がわずかに開き、彼は音もないこの世界に何かを囁いているようだった。
突然、漆黒の糸のような影が、彼の四肢からゆっくりと這い出した。
それは氷のように冷たい触手となり、彼の身体に巻きつき、締め上げ——そして、深く美しいその空間に彼を呑み込んでいく......
夜空の中へ。
【一時間前】
朝の薄霧が、まるでヴェールのように古い遺跡を覆っていた。
観光シーズンの外れか、それとも始発電車がまだ到着していないからか。周囲は驚くほど静かで、チケット売り場でこっそりあくびをしている職員以外、人の姿はほとんど見えなかった。
山の高さはさほどでもないが、秋の朝の冷気は骨に染みるほどだった。
少年――
彼の視線の先にあったのは、雲海に浮かぶように佇む遺跡だった。
霧は山の尾根に沿ってゆるやかに流れ、まるで揺れる幕のように山裾の木々や小道を覆い隠している。
その中で、城跡だけがぽつりと高所に姿を現していた。まるで時代そのものから切り離されたように。
灰色の石垣、風化した壁面――霧の中で静かに眠っているその姿は、今も夢の中で息づいているかのようだった。
「これが……“雲の中の城”か……」
勇気は首をすくめ、肩を擦りながら吐息をこぼした。感嘆と文句が混ざったような声で。
「綺麗だよなぁ…けどちょっと寒っ。マフラー持ってくればよかったなぁ……」
勇気は欄干に身を預け、崖の下にそびえる岩壁を見下ろして、ぼそりとつぶやいた。
「……うっかり落ちたら、死ぬよなぁ……」
【Tura sel'ka…
Na'vel, Tura veli.
Tira veli… tira veli…】
「えっ?」
その声は、まるで裂け目から吹き込む風のように、ひそやかに勇気の耳へと入り込んだ。
「今、どこが……?」
彼は周囲を見回した。
他の観光客は写真を撮ったり、感嘆したりしているだけで、異変に気づいた様子はない。
「気のせい……かな?」
彼は耳を擦った。妙な不安が胸をよぎる。
【Tura sel'ka…
Na'vel, Tura veli.
Tira veli… tira veli…】
「ち、違う……幻聴じゃない!確かに聞こえる!」
喉が詰まり、心臓がドクドクと音を立て、体中に鳥肌が立つ。
突然、強烈な眩暈が彼を襲った。
足元が崩れ、重心を失った体は――
風景ごと砕け、反転し、勇気は見知らぬ世界へと落ちていった。
【どこかの遺跡】
青年――
「うん、異常反応なし。データはアップロード済み。」
彼は袖口の通信機に向かって静かに報告する。
「了解。では、戻ってくれ。道中気をつけて」
ちょうど振り返ろうとした、そのときだった。
背後で鈍い音が響いた。
「……!? 今の音……祭壇の方か?」
蓮は眉をひそめ、古びた石の小道を素早く駆け出した。
茂みをかき分けると、そこには――
遺跡の中央で倒れている少年の姿があった。
「こんなところに……人間?」
駆け寄り、震える指先で彼の鼻元に手を当てる。
「よかった、生きてる。でも、なぜここに……」
ギギギギ……
耳障りな音が四方から響いた。
蓮は咄嗟に顔を上げた。
祭壇を囲む石柱が唸り始め、その表面がひび割れていく。
亀裂はまるで蛇のように這い、灰色の粉がパラパラと落ちる。
次の瞬間――石柱が歪み、異様な姿のガーゴイルへと変貌を遂げた。
その目には、不気味な紅い光が宿っていた。
「ありえない……さっきまで、何の反応もなかったはずなのに……!」
鋭い咆哮が空気を震わせた。
蓮は腰の短剣を瞬時に握りしめ、背中に冷たい汗が伝う。
石の怪物たちは、重々しい足取りで地面を踏みしめるたび、ドンッ、ドンッと轟音を立て、足元の地面がひび割れていく。
その眼は、鬼火のように紅く光っていた。
「……こりゃ、まずいな」
蓮は手首を捻り、霧の中で刀身が鋭く光る。
視線を倒れた少年に向け、眉をひそめる。
「まずは、この子を安全なところへ……」
彼は身を屈め、勇気の襟を掴むと、倒れかけた石壁の裏へと彼を引きずっていった。
そして次の瞬間、自らは風のように飛び出し、石像鬼たちの前へ立ちはだかった。
「うおおおおっ!!」
石の怪物たちが咆哮を上げ、地面を砕きながら襲いかかる。
蓮は短剣を反転させ、一体の拳を「ガキィン!」と受け止めた。
「硬すぎる!」
身を翻したその瞬間、もう一体の爪が肩先をかすめて過ぎる。
チャンスだ。
蓮は怪物の腕へ斬りかかる――
火花が散り、刃が欠けた。
「この硬さじゃ……ダメだ。能力を使うしかないか」
地面を蹴って後退しながら、彼は呼吸を整える。
短剣に風のような気配が宿り、刀身が光を放った。
「対等・
影が短剣を包み込み、その刃は石像鬼の首元を狙って振り下ろされる——
バキィッ!!
石の首がスパッと断たれ、怪物は叫びを上げながら崩れ落ちた。
「よし、あと一体」
しかしそのとき、勇気が目を覚ました。
「……ここは……?」
目に映ったのは、剣と怪物の交差する激闘の光景。
見知らぬ青年が、怪物たちと戦っていた。
「な、なんだあれ……」
そして、その視線の隅に映ったもの。
瓦礫の中で、手のひらほどの小さな影魔が、音もなく這い、蓮の背後へと忍び寄っていたのだ。
「危ないっ!!」
反射的に、勇気は走り出した。
蓮の視界の隅でそれを捉え、思わず舌打ちした。
「あいつ、何してやがる!馬鹿か……!」
勇気は地面を力いっぱい蹴った。
だが、その足元で――影が液体のようにうねり、彼の足首に絡みついた。
シュッ――!
何かに背中を“押された”ように、彼の速度が一気に跳ね上がる。
あっという間に、小さな影魔の目前に飛び込んでいた。
「どけえぇっ!!」
勇気は歯を食いしばり、体ごとぶつかろうとする。
ドンッ!
ぶつかった衝撃で内臓が軋み、目の前が揺れる――が、足元の影がまるで鎖のように彼の体を支えていた。
「……痛く、ない……?」
勇気は驚愕しながらも、考える暇はなかった。
こいつ……影魔と正面から衝突した?それでいて無傷……まさか……?
蓮は驚きを飲み込んだまま、もう一体の石像鬼を斬り伏せていた。
ふたりは背中を合わせるように立ち、荒い呼吸を整える。
「おい、君」
蓮は低く静かに言った。
「
「はい!わかりました!」
「よし、行くぞ!」
蓮の刀が閃き、すでに数メートル先へと飛び出していた。
「はい!…ちょっ、ちょっと待って!影魔って何!?それに僕、武器なんか……まさか素手でやれって!?」
「さっきうまくやっただろ!もう一回やれ!」
「そ、そんな無茶な……!」
言葉が終わらぬうちに、小さな影魔が跳ね上がってきた。
「うわああああっ!!」
勇気は本能的に腕をかざす。
次の瞬間――
ズバッ!
彼の影が手から黒い稲妻のように走り、鋭い刃へと変化した。
影刃はそのまま、小影魔の首を斬り裂いた。
パリンッ!
影魔は叫びとともに黒い灰へと崩れた。
「……ふん、やはりか」
戦闘の最中でも、蓮は勇気の動きをしっかりと見ていた。
「なら、こっちもさっさと片付ける」
同時に――
蓮の短剣が、最後の石像鬼の首にある宝石を貫いた。
「バキィン!」という音とともに、怪物は崩れ、地面に大穴を開けて倒れ込んだ。
蓮は刀を収め、まだ整いきらない息を吐きながら、ゆっくりと勇気の方へと視線を向けた。
「君……さっき、何をした?」
「わ、わかりません!何もしてないのに、勝手に……消えたような……ですよね?」
混乱と恐怖に満ちた表情。彼の目は、完全に迷子になっていた。
……能力に気づいてなかった…か?
蓮の中に、ひとつの仮説が生まれた。
彼は何の前触れもなく、勇気の目の前に立ち、すっとその手を掴んだ。
「えっ?」
勇気はびっくりして手を引こうとしたが、簡単に抑え込まれる。
蓮は反応に構わず、そのまま彼の袖をまくり上げた。
「ええっ!?な、何やってるんですかっ!」
勇気が慌てて抗議するが――
蓮の目は、彼の腕に注がれていた。
――やはり。
影魔に正面からぶつかったというのに、かすり傷一つない。
おかしい。
だが、それを見て、蓮の中の確信は強くなった。
「君……自分が何をしたのか、まったく分かってないですね」
冷たい声が、静寂を切り裂いた。
勇気は言葉を飲み込み、うつむいて、ぽつりと呟いた。
「……はい」
知らないからこそ、恐れている。
けれど、彼はその無知を受け入れようとしていた。
蓮の視線は揺るがなかった。
「この力、制御できなければ……誰かを傷つけることになる」
その言葉は、まるで刃のように真っ直ぐだった。
そして次の瞬間――
シュッ。
蓮は短剣を抜き、冷たい刃先を勇気に向けた。
「ならば……ここで君を排除するしかないかも」
空気が張り詰める。
勇気は反射的に一歩下がり、胸の前に手をかざす。
震えた声が漏れる。
「……ぼ、僕は……誰も傷つけたりしない……!」
そう言ったあと、彼は深く息を吸い込んだ。
覚悟を固めるように、絞り出すように叫ぶ。
「ぼ、僕、制御の仕方……学びます!ここで殺さないで!」
蓮は静かに目を細めた。
「学ぶ?どうやって?君はさっき、自分が何をしたかすらわかってなかっただろう?」
勇気は言い返さなかった。
ただ、唇をかみしめ、服の裾をぎゅっと掴んだ。
そして、彼は頭を深く下げた。
「教えてください…この力を、どう使えばいいのか……お願いします!」
その声はか細かったが、確かな誠意がこもっていた。
蓮はしばらく無言で彼を見つめ――
そして、静かに短剣を収めた。
「自分で言ったんだ、オレは何も強制していない。後悔するなよ」
「……え?」
勇気はぽかんと顔を上げた。
一拍遅れて、ようやく理解し、困惑したように尋ねる。
「さ、さっきのって……演技だったんですか?」
蓮は肩をすくめた。
「そうした方が、素直になると思ってね」
「……ずるいですよ、そういうの」
「断るってのも、選択肢だったけど?」
そう言いながら、蓮は刀の柄に軽く手を添える。
「や、やります!ちゃんと学びますから!」
勇気は大急ぎで手を振って降参のポーズを取った。
「じゃあ、行くぞ」
蓮は背を向け、歩き始める。
勇気はきょとんとし、慌ててその背を追いかけた。
「えっ、どこに!?」
蓮は振り返らず、淡々と答えた。
「桃子市――啓示者の支部のひとつだ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます