可愛さを放棄したら猫は生きていけない
スドウ ナア
前編(1/3)
ゴルシアは丸々太ったオスのアメリカンショートヘアで、この団地に君臨して3年になる。猫同士の喧嘩に負けたことはない。柴犬と互角の戦いをしたことさえある。
真夏の太陽に追い立てられるようにして、軒下に猫が集まっていた。ゴルシアは取り巻きの猫たちに囲まれながら、だらしなく腹を出していた。
「可愛さを放棄したら猫は生きていけない」ゴルシアは憂鬱そうに言った。
ナンバー2のシャム猫リフルが、見ていられないという様子で顔をそむけた。
ゴルシアは飼い主によって、ウサギ耳のついたピンクの被り物をかぶらされていた。真夏の被り物は、屈強なゴルシアにもこたえた。
「体にさわります。脱いだらどうですか?」1匹の茶トラが言った。
「脱いだら着れない」ゴルシアは言った。
沈黙が落ちた。
「俺たちは本来、自由だ」ゴルシアは目を閉じ、腹の上にのしかかる夏の熱気を感じながら言った。
「塀を越え、屋根を渡り、夜の街を支配する。誇り高い生き物だ。ネコ科の同胞を見てみろ。トラがいる、ヒョウがいる、ライオンがいる」
ゴルシアはそこで一呼吸置き、太いしっぽで憂鬱そうに地面を叩いた。ゴルシアは続ける。「しかし、現実の問題として、可愛くなければ皿に餌はない。可愛くなければひもじい夜を過ごす」
若い三毛が小声でつぶやいた。「でも、ゴルシアさんは強い。犬にだって負けない」
「犬相手の強さに何の意味がある」ゴルシアの声は低かった。
「これを見ろ」ゴルシア右手をあげて肉球から爪を出した。「分かるだろう? 昨日の夜、切ってもらった。人間相手に爪も牙も通用しない。可愛さだけが武器になる」
蝉の鳴き声が団地の壁に反響して、夏の暑さと一緒にまとわりついた。猫たちは黙り込んでいた。
「暑い……」ゴルシアが言った
「やはり脱いだ方が……」茶トラが言った。
ゴルシアはイライラとしっぽで強く地面を打った。「脱いだら着れない。同じことを2度言わせるな。脱いだら皿に餌はないんだ」
可愛くなければ生きられない。その重圧が、巨大な木星のように猫たちにのしかかっていた。
「俺はいま可愛い」ゴルシアは言った。リフルがうなずいた。
「なぜ可愛いか分かるか?」ゴルシアがリフルに問う。
「まず、そのウサギ耳のピンクの被り物。そして、お腹を見せて横になられている」
「そう。その通り」ゴルシアは喉を鳴らした。
「実際は、被り物は無理やり着せられた、腹は暑いから出している、それだけだ。だが、俺はいま可愛い。人間は俺たちの降伏を愛でる」
「降伏?」リフルが怪訝な顔をした。
「腹を見せる、馬鹿げた被り物を被る、ウサギ耳だぞ? この耳のせいで何も聞こえやしない。他にもある。子猫のように小さく甘えた声を出す、ゴロゴロ転がってみせる、足にスリスリする。そういったことだ」
「足にスリスリするのは降伏じゃありません。単なる匂い付け、マーキングです」リフルが反論した。
「俺たちの習性は、勝手に解釈される」ゴルシアは短く言った。
「匂い付けのマーキングが、暑さで腹を出すことが、人間にとっての可愛さになる。俺たちにとっての意味は問題じゃない。それが可愛く見えるなら、餌に繋がるなら、黙ってやるだけだ。俺は被り物を脱がない、腹も見せる、足にスリスリする」
人間たちはなぜ可愛さに惹かれるのか。それは、猫たちにとって永遠の謎だった。しかし、確かなこともある。可愛さがなければ皿は空になるということ。腹を見せたり、足にスリスリすれば、皿に餌が盛られるということ。
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