第2話 巨人

「遠くから、よくぞお越し下さりました。大したもてなしも出来ず面目次第もございませんが……」


 そう言いながら平伏する三綴村の名主、家中利兵衛やなかりへえと高次郎の間には茶と漬物と雑炊、そして豆餅が並べられていた。村の窮状を考えるに今見せられる最大限の誠意と言えるだろう。


「これは大層な馳走をかたじけない。これほどの施しを受ける事はそうはない、有り難く頂戴いたす。しかし報酬はまかりませんぞ、よろしいか名主殿」


「……はい、見事成し遂げてくだされば、この通りお支払い致します」


 利兵衛が奥から出してきた箱を開くと、十貫文が収められていた。

 明日をも知れぬ貧しい村にとって、一介の浪人に払うには多過ぎる額である。それ程までに三綴村は追い詰められていた。


「三綴村の覚悟、確かに改めさせて頂いた。して、某は何を斬ればよろしいのかな」


「道中、既にご覧になられたかも知れませぬが。案内致します」


 利兵衛と高次郎が屋敷から出ると、屋敷を取り巻いていた村人達の垣根がざっと割れた。そしてその人垣の割れ目が指し示すように、村より少し離れた所にある山脈のある一角が、その異様さ故に目に入る。


「うむ、黄ばんでいるな」


 季節は夏。周囲の山々に生い茂る緑は瑞々しく、夏空と相まって清々しい。しかしその一角だけが黄色い。早すぎる紅葉と言うなら良いが、明らかにそうではない。

 まるで小便をしこたま掛けられ、腐り淀むように黄ばんでいるのだ。見ているだけで異臭が鼻を突きそうな風合いである。


「我々にとって山の恵みは暮らしに欠かせぬもの。最初こそあの山を避け様子を見ていましたが一向に良くならず、むしろ酷くなるばかりで。男衆が何人か調べに立ち入りましたが皆帰って来ませんでした。ただ一人、父を探しに山に入った子供が言うには、恐ろしい速さの化物が獣を食っていた、と。代官所に訴え出ても昨今の戦乱故に取り合って貰えず、そんな折に高次郎殿のご高名を耳にし、もはやこの方にお縋りするしか無いと……」


 腰を深々と折り曲げ、頭を下げる利兵衛を見て高次郎は少し気前を良くする。腹の中はどうだか知れぬが、芝居でも自分のために人が頭を下げているのを見るのは気分が良い。自分の存在が大きくなっているのを実感できる。この太刀で初めて稼ぎを得た時は、まるで野良犬扱いだった。


「此度の訴え、しかと承った。飛騨の巨狼の群れを尽く斬り伏せ、越後の大熊をも両断した我が大太刀と剣腕の冴え、存分に振るわせて頂く」


 謳いながら、高次郎は背負った太刀の柄に手をやり、鯉口を切る。


「天よ、地よ。大いなる日輪と毘沙門天よ。人に仇なす怪物を絶つ我が一閃、ご照覧あれ!」


 気迫と共に、両腕を肩越しから振い、同時に両足を前後に広げ腰を落とし全身で抜刀。七尺の大太刀による我流の居合い切り。爪先から頚椎に至るまで、あらゆる可動箇所を連動せねば成し得ぬ渾身の一振りは空気を震わせ、その先にいる山の怪異をそのまま切り裂かんばかりの威力であった。

 村人達はその一刀に恐れ慄き腰を抜かし、静まり返った後に歓声を上げた。

 この方ならやってくれる、俺達をお救い下さると手を合わせ拝み出す者までいた。

 

 坊主の繰り言も聞いておくものだなと、高治郎は内心ほくそ笑んだ。

 茶番で名声が広まるなら幾らでもやってやる。

 そうでもせねば、大きくなり続ける俺の身体と太刀に釣り合わぬ。

 天下よ、その混沌に俺の名を轟かせてくれ。

 怪物を恐れる世の民よ、俺を高みへと押し上げてくれ。

 俺が怪物と成る前に。

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