月影のカフェオレ

sui

月影のカフェオレ

ある街の片隅に、昼は決して開かない小さな喫茶店がありました。

その店は「月影」と呼ばれ、日没と同時にひっそりと灯りをともすのです。


扉を開けると、真鍮のランプが柔らかく揺れ、窓の外には夜空が湖のように広がっていました。

そこでは、ただ一つの飲み物しか出されません。――カフェオレです。


けれど、そのカフェオレは普通のものとは違いました。

月の光を溶かし込んだように淡く輝き、カップを覗き込むと、そこには飲む人の「忘れてしまった夢」が浮かび上がるのです。


ある夜、若い画家が訪れました。

彼は絵を描く心を失い、色彩のない世界に閉じ込められていました。

マスターが静かにカフェオレを差し出すと、乳白色の液面に淡い灯りが揺れ、彼の子どもの頃の夢――「星空を描きたい」という想いが現れました。


一口飲むと、忘れていた温もりが胸に広がり、瞳の奥に再び色が宿ります。

画家は涙をこぼしながら笑い、夜が明けるころ、鮮やかな星空をキャンバスに描き始めるのでした。


やがて朝が来ると、喫茶店は霧のように消えてしまいます。

けれど「月影のカフェオレ」を一度でも口にした者は、二度と夢を手放すことはないといわれていました。

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月影のカフェオレ sui @uni003

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