「その日世界は5㎝傾いた」

はな

「その日世界は5㎝傾いた」

「その日世界は5㎝傾いた」


”ズレ”に気がついたのは朝だった。


昔から目覚ましをかけても、設定した時間の5分前に必ず目が覚める。

子供の頃からずっとそういう体質だった、はずなのに。

昨日目を覚ますと目覚ましが鳴る直前、5秒前だった。


設定した時間よりも早く目が覚めたのだから、何の問題もないのだけれど、何となくスッキリしない起床となった。


朝のルーティンでも、歯磨き粉を歯ブラシから落としてしまい掃除したり、いつもの豆乳ラテを入れようとしてコーヒーが切れていることに気がつき、

豆乳ココアを飲むことになったり。


何かが噛み合わない。


最終的に家を出る時間がいつもより5分、遅くなってしまった。


鍵を閉めていると隣から若いカップルが顔を出す。

ーーー気まずい。

去年越してきた隣の住人は日頃から生活音が煩く、一度管理会社に苦情を入れたことがある。


いつもの時間なら顔を合わせることなく出勤できていたのに、5分のズレがこの気まずい時間につながってしまった。


礼儀として軽く会釈をし、


「おはようございます。」


と声をかけてみたが、軽く一瞥されただけで挨拶が返ってくることは無かった。


1本遅い電車、10分遅い到着、問題が起きるほどの誤差ではないけれど、朝に感じた居心地の悪さがずっと続いていた。


席についてパソコンを開き、一昨日提出した資料の改訂版を入力していく。

メモを取ろうとしてペン立てに手を伸ばして違和感を感じる。


遠い。


いつもの感覚で腕を伸ばした先にペンが無い。

椅子から腰を浮かせてペンを取る。


”たまたま”なのだろう、と納得しようと試みるも、机の上のボールペンが左側に転がっていくのをみて心が騒つく。


ーーー傾いている?


そういえば、今日は見え方がおかしい。

額縁が曲がっているように世界が見える。


出勤してからずっと目の前に座る同僚がほんの少しだけ首を傾けているように見える。

支店長の後ろに掛かっている社訓も左側に傾いている。

いつもなら少しの傾きでもすぐに気がついて直す支店長は全く気がついていないようだ。


疲れているのかも知れない。

眉間を軽くマッサージしながら下を向くと、田中先輩のヒールが左だけほんの少し低くなっている。

本人は歩きづらそうでもなく、涼し顔で歩いている。


おかしい。


窓の外を見ると、電線も隣のビルの窓も、さまざまなものが傾いて見えた。

世界は変わってしまった。


ーーー



日本から遠く離れた常夏の島で大きなバオバブの木が切り倒された。

水平に切り倒されたはずの切り株は、右だけ5㎝高く切られていた。


陽気な作業員たちは、”ズレ”のことなど気にしていない。

彼らは6時間早く朝を迎える日本が少しだけズレてしまったことにも気がついていない。


私たちが暮らす世界は、いつもどこかで何かが少しずつズレている。

それに気がつくのは動物や木や、鳥たちだけれど、遠く離れた日本の誰かが、ふと感じ取ってしまった。


そんなお話。

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「その日世界は5㎝傾いた」 はな @hana0703_hachimitsu

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