あとがき
本書を閉じるあなたへ。少し長めのあとがきを残します。
この物語は、「誰が」ではなく「どう置くか」で立ち上がる恐怖を描く試みでした。怪異を人格や由来で説明せず、面と角、手順と向きに置き換える。つまり、刃物や絶叫ではなく、紙の乾いた音、灯りの高さ、録音の位相、鏡の反転といった“配置の言語”だけで、どこまで読者の呼吸を変えられるか──それを確かめる長い実験です。
核になったのは、ずっと繰り返してきた一行です。
「いち、に、さん。そこで、止まる。」
四を言わないことを、単なる禁忌ではなく礼儀として運用したかった。ホラーはしばしば踏み越えによって昂ぶりますが、今回は踏み越えないことで強度をつくる。ページを閉じる手前で“止み”を残し、読者の生活空間へ静かに持ち帰ってもらう設計です。
登場人物について。羽佐間は“挟間”に立つ者として、教室・廊下・録音の波形といった境界の面を行き来します。水城は水(流動)と城(固定)の名のとおり、面と角の仲介役。御子柴は“可燃の媒介”として、数え役の座を先にあたためる存在。最後に浮かび上がるしずのは、個人名ではなく役名です。「四で止める者」──その座り方の総称。差出人の「し」、件名の「し」、数の最後尾の「し」。同じ記号が場面ごとに“主語・差出人・拍”へと役割を横滑りするよう、文の向きを何度も反転させました。
章構成も、感覚のスライドに合わせています。
視覚(紙/窓)→灯りの高さで視線の位置を動かす→鏡の反転=振り返りで掟を可視化→透明フィルムと皮膚で触覚化→録音・逆再生で可聴化→最後に名の配置だけが残る。恐怖の主体が「もの」から「面」へ、「面」から「手順」へ、「手順」から「名」へ移っていく経路を、できる限り滑らかに敷きました。
表現の方針として、残酷描写・性描写・直接的暴力は避けています。代わりに置いたのは、角が板をつつく小さな音、四時四十四分の留守電の無音の帯、背中に立つ薄い冷え。派手な出来事を遠ざけることで、読者の側にある“座り”を敏感にする──それが今回の手触りでした。
技術的な細部について少し。録音の章では、四隅のマイクを異位相で組み合わせ、最後尾の**「し」だけがどうしても消えない、という現象に物語上の意味を与えています。鏡は反転=振り返りとして掟を発動させるトリガー。灯りは視線の高さを呼ぶ呼び鈴**。透明フィルムは、面を身体へ移すための薄い足場。どれも身近で再現可能な道具で構成しました。怪談が「できてしまう」感触を、読者の部屋にも連れて行きたかったのです。
個人的な手触りの話を少しだけ。長く机に向かっていると、文章はすぐ「説明」をほしがります。けれど今回は説明を剝がし、順番だけ残すことを自分に課しました。説明を置くかわりに、手順を置く。怖さの主語を語らず、座らせ方だけを正確に描く。結果、物語の主語は最後に読者の側へ滑っていくはずです。あなたがページの前で三で止まってくれたこと──それ自体が、この本の最終行為でした。
謝辞を。まず、この奇妙な実験に最後まで付き合い、四を言わずに読了してくださったあなたへ。各章で“止み”の椅子に静かに座ってくれたことに、深く感謝します。次に、物語の中で根気よく手順を運び、反復に負けず向きを確かめ続けた羽佐間と水城へ。彼らの冷静さが、私の衝動を幾度も救いました。そして、姿を見せないまま場を整えた御子柴へ。あなたのため息の癖は、きっとどこかの教室にも、まだ薄く座っている。
この本を閉じたあと、もし部屋の四隅が少しだけ広く見えたら、うまくいった証拠です。四は、来ないでいる。来ないでいるものと、どう一緒に暮らすか。その練習として、この一冊が静かな役に立てば嬉しい。
ページの四隅に、目に見えない小さな椅子がひとつずつ残ることを祈りつつ。
読んでくれて、ありがとうございました。
しずのさん 灯ル @Kairu-Tomoru
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