第32話

 以前来たときは、さびれた飲み屋だった店には、女装バー『ロンロン』と派手に書かれた看板が掲げられていた。ここ数年でオーナーが変わったのだろう。前の店の面影もなく、魔力石を使った明るい電灯で飾られた看板には、バニーガール姿の筋肉隆々の男がデフォルメされて描かれていた。そのクレイジーさに、フォルトンは笑いながら店に入った。


 店の中は、少しオレンジがかった暗い間接照明で照らされていた。狭い店の端には四人掛けのテーブルが三つと、八人が座れるバーカウンターがあるだけだった。外観のような派手さはインテリアにはないが、その代わり店員が派手だった。上流階級ではタブーとされている過度な露出のあるドレスを着ている人もいれば、長いスリットの入ったタイトスカートからガーターベルトで吊ったタイツを惜しげもなく見せている人もいる。しかし、ほぼ全員がガタイの良い男性で、カツラを被っているのか、眉の色とあっていない見事なブロンドカールの髪や人工的なキューティクルが光る艶やかなロングヘアから、派手な化粧をした顔が覗いている。


 普段あまり見ないような光景に、フォルトンは気分が高揚していくのがわかった。なんだここ、面白そう。


「あれ、アンタ、パーク坊のとこの?」


 店主とみられるブロンドカールヘアの男が、わざとらしい裏声でフォルトンに声をかけていた。


「そう、友達」

「あらヤダー、久しぶりに見たわ。元気ー?」


 以前のさびれた店の店主だった男が、聞いたことのないような声で話すものだから、フォルトンは込み上げる笑いを噛み締めるのに必死だった。


「アーロンさんが『ママ』やってるっていうのは聞いてたけど、ずいぶんはっちゃけたね」

「もうね、開花よ、開花。咲いちゃったの」


 店主のアーロンの言葉に、他の店員2人が口々に「ずいぶん汚ねぇ花だコト」「雑草狂い咲き」と揶揄している。見ているだけで胸はいっぱいになりそうだが、腹は満たされない。


 フォルトンはメニューを受け取ると、上から下まで目を通したあとに声をかけた。


「ママって呼んだ方がいいのかな? なんかお腹に溜まりそうなものはない?」


 アーロンがバーカウンターの中から裏のキッチンに向かって声をかけた。


「ノルド~。腹ペコ用なんかある~?」


 しかし、キッチンからは何も声が返ってこない。アーロンは仕方ないとキッチンへ大股でずかずかと進んでいった。何やらぼそぼそと話している声が聞こえて、「あ~」という納得と言わんばかりのアーロンの声が聞こえてくる。その後すぐに、アーロンがキッチンからひょこりと顔を出してきた。


「アレルギー、嫌いなものは?」

「特になし」


 質問にそう返すと、アーロンはキッチンにいるノルドと呼ばれた人と二、三言ほど言葉を交わしてから戻ってきた。


「フィッシュアンドチップスぐらいしかないって。あとはチーズとパンとソーセージ」

「いいね、よろしく」


 フォルトンの声が聞こえたのか、キッチンから油に揚げ物が投入される音が聞こえた。軽めの酒を頼むと、ビールとオレンジジュースを割ったものが出てきた。ビールに使われている麦の香りとオレンジのビターな香りがして、フォルトンはこういう飲み方も面白い、とグラスを傾けながら笑った。


「今日は、パーク坊は?」

「まだ仕事。今日も飲んだくれるんじゃないかなぁ」


 アーロンとそんな話をしていると、キッチンから薄茶の髪の男性が出てきた。アーロンの横を通るとその細さと小ささに目を惹く。露出の多いドレス姿が他の三人の店員と比べると似合い過ぎていて、逆にこの店では異質に感じた。おそらくこの男が先ほどキッチンでアーロンが話していたノルドと呼ばれた男だろう。昼間に物干し台で見た男と同じようなドレスを着ているが、エプロンをしているせいかどことなく雰囲気が違って見える。


「ねぇ、昼間のさ――」


 パンとチーズとソーセージが載った皿が目の前に置かれるが、フォルトンは構わず少し身を乗り出してノルドに話しかけた。話しかけられると思っていなかったのか、ノルドは一瞬びくりと体を震わせる。


「あの『虫よけ』、誰が作ったの?」


 ノルドはじっとフォルトンを見た後、アーロンに目をやって軽く首を振ってそのままキッチンに引っ込んでしまった。その様子を見て、アーロンは少し言葉を選びながらフォルトンに語り掛けた。


「ごめんねぇ。あの子、極度の人見知りでね。最近やっと人前に出られるようになったけど、まだ話せないみたい」

「……そっか。気を悪くさせてしまって悪かったね。謝っておいてくれる?」


 フォルトンはアーロンにそう伝えながらも、昼間に見たノルドの雰囲気の違いが腑に落ちていなかった。行動は一緒なはずなのに、その佇まいが何か違う。その違和感を噛み締めながら、フォルトンは再びグラスを傾けた。


 その後、フォルトンは注文したフィッシュアンドチップスを平らげ、何杯か酒をひっかけたあと、『ロンロン』を後にした。もうとっくに日付も変わっていて、フォルトンはパークの店に顔を出してから、寝床へと引っ込んだ。ソファの固いスプリングの感触を感じながら、シーツにくるまって目を閉じる。酒を飲んだこともあり、隣の店の喧騒にも負けずに、すぐ眠れるだろうと高を括っていたが、これがなかなか寝付けない。


 店の方からは美味しそうな香りが漂ってきているが、その香りに混ざって、サレッドセージを燻したような香りがフォルトンの鼻をかすめた。


 サレッドセージは、料理にはあまり向かない。というより、わざわざサレッドセージを使う理由がない。もっと料理に有効なハーブはたくさんある。であれば、この燻したような香りは何だろうか。


 フォルトンは、横になったのでそのまま寝ようかと思案したが、一度心に引っかかった疑問を放置できない自分の心に従って、重い体を起こした。パークの部屋を出てすぐ、匂いの元を見つけた。今日――いや、正確には日付を跨いでいるので昨日になるが――薄茶色の髪の男が、物干し場で煙草を吸っていた。先ほど『ロンロン』で見た姿と一緒で、唯一違うのはエプロンを付けていないところだった。


 フォルトンは、迷わずアパートに入った。不法侵入も甚だしいが、フォルトンは今行かねばならないと自身を奮い立たせた。階段を静かに上がって、屋上の扉をそっと開く。薄茶色の髪の男が横髪を押さえながら、夜風に吹かれて煙草を燻らせている。


「……いい夜だな」


 フォルトンが声をかけたが、薄茶色の髪の男は黙ったままだった。明らかにこちらを警戒しているのが分かるが、フォルトンは逃げられないように距離を保ったまま、男とドアの動線上に立った。男が息を吸うと煙草の先が光を宿し、口を離すとその光は鳴りを潜める。フーッと煙を風に乗せるように息を吐いて、男はフォルトンをじっと見ていた。


「サレッドセージは、魔力の乱れによる頭痛に効く。でも、そんな形の『魔法薬』初めて見た」


 男が口を開かないので、結果としてフォルトンの独り語りになっているが、気にせずフォルトンは言葉を紡いだ。


「昼間の『虫よけ』もさ、良くできてたじゃん。今度レシピ教えてよ。寮で使うからさ」


 フォルトンが、にっこりと笑いかける。男の表情は変わらない。ただじっと屋上の手すりに寄りかかり、こちらを見つめている。


 フォルトンは、煙草の副流煙を吸い込むように大きく息を吸って、吐き出した。


「……で、名前なんだっけ。『レイノルド』だっけ?」


 その言葉に、初めて男は笑った。噛み締めるように、くっくと笑い始める。フォルトンはしてやったりと顔を綻ばせた。男が、手すりのそばにある灰皿に煙草を押し付けると、初めて口を開いた。


「――ただのレイですよ。いつになったら覚えてくれるんですか、先輩」


 そう言って、黒色のチョーカーを外した。まるで空間がそこだけ歪んだかのように一瞬空気が震え、男の顔がはっきりと見えるようになる。チョーカーに顔の認識阻害の魔法機構がついていたのか、とフォルトンは納得した。濃い化粧が施されたレイの顔を見ながら、フォルトンはフフッと笑ってみせた。


「……かわいいじゃん」

「意味わかんないですよ」


レイは苦い顔をしながら、そう言った。

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