二人の位置
放課後、私はいつも通り課題を終わらせようと教室に残っていた。キリがいいところまで終わらせて顔を上げると、外はもうすっかり暗くなっている。開きっぱなしになっている窓を閉めようと近寄るとうっすらと音が聞こえてきて、手だけを窓から出すようにして確かめる。やはり雨が降っているようだった。鞄の中に入れてきた折り畳み傘を差して帰ればいいや、と踵を返したその時、かたんと音がした。
「あ、森永。今帰り?」
教室の入り口すぐに立っていたのは、バスケ部の練習に参加していたはずの吉田だ。なんでここに、とか他の皆はどうしたのか、とか色々疑問が湧いてきて上手く話せない私をよそに、吉田は至って普通に話し続ける。
「俺も今帰るんだけどさ、雨降ってきたじゃん?傘はないんだけど、もしかしたらタオルとか上着とか教室に置いてたかも、と思って」
そう言った吉田の視線を追うと先刻の私と同じように窓の外を眺めているようだった。
「そうなんだ。…吉田、良ければ私の傘に入っていく?」
私が冷静に、いつも通りのトーンで言えたのは”そうなんだ。”まで。その後は、どうしても不安で、いや緊張して震えてしまった気がする。純粋なクラスメイトとしての厚意、じゃないわけではないけれど、私の場合はそれに下心が乗っているから余計に緊張するのだろう。
「…いいの?森永がいいなら、途中まで入れてもらえると助かる」
ふわりと笑う吉田に、私の心臓が少し跳ねた。
「うん」
私も、吉田を真似て少し笑ってみる。上手く出来ているだろうか。そんな私を見た吉田はなぜか目を逸らして口を開いた。
「あー、っと俺荷物体育館に置いてきちゃって。取ってくるから森永には先に下駄箱行ってもらった方がいいかも」
「そっか、じゃあ下駄箱で待ってるね」
そこで吉田とは別れ、荷物を持って階段を下りる。何だかいつもより指先が冷える気がして両手をこすり合わせた。
「お待たせ!」
そう言って駆けてきた吉田と合流して昇降口を出る。日傘としても使っている紺の傘は夜闇に溶けて、まるで世界に二人きりみたい、なんて柄にもなくロマンティックなことを思った。元来口下手な私に人と盛り上がれるような話題提供なんて高度なことは出来ないから、しばらく無言で歩いていく。分かれ道に差し掛かるたびに「どっち?」なんて訊きながら、まだ先ならいいのにと思っている自分が酷く女々しい。そんなことを繰り返していたら、ついに吉田が足を止めた。
「俺、こっちだから」
「…そっか」
明確な終わりを告げられて内心気落ちしながらも私は必死にいつも通りを取り繕う。不思議と吉田もその場に立ったまま歩き出そうとしなかった。
「じゃあ、また明日」
小さく手を振って分かれ道の右側、自分の家がある方角へと向き直る。一歩踏み出したところで、手首に自分のとは違う体温を感じて振り返った。
「森永、」
掴まれた手首に力が籠る。私は動揺で何も言えないまま吉田を見上げた。
「森永、あのさ」
ぐっと伏せていた顔を上げた吉田はどこか苦しそうで。背後の街頭で照らし出された顔色は少し赤く染まっているようにも見えた。
「森永、あのさ、俺、森永が好きだ」
は、と息を呑んだ。吉田が今、好きと言った。好き、と言った。…私を?呆然とする私の顔を吉田が願うように覗き込む。掴まれたままの手首から伝わる体温とその表情が、これは現実なのだという実感を与えてくれる。…なら、私も伝えなくては。
「…私も、吉田が好き」
蚊の鳴くような、小さな声。吉田に聞こえただろうか。そっと窺うと、吉田の顔に更に朱が足されていて自然に笑ってしまった。
「立場違いかな、って思ってて。でも、私、吉田のこと好きだよ」
さっきよりも大きな声に吉田が目を見開いているのが分かる。かと思えば、その大きな瞳を優しく細めて。
「ありがと、森永。俺も、森永のこと好きだよ。俺と、付き合ってください」
そうして伸ばされた吉田の右手に自分の右手を伸ばして、重ねた。
「はい」
どちらともなく微笑み合って、肩を並べて歩き出す。吉田が家まで送る、と申し出てくれたからだ。
「あのさ、森永。さっき、”立場違いかな、って思ってた”って言ったじゃん?」
「うん」
「あれ、俺も」
「…え?」
「俺も、身分違いっていうか立場違いなんじゃって思ってた。でも、今考えたらさ、立場違うのなんて当たり前だし。…これからよろしくね」
語尾がどんどん弱くなっていって吉田は少し恥ずかしそうに目を逸らす。私はそんな吉田の言葉を聞いて、そっか、と思う。雨が弱まった雲間から覗いた月の清かな光が二人をそっと照らしていた。
立場違い 花萼ふみ @humi_kagaku
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