The Dead House ~赤女の逆襲~

心陽

第1章 記憶の器  ~癒しと恐怖が交錯する家~

僕は平凡に暮らす27歳、佐久間 翔太 (さくま しょうた) 独身。

都内に上京して5年、昨年には念願だった一軒家に引っ越した。

少し古びた家だが、静かで落ち着いた空間。

子どもの頃、祖母の家で過ごした夏休みを思い出すような、懐かしい匂いがした。

何不自由のない、穏やかな日々が続くはずだった。

――あの日までは。

引っ越して数日が過ぎたある日の晩、お風呂場で奇妙な鼻歌が聞こえた。

【ふっふっふー】

まるで少女が湯船に浸かりながら歌っているかのような、柔らかく愛らしい声。

僕は一人暮らしだ。彼女もいない。 

居るはずのない“誰か”の声が、時折お風呂場から聞こえてくる。

けれど、不思議と怖くはなかった。

むしろ、どこか癒されるような気さえした。

それは、幼い頃に聞いた子守唄のような響きだった。

ある肌寒い休日の昼下がり。

ベッドで横になっていると、耳元に【ふーっ】と息を吹きかけられ僕は飛び起きた。

 「うわっ!」

声を上げ、叫ぶがそこには誰もいない。

夢でも見ていたのかと落ち着こうとしたその瞬間、再び【ふーっ】と息がかかった。

驚きならかも僕は、思わず声をかけた。

「…お風呂さん?」

僕は、その声の主に勝手に名前を付けていた。

すると、どこからともなく「ふっふっふ」と嬉しそうな返事が返ってきた。

それ以来、お風呂さんは僕の前に訪れるようになった。

暑い日は扇風機のように涼しくしてくれたり、階段を上ったり下りたりして遊んだりしながら少しずつ仲良くなっていった。

お風呂さんの性格はお転婆でいたずら好き。

年齢でいうと中学生ぐらいの女の子だろうか。

僕が疲れて帰宅すると、お風呂さんは決まってお風呂場で“バシャバシャ”と冷たい水を掛けてくる。

「冷てぇ!やったなぁ!」

そんなやり取りも今では、日常の一部になっていた。

 そんなある日の夜――。

やけに静かで寝苦しい熱帯夜。 

喉が渇いてベッドから起き上がると、下の廊下が騒がしい。

階段を下りる途中、“コツン”と何かにぶつかった。

「お風呂さん?」

声を掛けると怯えた声が返ってきた。

【何かがいる】

僕にも初めての事で少し怖くなった。

お風呂さんは僕には見えない。

声で、その“何か”がいる場所へ僕を導いた。

その場所はキッチンだ。

その奥には、使っていない4畳程の物置部屋。

その部屋の前でお風呂さんは声をかけた

【ここから変な声がして暴れてる】

恐る恐る扉を開けたが、何もなかった。

怯えるお風呂さんをなだめながら、僕は笑って言った。

「お風呂さんにも怖いものがあるんだね」

その日は何事もなく朝を迎えた。

それから数日間は何事もなかった。

夕暮れ時――。

僕は仕事から帰り夕食をしていると、物置部屋から声がした。

「おい、お主、ここのあるじか」

聞き慣れない低い、威厳のある声。

僕は戸惑いながら「はい。」と答えた。

すると声の主は言った。

【ここには厄介な奴がいる、気をつけるのだぞ!】

そう言うとすぅーと消えていったその姿は、袴姿の腰に刀を差した武士のような男。

顔は見えなかったが、背筋の伸びた佇まいに、祖父のような安心感を覚えた。

初めて、お風呂さん以外の存在と接触した瞬間だった。

その夜、お風呂に入っているとお風呂さんの声がした。

「ちょっ覗くなよ!」

僕が慌てると。

【あの人いい人守ってくれる】

お風呂さんは、さっき現れた武士のことを言った。

普段はあまり喋らない子だが、武士さんとよく話しているようだった。

お風呂さんにも友達が出来たことは嬉しかったが、武士さんの言っていた

“厄介なモノ”が気がかりだった。

 そしてある夜――。

僕は残業で遅くなり帰宅すると、普段使っていない1階の和室に明かりがついていた。

急いで部屋に入ると、誰もいない・・・。

僕はふとお風呂さんのいたずらだなと思い、

「こら、お風呂さん明かりを付けて遊んじゃダメだろ」というと

【すまない!】

聞き慣れた渋い声が返ってきた。

武士さんだ。

「何かあったのか?」

そう尋ねると、ため息交じりに言った。

【主よ、よく聞いてくれ! ここ数日、お前さんのいない間、ワシはこの家を天狗殿と共

見張っていた。 どうもおかしな奴が出入りしている】

天狗殿――その名を聞いた瞬間、僕の背筋が凍った。

風の音に混じって、鼻を鳴らすような音がしていたのを思い出した。

見えいない存在の言葉を信じてもいいのか・・・。

――その時、ふとお風呂さんの言葉がよぎった。

【あの人、いい人】

僕はその言葉を信じてみることにした。

そしてその夜――。

物置部屋の扉の隙間から、赤いワンピースの裾がひらりと揺れた。

誰もいないはずの部屋から、微かに女の笑い声が響いた。

【“ふふ……ふふふ……”】

それは、お風呂さんの声ではなかった。

部屋の温度が急激に下がり、時計の針が止まった。

お風呂さんは怯えて姿を見せなくなった。

──赤女が、目を覚ましたのだ。

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